episode3:野球は9回2アウトから 4
彼女は大きく息を吸い込んだ。そして、吸い込んだ息の10分の1くらいの勢いで、そっと、蚊の泣くような声で……言った。
「…………私、大学生じゃ無いの」
「……はい?」
「……だから、大学生じゃないんです。まだ高3なんです。住所言ったら警察が家に来ていろいろ困る
から言えなかったんです。だまっててゴメンなさい」
「……」
彼女はいつの間にか敬語になっていた。
いや、だがそんなことはどうでもいい。
そんな発見よりも……今永杏子は高校生、年下だったのだ!
口には出さなかったが、一応思い当たる節がないわけではなかった。喫煙所の場所を1箇所しか知らないとか、キャンパス内で1回も会わなかったとか。でもこれは俺の予想の範疇を超えている。
そこからは驚きの連続だ。今永は堰を切ったようにこれまでの経緯を怒涛のごとく吐き出した。まるで今まで言いたかったのを我慢していたかのように。いや、実際そうだろう。
「そういうわけで、母親は自分の母校に行って欲しいみたいなんですけど、私は行きたくなくて、色々悩んでて、ここ志望校で、覗いてみようかなーって思って、夜来たら偶然なんですけど」
矢継ぎ早に話したせいか、彼女は息を切らしている。この辺で相槌をいれてあげないと、窒息するんじゃないだろうか。
「そこでタバコの箱を見つけたと」
まあ、ゆっくり喋れって。
「ふーっ、はい。そして熊原さんに会って、バレるとまずいと思って話し合わせたんです。ごめんなさい」
「いや、謝ることじゃないよ。俺、今永さんの話聞くの面白かったし」
そう、俺はいつの間にか女と喋ることに抵抗がなくなったばかりか、楽しめるようになっていた。
以前より人の気持ちがわかるというか、ああ、こんなにも人間って違うんだなって感想。しかも違うことが面白い。全く違う考えをもつこの子と喋るのが楽しいってね。
「本当ですか?」
「ホントのホント。今永さんが言ってたこと、今なら合点がいく」
「よかったぁ」
彼女はほっと胸を撫で下ろした。
「でも、あんまり気にすることじゃ無いんじゃ無いかな」
「何がですか」
「友達とか家族とか。言えばいいだけじゃん」
さっき、と言ってももはや遠い昔のようにに感じられることを俺は思い出した。彼女の相談事について。今永杏子の背景がわかったところで、年上なりのアドバイスをしてやろう。
「えっ……」
「だって君、言葉にしないんだもん。友達にもいつかはっきり言わないといけないとの先延ばししてるだけじゃん」
「どういうことですか」
「つまりさ、のろけ話は聞いてて疲れるって思ってるのに君はそう言わないから相手は気づかないわけじゃん」
「……」
「家族のこともそうだよ。いくら親は女子大行って欲しくても、その大学は君の行きたい学科はないんでしょ?だったらいつか言わなきゃ。君が今いろいろ悩んでるのは言わなきゃいけないことを言えなかったからじゃないの?」
「……違う。違います!言わなきゃいけないのはわかるけど、もう私親と口喧嘩したくないの!」
「でも、自分の意思を周りに示さないと気づかれないよ。君はこのままだと、やりたいことができない人生になっちゃう。いつか言わなきゃ」
「どうしてそんなことがわかるの?」
「いや、今までの話を聞く限りだな……」
彼女の口調が急に攻撃的になった。
いかん、説教が過ぎたか。だが、言ってしまったことはもう取り返しはつかない。
「じゃあもうこのままでいいです。私ずっとこのままで生きますから」
「ええ…」
「私はもう自分が嫌。みんな嫌い。物知り顔で言わないで。嫌い」
彼女は喚くようにまくし立てる。
顔を真っ赤にし、目には涙を溜めている。
俺はというと彼女の気迫に気圧されて、ついに何も言えなくなった。
いつの間にか丁寧口調は解けている。守衛に聞こえんばかりの大声で彼女は叫ぶ。なんとか宥めたいが言葉が出てこない。
「……」
「前みたいに一人でタバコ吸ってる方が良かった。もうほっといて!!ひとりで吸いまくって肺ガンになって死ぬから!!!ほっといて!!!!!」
……やっちまった!!!
何か、何か言わなくては!彼女は今にも逃げ出しそうだ。
何か、何か、言葉を続けなくては。
彼女を引き留めるような言葉はないか。
ここが最後の踏ん張りどころ、何か、きっとなにかあるだろう、俺。
なにか―――
「そんなことより使用済みナプキン探そうぜ!」
……あれ?俺は今何を口にした?
彼女は一瞬何を言われたか理解できないという様子だったが、瞬時に俺を睨みつけるような表情に変わった。
思わずよろける。
今まで曇りだった夜空が少しづつ変わっていく。雲がゆっくりと移動し、半月が顔を出す。ささやかな月明かりの下、魂の叫びがこだまする。
―――『何言ってんの俺』
こんばんは。遂にここでタイトルに結びつきました。
あと3章前後になると思うんで、お付き合いいただければ幸い。




