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もう一度妻をおとすレシピ 第6冊  作者: 奄美剣星
随筆
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随筆/猫魔岳のてっぺんで熊さんに出会った ノート20161030

 奈良時代、太政大臣恵美押勝(藤原仲麻呂)が反乱を起こし一族の大半は誅殺された。生き残ったのが法相宗僧侶・徳一だ。徳一は論文を書いて最澄や空海と論戦した。最澄は「悪食」と罵り、空海は「菩薩」と持ち上げた。やがて徳一は東国に下り、東国に多数の信者を獲得した。

 徳一の同母兄・刷雄は、死刑を免れて隠岐国への流罪になった。死一等を減ぜられたのは、この人が唐への留学経験があった逸材だからで、桓武天皇の時代に復権し、大学頭・陰陽頭を歴任した。――今昔物語では、徳一自身が外国留学したかのように書かれているが、それをしたのは兄だ。ともかくこの兄弟は生き残った。

 徳一は、磐梯山が噴火した大同元年(八〇六)、麓に恵日寺を建立。恵日寺は、平安末には、越後国城氏に東蒲原郡五か村の寄進を受け、十二世紀の源平攻防戦で、平家敗北につきあって勢力を落とす。鎌倉幕府成立後、会津に源氏系・芦名氏の統治を受けつつ庇護されるのだがかつての勢いはない。宗派も法相宗僧侶は追い出され、天台宗僧侶にとって代わられる。安土・桃山時代、秀吉の奥州仕置きによって、一時的に芦名氏から彼の地を奪い占領していた伊達家が、この寺を焼き払った。以後は真言宗の末寺・村寺として細々と命脈を保つことになる。

 さて、大きな寺には経蔵があった。経蔵の写本はよく鼠にかじられた。鼠を捕えるには猫に限る。そういうわけで寺院ではよく猫が飼われていたらしい。――猫の神様は猫王である。恵日寺は猫魔岳に猫王の祠をつくって祀っていたという。――本来は猫王岳と呼ばれるべきところが、猫魔岳と呼ばれるのは、領主交替で宗派が変り、伽藍規模が縮小、信仰の様式も大きく変化したことによって、神獣から妖怪に転落したに相違ない。

 猫王の祠が祀られていたところは、山頂、あるいは猫石と呼ばれていたところにあったのではないかと何かの記事で読んだ。興味をもっていたのだが、今年は雨が多くチャンスを逸して、十月三十日の出立になった。――そろそろ雪が降る。綿密な計画を立てている余裕がなく、例の如く思い立ったら吉日で、猫魔岳に登った。

 このあたりの地勢は、二つの大きな火山と、それらの噴火にともなって押し出されてきた噴出物が会津盆地側に押し出されて堤を形成。水が溜まって猪苗代湖になった。猪苗代湖の北にあるのが磐梯山と雄国沼カルデラ火山だ。雄国沼カルデラ火山は磐梯山の東にある。雄国沼と湖畔に開けた盆地があり、周囲を外輪山で囲まれている。そういう外輪山の一つに猫魔岳がある。

 猫魔岳山頂へゆくには、雄国沼側からゆくルートと、ゴールドラインという有料道路をゆくルートとがある。私は初心者向きだというゴールドラインから山頂を目指すことにした。有料道路とはいっても料金ゲートは取り払われていて、実質無料だ。猪苗代湖方面から檜原湖方面にむかう、道路の中間地点に八方台という駐車場がある。

 ネット情報の記事を読むと、遊歩道はよく整備されていて、随所にベンチがあって休憩できるとあった。――これはありがたい。――しかし行ってみると、情報が古くなっていたのか、道は大荒れで、ベンチはなく、案内板も朽ち落ちている始末だった。

 駐車場から山頂までは二キロ・一時間とあった。行ってみると、急峻な稜に設けられた小路で、ところどころゆるい傾斜もあったが、概して急こう配のはってよじ登るようなハイキングコースだった。落ち葉に隠れて安山岩系の礫が転がっていて、転びやすい。

 グループでの登山客が下山してくるのだが、数はそう多くはない。八方台駐車場は警備員三人を配置するほどに、混雑し、第二駐車場にまで溢れていたのだが、大半は登山客ではなくトイレ休憩のために立ち寄る。そうでなければ西にある磐梯山にむかう。私が上ろうとしている猫魔岳はマイナーコースで、磐梯山よりは客足が悪い。

 前日に焼いたホームベーカリーのパン一斤と二リットル入りのお茶を鞄に詰めて、ときどき水分・栄養補給して登る。一時間というのだが、実質はもう少しかかかかった。登山ルートは、入り口から五百メートルあたり左手に、スキー場リフト終点があった。そのあたりの道は比較的なだらかだ。アップダウンはあるが、まだ激しくはない。やがて山頂まで一キロ地点になると、途中にフラットな稜辺やゆるい下り坂もあったが、もはや道というより崖だ。そこをよじ登ってゆく。最後の五百メートル地点になると、さらに厳しい崖路になる。ふと左手をみると泉があった。澄んではいたが、枯れ葉がつまっているので、顔を洗ったり飲んだりしたいという感じではない、

 それでようやく山頂に着く。看板が朽ちていたためたまたま通りかかった夫妻に山頂であることを確かめる。北の火山堰き止め湖・檜原湖、南の猪苗代湖と若松市街が眺望できる。

 登山道をさらに西にむかうとすぐに二等水準点があった。さらに西にむかって二十分、一度下ってからもう一つ峯になったところに上がる。すると雑木からひょいと顔を出した雄猫が、ピンと耳を立てたような石を仰ぎ見る図になった。――夢中で登ってみると緑色のジャンパーを着た、リュックを背負った爺様が、雄国沼方面から登ってきた。また案内板が朽ちていたので、この人からここが目的地・猫石だということをきいた。

 くるとき猫の横顔にみえた石は、水晶の柱みたいな結晶を縦状に、記念柱のように建てた感じの大岩で、登山道側からは五メートル弱はあるかと思われた。爺様が馴れた足取りで中段まで登ってゆく。

 山頂で出会った夫妻が、どこが猫なのだといっていたのだが、先に述べたように、私からすれば猫の横顔。さらに岩肌をみると、安山岩系の岩肌が剥落して、あばた状になり、それがちょうど猫の肉球が、ペタペタ、スタンプされているようにもみえた。

 また、よくみれば、犬走り状の小路が、螺旋をなし、北背の崖に回り込み、祠の台座跡みたいものまである。合掌。爺様が降りてから私も登った。北に檜原湖、南に猪苗代湖および若松市街、西に山頂、東に雄国沼カルデラ盆地と沼がみえる。

 爺様は雄国沼からやってきて、山頂にゆき、折り返す予定だといった。それから私は爺様を追い越す感じで山頂に引き返した。

 十四時十五分前後。下山途中数百メートル地点で、チェーンソウのような唸る音がした。それから、「くるな、あっちいけ」という悲鳴が何度かした。爺様、熊に襲われたか?――このあたりでは昨今、熊被害が数件報告されている。今年は餌が少なく、熊は人里に出没、あるいは、登山者を襲っていた。助けに行くにも危険だ。私は携帯で警察に連絡した。

 十五時前に八方台駐車場に着く。麓の警察署までけっこうかかる。まず若手の巡査二名がきた。老夫婦が山頂で熊に人が現れた気配はない。熊には特有の匂いがあるから出没もしなかったろうという。――ならそれで。

「いえいえ、確認しないと、ガイド頼みます」

 ――ええっ!

 十六時、非番警官五名が召集されてきた。このうち最後に現れた班長さん(警部補ないしは巡査部長)が指揮をとり、あとからきた五名様と一緒にまた山頂を目指した。本庁の白い警察ヘリも飛んできた。――しかし三十分ほど旋回してから暗くなると危険だというので引き返した。

 私たち山道歩き組は山頂二百メートル地点まできて引き返した。結局のところ、麓に中学生の自転車数台があったので、彼らが山頂でじゃれあっていたのではないかという無線がきこえた。

 駐車場到着十八時、帰宅二十一時。山道8キロ歩いた足はガタガタ。

  ノート20161030

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