随筆/在来線旅行 ノート20150907
九月六日日曜日。
休日返上するほどの義理はないと思うのだが酔狂というやつで、厄介になっている会社も顔をだす、新潟県遺跡発表会に脚を運ぶことになった。――自家用車なら下道でも二時間くらいで着くとのことだが、長距離ドライブに飽きた私は、在来線の旅を楽しむことに決め込んだ。
朝の天気は曇り空。
新潟駅は駐車代が高そうなので、亀田駅の一日千円パーキングに停め、講演会会場がある柏崎ゆきの切符、それから駅構内にあるコンビニで、朝食のおにぎりと緑茶、コーラ、ついでにビールを買う。
まずは、一番ホームだったか、七時五十分の上越線長岡ゆきに乗る。
ディーゼル機関の列車は、赤・青・緑といった各種年代バラバラな列車をデタラメに連結した四両編成で出発。一つか二つ駅をやり過ごすと新津駅に着いた。
新津駅はホームの先端に雑草が生えているような駅だが、上越線と磐越西線が袂を分かつ駅で、ターミナルとはいわないまでもそこそこ大きい。扉が開くと、向こう側のホームにオリエント急行みいたいな豪奢な客車が視界に飛び込んできたので、思わず立ち上がって、先端に停まっている牽引車両がどんな奴か気になった。
C57-180。――通称〝貴婦人〟
行楽シーズンの休日だけ磐越西線を走る、グリーン車専用パノラマ展望窓つきが売りの蒸気機関車牽引車両だ。機関車は漆黒で、客車は黒い車体にオレンジ、あるいはその逆となった塗装が施され外見からして豪奢である。九時三十分新潟始発、十時五分に新津に寄って、奥羽山脈南端を突っ切った阿賀野川渓谷を眺望しつつ、終点の会津若松へは十三時三十二分に到着する。
私を乗せたくたびれたディーゼル列車は、優美なSLを追い越して、長岡にむかった。
新潟平野は無意味にだだっ広くて変化というものが少なすぎる。
藍から金色に変る途上の稲穂が絨毯になった水田ばかりが目に映り。はるかむこうにみえる山岳地帯だけがちょっとだけまともにみえる。朝食とビールを口にしつつ、週末にやり残した仕事をした。
休日の朝だから席はガラガラ。
そのため私は四人掛けのボックス席を一人で占拠することができた。
やがて。
列車は、九時あたりで列車は長岡駅に着き、五番ホームの信越線の在来線に乗りかえ、四十分間待った。
今度は白地に青のストライプが入ったようなカラーリングがされた直江津ゆきの四両連結の列車だ。やはりガラガラで、ここでもまた私はボックス席を占領できた。
信越線は山間地を抜けるので長岡までの区間よりはちょっと楽しい。そこでいくつかの発見をすることになる。まず安田駅なる貧相なローカル駅があり、安田駅止まりという列車が存在すること。その奥にある来迎寺を過ぎたあたりの鉄橋を渡った川むこうの前川駅に、伊勢神宮みたいな巨大で真新しい神社社殿がいくつも杉林のむこうで独特な屋根をのぞかせていたことだ。
私は終点・直江津の前にある柏崎駅に十時半ごろに降りた。
柏崎の町はそれなりに栄えた痕跡があったのだが、いまはシャッター商店街とそれを潰した空き地が目立つ。むかし、柏崎沖地震というのがあって、たまたま知っていたいい寿司屋が潰れている。そのせいだろうか。――おかげで、食堂を捜すのにひと苦労し、ランチタイムでは講演会場から三十分も雨の中を傘をさして歩き回る羽目になった。
帰りは先に述べた鉄橋あたりで、Shu-kuraなる、これまた豪華仕様の展望窓つき季節列車と十六時二十五分とすれ違った。――乗っていた在来線ポスターや駅待合室のイメージ動画によると、数両編成の青ベースでシックな塗装をしたその列車は、全席予約で、新潟県の地酒を和洋折衷とでもいうべき展望窓のあるバー・カウンターで堪能しつつ日本海の景色と、管弦楽四重奏を楽しむという趣向だ。おそらくは九時十五分越後湯沢発、十八時二十五分上越妙高着のものだろう。
私といえば駅弁も手に入らない在来線を往復。しかも帰りは雨ときたものだが、けっこう楽しめた。
帰りの列車は亀田駅に十八時三十分くらいに着いた。
雪国の車両の扉は手動式であることが多い。――太平洋側の列車だと当たり前のように自動扉なので、私は勝手に扉があくのを期待して列車がホームに停車してから数十秒待った。おかげで危なくおり損ねるところだった。
――往復の列車旅行でけっこう仕事が進んだ。日曜日、ビール片手にやる趣味労働もいいものだ。
END
ノート20150906




