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猫のシタデル

作者:三管陽山
猫のシタデル

「おい、舌が出ているぞ」

 私が忠告しても彼女は素知らぬ振りだ。
 ひょいと腕を伸ばし、ガントレットを外したばかりの蒸れた指で彼女の舌先を摘まんだ。
 ようやく嫌気がさしたようで、彼女は舌をしゅぽと引っ込めた。

「まったく、この不用心者め。それでも門番か」

 実際のところ彼女は門番ではない。
 ただ日当たりの良い場所を巡り巡って私の持ち場の近くにやってきたのだ。
 どちらかと言えば彼女は門番なんかよりも王族に近い。白くて長い毛並み、優雅な佇まい。そして潰れたような平面的な鼻っ面。いつも不機嫌そうに見える表情はまるでかつての私の雇い主のようにふてぶてしかった。

 まあ、今の私も彼女の召使いの様なものだ。彼女だけではない。私はこの浮遊島に取り残されたすべての猫たちの下僕であったと言って良い。

 栄華を極めた魔法大陸アトランティスも内紛のいざこざで求心力と権力と浮力を失い崩落した。ほんのわずかな城の一部分と私と多くの猫たちを残して、あとは遥か下界の暗い海に落ちてしまったのだった。
 幸いにも城のキッチンは取り残されており、住み着いていたネズミたちがいたおかげで猫の食料には困っていない。

 私はというと、時折雲の中を浮島が通りかかる際に雨宿りしてきた渡り鳥を拝借して飢えをしのいでいた。
 王室御用達の食料庫も、季節が巡るほどの月日が経ってしまえば食物連鎖の最下層に分配されることになっている。
 元々、私のような末端の兵士がありつけるような食材でもなかったけれども。

「なあ」

 私に呼びかける者がいた。
 声のする方、足元に目をやると。

「なーあ」

 この春に親許を離れた新人の我が主人が何事かを所望しておられた。
 こういう時は大抵、小突いて追い払えば良いのだ。

「さぁ、あちらへ行った。私は日が沈むまでこの門を守らねばならないのだ」

 たとえ門の先に守るべき城が無かろうと、私の職は変わりない。
 足元の小さな君は槍の石突きに禿げかけたこめかみをなすりつけて満足げであった。

 城壁と、猫と、意固地な門番だけが取り残されたこの島を、下界の者は「猫の城塞(シタデル)」などと呼んでいるのだそうだ。
 律儀な飛行少女がそう教えてくれた。

 いっそ、えいやと飛び降りてしまおうかと思っていた。運が良ければ下界の海に落ちて一命は取り留めるかもしれない。
 しかしそれを天上人としての尊厳が許さなかった。いや、この島に猫たちが住み着いていなければすぐにでもそうしていたことだろう。しかし私が降りてしまったらこの猫たちの面倒は誰がみる?
 私の天上人としての自尊心は、この島の守るべき命を支え続けることをえらんだのだった。

 あれはいつの日だったか、島の縁に立ち猫達の顔を思い浮かべながら世を儚むやら下界に無事降りたった場合の暮らしぶりを勘案するやらをしていたところ、私はパン屋の娘と出会ったのだった。
 こんな空の真中で、パン屋とは。
 娘はイースト菌の匂いがする蒸気を吹き上げる大仰で無様な鉄塊に乗っていた。下界で流行りの蒸気艇で焼きたてパンの訪問販売をして飛び回っているとのこと。どうやら崩壊したアトランティス大陸のテクノロジーが地上に災禍と産業革命をもたらしたらしい。

「ニコラス、猫と一緒に日向ぼっことは良い趣味ね!」

 Speak of the devil. いや、この場合は天使と呼ぶべきか。彼女は下界人でありスチームオタクのパン屋であるが、私のためにバターを挟んだパンを時折運んできてくれるのだ。そのイースト菌臭い蒸気艇に乗って。

「下界と違ってここは陽当たりが良いからな! それとこれは趣味ではない、歴とした我が職務だ!」

 ポンポンと響く蒸気機関の音にかき消されぬよう、私は声を張り上げた。聞こえたのか、聞こえていないのか、彼女は荷台から当面の人間用の食料と猫用の餌を下ろした。

「職務ですって? あなたの主人はもう大陸と共に地に落ちたというのに。それとも貴方の新しい主人はその足下の子猫なのかしら?」
「それも悪くないな。我が君主たちは君が運んでくる下界の新鮮な魚を大層お気に召したようだぞ」
「あら、それは光栄ね。誇り高き天上猫さまのお口に合うなんて。下界魚は天上ネズミよりもおいしいのかしら?」
「試してみるか?」
「いいえ、結構よ。ニコラス。あなたも下界のパンを毎日食べたくなったらいつでも私が運んであげるわ」
「心配無用、君のおかげで毎日食えている。それに、下界に降りたくなったらいつでも方法はある」
「相変わらずプライドは高いのね。下界魚の餌にならないように気を付けなさい」

 彼女は乾燥魚の切れ端を持って私の足下の子猫に餌付けする。
 おぉ、我が君よ。餌さえくれれば誰でも良いのか。

「私はこの門を離れるわけにはいかないのだ。この島から猫がいなくならない限りは」
「そ。お勤めの邪魔をしたわね、唯一最後の天上人さま。温かいパンを私と一緒に焼きたくなったら声をかけて」

 彼女が去るのを名残惜しそうに見送るのは、餌をねだる猫どもだけである。

 乾燥魚を食べ終えた子猫はすっかり満足げに、腹を太陽に向けていた。

「おい、不用心者。舌が出ているぞ」

 私は職務の途中であったが、冷めたパンで昼食をとることにした。




「猫のシタデル」という単語から連想した即興小説です。妄想が膨らむさまをお楽しみください。

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