画集/「応竜」「饕餮」「晩餐」「独眼竜・李克用1」「独眼竜・李克用2」「独眼竜・李克用3」
Ⓒ奄美剣星「応竜」2000年ごろ
応竜は、中国戦国・楚の王族屈原が著した詩集『楚辞』や、地理書『山海経』に登場する翼竜だ。古環境研究で、中国の殷代あたりまでは、亜熱帯に近い気候で湿潤なため、長江鰐が至る所に棲息していた。だから鰐が中国の竜のモデルだという説がある。しかし形状は西域のグリフィンそっくりだ。
Ⓒ奄美剣星「饕餮」2000年ごろ
饕餮は、中国神話にでてくる神獣で、新石器時代から青銅器時代まで、魔除けとして、神器レリーフのモチーフになっていた。だが、後半から鉄器時代となる、周時代に竜の人気が高まると、その座を明け渡し、以後は魔物として扱われるようになる。昔描いたイメージ図である。
Ⓒ奄美剣星「夜宴」2000年ごろ
イラストというよりは、昔、作品制作のために描いた構想図である。イメージ重視で、デッサン・遠近法・光源の位置などは重視していない。試験的にパステルをつかってみたのだけれども、改めて、自分には淡水彩が合っていると思った次第。それにしても、パステルセットは高かったなあ……。
Ⓒ奄美剣星「独眼竜・李克用1」2000年ごろ
「独眼竜」といえば、日本では伊達政宗を連想するが、もともとは中国の李克用(856-908)をさす。唐末に精強な黒衣の軍団・鴉軍を率いて反乱軍を討ち、節度使(総督)になった隻眼の英雄だ。ライバルの軍閥・朱全忠が唐を乗っ取り後梁を立てたため憤死する。後に息子が後梁を討ち後唐を建國。太祖と諡された。
Ⓒ奄美剣星「独眼竜・李克用2」2000年ごろ
Ⓒ奄美剣星「独眼竜・李克用3」2000年ごろ
ノート20180827




