episode3:野球は9回2アウトから 1
はい、ピッチャー熊原さんに変わりまして、私……。
ね、なんていうかもう……。セクハラというのもおかしいし、モラハラ?なんていうのコレ。語彙力が乏しい私はなんて表現したらいいかわからない。
恥ずかしいというか、なんだろう。なぜ恥ずかしいかというと、同棲ってワードが私に刺さるから?あーわかんない。私たちはクソアホ警官と別れた後、あてもなくキャンパス内をぼとぼと歩いてます。
なんか、もう、疲れた。
歩いているうちに、私は自分の沸き立つ感情が冷えていくのを感じた。それは良かったんだけど、もう1つ頭を悩ませることを思い出した。
彼、熊原さんに決定的に怪しまれているということ。庇ってくれたようだけど……この後どうしよう。
そう、さっきの連絡先のやりとり。
私は絶対に連絡先を言えない。
もし、住所を言ったとしよう。昼間にでも警察が来たらきっとお母さんが対応するでしょう。そしたらきっと事件の詳細を聞くでしょう。そうなると「なぜ娘が大学にいたのか」「喫煙所で発見というのはどういうことか」「一緒にいた男性は誰か」等の話になってしまう。
だから絶対に私は連絡先を言えない。
もう1度言う。絶対に言えない。
だけど、あの流れはまずかった。だっておかしいでしょう?最初に警察に行こうって言ったのは私だし、事件について詳しく話したのも私。
熊原さんは私をどう見るだろう。怪しんでるに違いない。彼には高校生だと打ち明けても良いのでは?そんな悪魔のささやきみたいのが浮かんだ。
いやいや、それだけはダメ。
熊原さんとはこれからも何でも話せる仲でいたい。だから言えない。
―――あれ、でも何でも話せる仲でいたいって?
私は言語化して初めてわかる自分の願望に、ちょっとだけ、驚いた。
とぼとぼ歩くうちに喫煙所を越え、駐輪場の近くまで来てしまった。
ここまでで私たちの会話はゼロ。熟年夫婦なら離婚5秒前。キャッ、夫婦とか、深い意味は無い。小説的にも会話を繰り広げなくては読者が飽き始める頃。そろそろ何か言わなきゃ…
「…今永杏子」
「え?」
「私の名前。隠しておくのも変でしょ?」
とにかく自分だけ言わないのは嫌。
私は、とりあえず名前だけは言ってみることにした。SNSもあだ名でやってるし、ネットで検索しても何も出てこないことは確認済みである。少なくこともこれでバレることはないのだ。
「ああ、ありがとう」
彼は疲れている様子だったけど、笑顔を作ろうとしていた。
「まさかこんな形で自己紹介するとはね」
「まったくだ」
歩いているうちに例の喫煙所の前を通り過ぎた。このままこの道を通り抜ければ駐輪場。
会話はうまく転がっていった。
「なんていうか……そう、今まで名前を聞かなかったのは、そっちのほうが面白そうだったからなんだよね」
「ああ、なんとなくわかるよ。俺はネット上の匿名掲示板で気の合う人と喋ってる感覚だったなぁ」
「そお?私は旅の途中で偶然会った同伴者っていうか」
「恥ずかしいこと言うなぁ」
「え?何が恥ずかしいの」
「いやその旅ってのが大げさだし、同伴という言葉のイメージがだな……」
「そうかな?」
よし。このまま、ぬるいトークで今日は終わらせましょう。
捜査協力とか面倒ごとを押し付けてしまったことは申し訳ないし、熊原さんには怪しまれるかもだけど、なんとかごまかしたい。でも、今日はこれで終わらせたい。




