読書/坂口安吾「堕落論」「続堕落論」 ノート20161101
坂口安吾「堕落論」「続堕落論」感想文
坂口安吾「堕落論」「続堕落論」1946年
朗読/名古屋章 新潮CD文庫『白痴・堕落論・続堕落論』2000年 所収
青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)
【概要】
坂口安吾「堕落論」「続堕落論」は、第二次大戦敗戦直後、1946年、まもなくやってくる米軍が進駐し、価値観が一変する前夜に書かれた随筆評論である。
「堕落論」では、旧価値観は美意識の世界だ。赤穂義士が幕府によって切腹させられたのは、幕府が忠義という美を温存したいがために、義士たちが俗塵にまみれる前に処断したのだ。日本の婦女子が二夫にまみれずとしたのも、いびつな旧価値観だとしている。天皇制は、天皇が自らの意志で継続しているのではなく、権力者たちが後ろで操り天皇に命じられたという形をとったほうが日本はうまく収まった。日本人はそういうふうに支配されるのに慣れている。――いびつな美意識を引きずった結果が第二次大戦敗戦だ。爆弾を落とされながらも、麗しい連帯で、国民はある種の連帯を楽しんでいたが、耐えられなくなると、また天皇を担ぎ出して、玉音放送・勅命のもと無条件降伏を受託する羽目になったわけだ。このいびつさから解放される方法は、旧価値観を否定すること。かつての美意識から徹底的に堕落することだ。特攻隊の生き残りが非合法の闇市で露店をやり、戦争未亡人は再婚して幸せになることだ。旧価値観でいうところの堕落こそが、人間として自然なのだ。
「続堕落論」では、戦後国民の道徳退廃せり、という権力側エリートたちの嘆きに対する一喝。旧体制でやたらもちあげてきた農村文化に対して、農村に文化なんぞあるのか、田舎者の排他主義のどこがいいのだという反駁から始まる。そこから、新潟の石油長者が人力車車夫に料金を値切ったケチぶりを、倹約の美徳としていたのが旧美意識だと話を続け、また天皇制について「堕落論」で述べた権力二重構造の正体を暴く。――人間本来の姿に戻れ、自然に帰れと説いている。
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【所見】
著者・坂口安吾の立場は右翼でも左翼でもなく中道。両方を批判している。米国進駐軍GHQ軍政開始直前に書かれた、この随筆評論は、混沌する世相に不安を覚え、ともすれば自暴自棄に走るかもしれない、当時の若者たちが熱狂的に支持したという。戦後日本の基本スタンスとなったバイブルといえる。
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