プロローグ
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ある世界には、神が死者のために作らせたという楽園ヘルヘイム国、心優しき人には可憐な妖精が見えるという森があるアルフヘイム国、温厚で翼を持ち絆を大切に思うものたちが行き交うスヴァルトヘイム国、どんな分野であれ逃げずに挑戦するものたちが尊敬されるヴァナヘイム国、そして絶対者が君臨することで弱きものたちを守るニヴルヘイム国という5つの大国があった。
あるとき、絶対者ゆえに孤独なニヴルヘイム国の王、死霊王がただひとつの心の拠り所を失い、それを奪い去ったものたちに正義の鉄槌をくだした。それが『モロゾフの悲劇』と呼ばれるこの世界、魔界と人間たちが住む人界の間で始まった引き金の内幕である。
~ 勇者アレクサンドラ著『異世界勇者のすべて』の冒頭部分より ~
「そういえば、ここに書いてあるんですね。鳥人親子の話。どうして気付かなかったんだろう?」
僕はモトラヴィチ・ド・ポルテ。
この帝国で商人を営んでいた祖父に王女が降嫁したことから襲爵したポルテ男爵家の当主である。
人に自慢できるのは勇者アレクサンドラの直系というだけで、人並みの日常魔法と帝国貴族の務めである兵役のために修行したレイピアの腕前しかない。ごくごく平凡な人間である。
「やっぱり、その後に書いたユウヤの所業がインパクトあり過ぎたのかなあ。」
ここにいるのは帝国の上層部では公然の秘密になりつつある勇者アレクサンドラ様が生まれ変わった姿である幻惑王ユズシェル様である。魔界の小国だったスリュムヘイム国を僅かな期間で大国に押し上げた。
「そうですね。」
異世界から召喚され魔王を倒した勇者ユウヤがその立場を利用し、王族の幼い子女を半ば強引に妾として連れ去った話は各国でも誘拐同然だったと認めていることでもあり、その生々しい内容は出版当時人々の間で物議を醸しだされ、異世界召喚の是否の論議にまで飛び火している。
さらに隣国の当時皇太子の第34代皇帝メリーがロシアーニア国の王太子妃だったアレクサンドラ様を簒奪した理由とされている勇者ユウヤによる勇者アレクサンドラ封じ込め事件の全貌のインパクトが強過ぎて、冒頭の文章は霞んでしまったようである。
「その前に書いてある魔界のヘルヘイム国とニヴルヘイム国の変革が今、激しいらしいのよ。これまで楽園とされてきたヘルヘイム国では、地震で土地が隆起して住めなくなったり、温暖な気候だったはずが深刻な冷夏に見まわれたり、反対に凍土で覆われたニヴルヘイム国が温暖になり植物が芽吹いたり、突如として大きな森が出現したりしているらしいのよ。」
「あっ。森は私の仕業だ。」
横槍が入る。発言の主は、アルフヘイム国の緑樹王マッチャロール様だ。
「シロが幸せになったので国中に張り巡らしてあった結界が壊れたんだ。そこで我が眷族に住めなくなったヘルヘイム国から移動するように指示したのだよ。」
「結界があったんですか?」
「ああ不用意に入ってきて命を落とすとシロが悲しむんでな。シロを尊敬する生き物やシロを好きと思う生き物しか入れないようにしてあったんだが、鳥人の親子がさらわれたときは緩んでいたんだな。シロの負の力を利用したものにしたのが間違いだったのかもしれん。」
この鳥人の親子が死霊王シロヴェーヌ様の心の拠り所だった生き物である。
「ということは、僕がシロさんを幸せに出来ているということですね。何か問題があるんですか?」
異世界から召喚されチートと呼ばれるスキルを持っていた訳でもない凡人の僕が『死霊王の伴侶』と呼ばれる存在になったのは全くの偶然だ。
偶然アレクサンドラ様の直系であるポルテ家に生まれ、偶然公爵令嬢クリスティーナ様の誘拐事件に関わり令嬢を助け、これは後で偶然では無いと聞いたが公爵令嬢に皇太子の護衛として抜擢され、偶然畏怖される家系に生まれた公爵様に目を付けられたことで日常的に恐怖に晒され続け、偶然魔王サクランに似ていたがために裏後宮で死霊王シロヴェーヌ様と面会の機会を得た。
僕がしたことと言えば、勇者の家系にのみ有効とされる隷属の首輪の恩恵で死霊王に触れても死なないことがわかった上で死霊王の発する死の恐怖と呼ばれるものと戦っただけである。
シロさんは生まれて始めて自ら進んで彼女に触れた僕を好きになってくれたらしい。
これは後でわかったことだが彼女に触れると死んでもゾンビと呼ばれる生き物になって死に戻ってくるらしい。そしてある事件で僕は死んで彼女の元に戻ってきた。まあマッチャロール様がくれた世界樹の果実のおかげで健康体のゾンビだったが。
「問題大ありだ。せっかく『魔界と人界の皆が幸せになりました』となるところをモーちゃんがクロノワール様を蔑ろにした所為でヘルヘイム国の生き物たちが苦しむなんてダメでしょ。」
「魔界の気候は王の幸せ度と連動していると仰るのですか?」
「ええ魔界に攻め込んだときには、こんなところに良く生き物が住めるなあと思ったもの。でも裏後宮に後継者たる姫君たちを送り込んだ後、真っ先に改善したのがヘルヘイム国だったのよ。」
なるほど、クロノワール様なら裏後宮で真っ先に幸せを掴みそうだ。なにせ男の心の奥底にある願望を見抜く冥界王だから。
「それにしては、スリュムヘイム国は楽園と呼ばれるような気候だと聞きますが。」
僕がシロさんの伴侶となったとともに他の姫君たちを妾に持つという立場を与えられている。死霊王という絶対者の伴侶の妾だからこそ、魔界の各国の生き物たちも納得できるのだとかいう話だった。
幻惑王も妾の1人だが、意識的に直系血族の曾々祖母であり、勇者だったこともあり、恐れ多すぎて1人の女性としてみれないのが現状で、ある意味蔑ろにしているようなものである。
その幻惑王のスリュムヘイム国ならば、もっと酷い気候になったとしてもおかしくはないはずだ。
「私はいいのよ。ずっと15歳のままのモーちゃんを見ているだけで幸せなの。背中を触ったときに声をあげる姿やその後で見せる恥ずかしそうな顔。もちろん、私を抱くようになれば、背中だけでなく身体中くまなく快感で酔いしれるようにしてあげるけど、当分はこのままでいいわ。」
幻惑王のぶっ飛んだ言動と何かを想像して泳いでいる視線に思わず、背中に冷たいものが走る。
そうだった。アレクサンドラ様の血筋の女性たちや後宮の女性たちだけに伝わるマッサージに夢中になった祖父が王女だった祖母に落とされたという逸話が我が家には残っている。
嘘か誠か知らないが各国でそのマッサージに夢中になった王族たちが帝国の皇后となったあとでも、何度も面会に来て皇帝メリーが嫉妬に狂ったという話が人々の間で語り継がれ、勇者ユウヤの話と相まって異世界の人々の品性を貶めているらしい。
「だから、今度クロノワール様が里帰りする際について行って見極めて欲しいの。自分の行動がどういった影響をもたらすのか。」
「元々、里帰りの際に同行する皇太子の護衛のため、随員として行くつもりでしたが。」
表向きは諜報部の諜報員じゃなく、皇太子の護衛として雇われているのだ。同行するに決まっている。
「それではダメなの。そんな変革甚だしいところに皇太子を送り込めないでしょ。だから貴方が『死霊王の伴侶』であり、『冥界王の夫』という立場で行ってくるの。これは帝国としての決定事項よ。私が伝えるのもおかしいけど、わかった?」
こうして危険があるところに皇太子を送り込めないということで、名目では皇太子の代理として、冥界王クロノワール様の里帰りに同行することになったのだった。
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