episode3:野球は9回2アウトから 5
ごめん、もう限界。なにいってんのこの人。
「ひっ!……キモい!女の子に向かってそんなこと言う?頭おかしいんじゃないの?」
私はあらん限りの力を込めて罵倒する言葉を吐き出した。
誰をって?それは目の前にいる男、熊原直哉だ。
「うん。そう思うよ」
彼は空を仰ぎ見ている。指でこめかみを強く押している。
だが、それがなんだというのだ。
「だいたいなんでそんな言葉が出るの?」
頭の中は疑問符だらけになっている。
私の怒り、年下だとわかった瞬間、上から目線で説教してきたことはもうどこかに飛んで行ってしまった。
「……」
「言って!」
「いや、あの、君の吸ってるタバコ、それ俺が落としたんものなんだ」
「は?え?どういうこと」
「俺、女子トイレで使用済みナプキン探してたんだ。そのとき落として……」
「はぁ!?」
「女に対してなにか弱みを握ってやろうと思って」
「意味わかんない!」
もう訳がわかりません。
呆れる?失望?いや、これは嫌悪感だ。
この男はさっきの盗撮犯と大差無い人間だ。それに対する嫌悪感だと気がついた。
なんということだろう。こんな男に私の心の奥底の悩みを聞いてもらっていたのか。
「あ、ああ俺もよく分からない……でも今はもうやめてるし」
「そういう問題じゃない!せっかく何でも話せる友達が見つかるかと思ったのに!キモいキモいキモい!!!」
私は身体中がカァーっと熱くなるのを感じた。
そういえばこの男はなぜか女子トイレの構造を知っていた。そういう訳か。
「しっ!声が大きい!」
「近寄らないで変態!!犯罪者!!」
――――気を許した私が馬鹿だった。話した私が馬鹿だった。
「君の方だって大概じゃないか。……未成年喫煙してるじゃん」
この一言が決定打になった。
自分のことを棚にあげるっていうか、ここへ来てどうしょうもない一般論を言うのがもう許せない。
「そういう問題じゃない!!!」
私は喫煙所のパイプ椅子を蹴っ飛ばした。男は驚き、一瞬ひるんだ。
―――今の隙にっ!!!
気がつくと私は大学の駐輪場を駆け抜けていた。
―――男の顔は絶対に見ない。
―――絶対に振り返らない。
裏門はまだ開いている。
県道に踊りだし、そのまま1km先の住宅街まで走った。
深夜の県道はまったく人気がない。
10分ほど走っても2回ほど自動車とすれ違うだけだ。
―――はっはっはっ、ああ、そういえば最初はランニングが目的だっただっけ。
―――はっははは、は、はっははは。
息が苦しい。そんなに走ったっけ?いえ、息切れしたせいじゃ無い。
私は走りながら笑っている。
だから息継ぎするタイミングがないだけだった。
誰もいない深夜の林道に笑い声だけが聞こえる。
これは私の声?もうなにもかも分からない。今日私は何をした?今まで話していた彼は誰?もう分からない。
住宅街に近づき、私は走るペースを落とした。
全身が汗びっしょりで、スポーツウェアが背中に張り付いて気持ち悪い。笑っているものだとばかり思っていたが、家の前まで着くと、ふと手に水みたいなものが付着していることに気がついた。
これは―――涙?私はいつの間にか泣いてて、気づかずに手で拭っていたの?




