epilogue
―――季節は巡る。このあたりは自然が多く、俺は季節が移ったことを肌で感じた。
あれから1年経って春になった。俺は3回生になり、去年より忙しい日常を過ごしていた。
遅ばせながら草野球サークルに入り、以前より活動的になった。
ゼミも変わって、前より男女ともに友達が増えた気がする。
あの収集もやめてしまった。
全てはゆっくりと変わっていく。
変わらないことなどない、というように、何もかもが、ただゆっくりと、少しづつ……。
今日は入学式。俺はサークルの新入生勧誘を終え、下宿に帰る途中だ。もう今日はやることが無い。一服してから帰ろうか。
駐輪場のそばの喫煙所であればここから近い。
俺はキャンパス内を突っ切っていつもの場所に向かった。
裏門の近くには今が盛りとばかりに桜が満開だ。夕方のやや涼しくなった風にのって花びらが舞う。桜の枝は大きく揺れ、人々の気持ちも知らずにどんどんと花を散らせていく。
この時期になるといつも思うが、春といえば桜なのに、実際桜が咲いているのはほんの2週間程度だ。なぜ春のほんの一時でしかないものがこんなにも深く心に残るのだろう。
俺は物思いにふけった。
……きっと、思い出は時間の長さとは関係無いんだろう。
人の記憶には印象深いものだけが残る。それが一瞬であってもその人にとってはそれが全ての記憶であるかのように。
俺にとってはあの喫煙所の中心は彼女との出来事だ。
奇妙な偶然から俺と同じタバコを吸っていた彼女。なんとなく気が合っていた彼女。もし、お互いの秘密をバラしていなければどうなっていただろう……。
あれから、彼女には一度も会っていない。あの事件から数ヶ月は、暇を見つけては夜あの場所に行った。でも彼女はいなかった。当然といえば当然か。今にして思うと、議員辞職級の失言だ。でも、俺は議員を辞めていないし後悔もしていない。なぜだろうか。
たぶん、彼女が隠していた事を知った時、自分も隠している事を言わなければフェアじゃないと思ったんだろう。
今永杏子に対してはフェアでいたい。
自分がやっていた痛い事も告白したい。
なんとかそれを言おうとした結果があの発言だ。それにしてもなんて婉曲的な表現だろう。平安貴族もびっくりさ。当たり前だが、そんな事情は彼女には伝わらない。今にしてみればわかりきった事だ。
藤棚を過ぎて喫煙所が見える。
俺はおやっと思った。
喫煙所の脇に小柄な人影がある。その人影には思い当たるものがあった。俺は胸の内に広がる歓喜みたいなものを感じた。
まだだ、まだ喜びを顔に出しちゃいけない。
新入生が皆もっている大学のロゴ入りバックを肩にかけているようだ。
まだだ。にやけるんじゃない。
紺色のタイトなスーツがよく似合っている。
ゆっくりと彼女の近くまで歩こう。
まだだ。まだ喜んじゃだめだ。
彼女も俺の姿を確認した。
はっとすると、突っ立ったまま俺をじっと見ていた。
―――間違いない。今永杏子だ。
肩にかけたバックをギュッと握っている。もちろんタバコは吸っていない。
彼女は何を考えているのだろう。会話するぐらいの距離になった。
周りに人は、いない。
「この大学に来たんだね」
「……」
彼女は何も言わない。
「親を説得できたってことでいいのかな?」
「……」
やはり何も言わない。
「俺がここに来なかったらどうするつもりだったの?」
「……」
俺は考える。なにか、なにか言わなければならない。
謝罪?いやちがう。
祝福?それもちがう。
彼女は、何かを待っている。
俺はわざとらしく言ってみた。
「あーいい天気だな〜こんな日は桜でも見ながら歩いて帰りたいな。絶好の花見スポット知ってるし。あ、でも一人で歩くのも寂しいし、誰か一緒に行ってくれないかなあ〜」
クサ過ぎるだろうか。かまいやしない。
「……」
う、また間違えたのか……。また恥ずかしいことを言ってしまったのか、俺は。だが、彼女はニヤッと表情を緩めた。手を口に当て耳打ちのポーズをした。
なんだろうか、ここで拒否るのは無粋だ。
俺は彼女の仕草に合わせ、彼女の身長に合わせて体を少しかがめる。彼女の手が耳に触れ、かすかな吐息を感じる。彼女が息を吸うのさえ感じることができる。
「そんなことより、使用済みナプキン探さなくていいの?」
ああ、これが言いたかったのか―――
彼女はそう言うと、すぐに姿勢をもとに戻した。
ニコッと笑い、俺をジッと見つめる。よほど恥ずかしかったんだろう。
顔は、耳元まで真っ赤だ。
―――どっちが?
―――さあ、どっちだろうね。
突然風が吹く。桜吹雪が重なるように俺たちを染める。
END
最終話になります。今までお付き合いいただきありがとうございました。




