読書/夏目漱石『草枕』 ノート20161221
夏目漱石『草枕』1906年
【概要】
明治時代、日露戦争のころ、中年画家が、都会の喧騒を逃れて山間地帯に入り、閉鎖していた温泉宿に滞在した。山間の田園風景。そこには人情やら偏見、どこにでも転がった俗な趣がある。閉鎖していた温泉宿の当主は素封家で別に温泉をやらなくても他の事業の収益で暮らすことができた。素封家には才色兼備な娘がいた。――土地の人にいわせれば、都会で学業を積んで知り合った学生と恋仲になったのだが、親の命令で青年実業家に嫁がされた。折り合いが悪く離婚。そのタイミングというのが、ちょうど亭主が事業に失敗した直後だったので、非情な女、狂女という烙印を押されてしまった。しかも昔、寺にいた若い僧侶と秘めた恋に堕ちていたという噂までついていた。
画家が問題の寺にゆくと、和尚から、伶人は実に聡明で悟りの境地を得ており、修行を終えた若い僧侶なんぞ姉弟子のように、尊敬していたということを伝え聞く。
東洋的な江戸時代から、西洋的な明治時代へ移り変わるとき、伶人は内面に東洋的な優しさをもち、西洋機械文明的な、冷たい、ペルソナ仮面で覆っていた。画家はその冷たさが鼻についていた。伶人が自分の肖像画を描くように依頼したのだが断る。それでも、不思議な魅力を感じて交友を続けた。
伶人には弟同様に可愛がっていた従弟がいた。従弟が出征するとき、伶人は立派に死んで来なさいとキッパリ言い切っていた。しかし駅に立ったとき、偶然に別れた亭主が、従弟と同じ列車に乗り込んだ。車窓を介して、みつめあう二人。列車は走り出す。――画家は、伶人の非常から正常に戻った表情の機微をみて、一度断った肖像画の件を引き受けることにした。
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【所見】
筋としては、上記のようにあっさりとしたものだが、滔々とした、西洋文明批判・東洋的自然回帰を謳った、「山路を登りながら、こう考えた。【…】智に働けば角かどが立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」と詩情豊かに、しかも歯切れよく決まった、散文を織り交ぜる。――恋愛は横に置いて、創作に限界を感じた画家が桃園郷で仙女に出会い、新たな境地を得るであろうことを予感させられる終り方をしている。これぞ芸術・純文学! 十万字、400字詰め原稿用紙250枚相当、中編。
ノート20161107




