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もう一度妻をおとすレシピ 第6冊  作者: 奄美剣星
読書
28/100

読書/宮沢賢治 『春と修羅』 ノート20160827

宮沢賢治『春と修羅――心象スケッチ――』

.

 庵野英明監督の『シン・ゴジラ』(2016年)そのままの世界でしょ? 修羅・喪神・鬼神・悪路王というのが、使徒やエヴァ、シン・ゴジラ、あるいはパイロットのシンジ君たちに相当しているようです。そして監督は鉄道ファンとのこと、そのあたりは宮沢賢治と共通。『銀河鉄道の夜』は松本零士氏が『銀河鉄道999』でやっているので、オマージュの新境地というところです。

   序

.

わたしという現象は

仮定された有機交流電燈の

ひとつの青い照明です

(あらゆうる透明な幽霊の複合体)

風景やみんなといつしよに

せはしくせはしく明滅しながら

いかにもたしかにともりつづける

因果交流電燈の

ひとつの青い照明です

(ひかりはたもち、その電燈は失はれ)

これらは二十二箇月の

過去とかんずる方角から

紙と硬質インクをつらね

(すべてわたしと明滅し

みんが同時に感ずるもの)

ここまでたもちつづけられた

かげとひかりのひとくされいづつ

そのとほりの心象スケッチです

これらについて

人や銀河や修羅や海胆は

宇宙塵をたべ、または空気や塩水を呼吸しながら

それぞれ戦線な本体論もかんがへませうが

それらも畢竟こころのひとつの風物です

ただたしかに記録されたこれらのけしきは

記録されたそのとふぉりのこのけしきで

それが虚無ならば虚無自身がこのとふぉりで

ある程度まではみんなに共通いたします

(すばてがわたくしの中野みんなであるやうに

みんなのおのおののなかのすべてですから)

.

けれどもこれらの新生代沖積世の巨大に明るい時間の集積のなかで

正しくうつされた筈のこれらのことばが

わづかその一点にも均しい明暗のうちに

 (あるいは修羅の十億年)

すでにはやくもその組立や質を変じ

しかもわたくしも印刷者も

それを変わらないとして感ずることは

傾向としてはあり得ます

けだしわれわれがわれわれの感官や

風景や人物をかんずるやうに

そしてただ共通に感ずるだけであるやうに

記録や歴史、あるいは地史といふものも

それのいろいろの論料データといっしょに

(因果の時空的制約のもとに)

われわれがかんじてゐるのに過ぎません

おそらくこれから二千年もたつころは

それ相当のちがつた地質学が流用され

相当した証拠もまた次次過去から現出し

みんなは二千年ぐらゐ前には

蒼ぞらいっぱいの無色なクジャクが居たとおもひ

新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層

きらびやかな氷窒素のあたりから

すてきな化石を発掘したり

あるいひは白亜紀砂岩の層面に

透明な人類の巨大な足跡を

発見するかもしれません

すべてこれらの命題は

心象や時間それ自身の性質として

第四次延長のなかで主張されます

.

   大正十三年一月廿日    宮沢賢治

.

.

《春と修羅》

春と修羅

    (menntal sketch modified)

.

心象のはいいろはがねから

あけびのつるはくもにからまり

のばらのやぶや腐食の湿地

いちめんのいちめんの諂曲てんごく模様

(正午の管楽よりもしげく

 琥珀のかけらがそそぐとき)

いかりのにがさまた青さ

四月の気層のひかりの底を

唾し はぎりしりゆききする

おれはひとりの修羅なのだ

(風景はなみだにゆすれ)

砕ける雲の眼路めぢをげぎり

れいらうの天の海には

聖玻璃せいはりの風が行き交い

ZYPRAESSEN(※糸杉の森)春の一列

くろぐろ光素エーテルを吸ひ

その暗い脚並からは

天山の雪の稜さへひかるのに

(かげらふの波と白い偏光)

まことのことばはうしなはれ

雲はちぎれてそらをとぶ

ああかあやきの四月の底を

はぎりし燃えてゆききする

おれはひとりの修羅なのだ

(玉髄の雲がながれて

どこで啼くその春の鳥)

日輪青くかげろへば

修羅は樹林に交響し

陥りくらむ天の椀から

黒い木の群落が延び

その枝はかなしくしげり

すべての二重の風景を

喪神の森の梢から

ひらめいてとびたつからす

(気層いよいよすみわたり

ひのきもしんと天に立つころ)

草地の黄金をすぎてくるもの

ことなくひとのかたちのもの

けらをまとひおれを見るその農夫

ほんたうにおれが見えるのか

まばゆい気圏の海のそこに

(かなしみ青々ふかく)

ZYPRAESSENしずかにゆすれ

鳥派また青ぞらを載る

(まことのことばはここになく

修羅のなみだはつちにふる)

.

あたらしくらに生きつけば

ほの白く肺はちぢまり

(このからだそらのみでいんにちらばれ)

いてふのこずえまたひかり

ZYPRAESSENいよいよ黒く

小物ひばなはふりそそぐ

.

.

《春と修羅》

屈折率

.

七つの森のこっちのひとつが

水の中よりもつと明るく

そしてたいへん巨きいのに

わたくしはでこぼこ凍てつたみちをふみ

このでこぼこの雪をふみ

向ふの縮れた亜鉛の雲へ

陰気な郵便脚夫のように

(またアラツディン、洋燈ラムプとり)

急がなければならないのか

.

.

《春と修羅》

  くらかけの雪

.

たよりになるのは

くらかけつづきの雪ばかり

野はらもはやしも

ぼしゃぼしゃしたりくすんだりして

すこしもあてにならないので

ほんたうにそんな酵母のふうの

朧ろなふぶきですけれども

ほのかなのぞみを送るのは

(ひとつの古風な信仰です)

.

.

《春と修羅》

  カーバイト倉庫

.

まちのなみのなつかしい灯とおもつて

いそいでわたくしは雪と蛇紋岩サーベンタインとの

山峡をでてきましたにに

これはカーバイト倉庫の軒

すきとほつてつめたい電燈です

(薄明どきのみぞれにぬれたのだから

巻たばこに一本火をつけるがいい)

これらなつかしさの擦過は

寒さからだけ来たのでなく

またさびしいためからでもない

.

.

《春と修羅》

  コバルト山地

.

コバルト山地の氷霧のなかで

あやしい朝の火が燃えてゐます

毛無森のきり跡あたりの見当です

たしかにせいしんてきの白い火が

水より強くどしどしどしどし燃えてゐます

.

.

《春と修羅》

  ぬすびと

.

青白い骸骨星座のよあけがた

凍えた泥の乱反射をわたり

店さきにひとつ置かれた

提案のかめをぬすんだもの

にはかにもその長く黒い脚をやめ

ふたつの手をあて

電線のオルゴールを聴く

.

.

《グランド電柱》

原体剣舞連

   (menntal sketch modified)

.

こんや異装いのげん月のした

鶏の黒尾を頭巾にかざり

片刃の太刀をひらめかす

原体村の踊手たちよ

鶏のいろのはるの樹液を

ときいろののはるの樹液を

アルペン農の辛酸に投げ

生しののめの草いろの火を

高原の風とひかりにささげ

菩提樹皮まだかばと縄とをまとふ

気圏の戦士わが朋たちよ

蒼らみわたるコウ(氵に影)気をふかみ

楢とぶなとのうれひをあつめ

蛇紋産地に篝をかかげ

ひのきの髪をうちゆすり

まるめろの匂いのそらに

あたらしい星雲を燃やせ

dah-dah- sko-dah- dah

肌膚きふを腐植と土にけづらせ

金庫靴はつめたい炭酸に粗び

月月に日航と風とを焦慮し

敬虔に年をかさねた師父たちよ

こんや銀河と森とのまつり

準平原の天末線に

さらにも強く鼓を鳴らし

うす月の雲をどよませ

Ho! Ho! Ho!

むかし達谷だったの悪路王

まつくらの二里のほら

わたるは夢と黒夜神こくやじん

首は刻まれ漬けられ

アンドロメダもかがりにゆすれ

青い仮面めんのこけおどし

太刀を浴びてはいつぷかぷ

夜風の底の蜘蛛をどり

胃袋はいてげつぎた

dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah

さらにただしく刃を合わせ

霹靂の青火をくだし

四方の夜の鬼神きじんをまねき

樹液もふるふこの夜さひとよ

赤いたたれを地にひるがへし

雹雲と風とをまつれ

dah-dah-dah-dahh

夜風とどろきひのきはみだれ

月は射そそぐ銀の矢並

打つも果てるも火花のいのち

太刀の軋りの消えぬひま

dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah

太刀は稲妻萱穂のさやぎ

獅子の正座に散る火の雨の

消えてあとない天のがはら

打つも果てるもひとつのいのち

dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah

.

《春と修羅》

恋と病熱

.

けふぼくのたましひは疾み

烏さへ正視ができない

あいつはちゃうどいまごろから

つめたい青銅ブロンズの病室で

透明薔薇の火に燃やされる

ほんたうに、けれども妹よ

けふもぼくもあんまりひどいから

やなぎの花もとらない

.

《無声慟哭》

 永訣の朝

.

けふのうちに

とほくへいてしまふわたくしのいもうとよ

みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ

  (あめゆじゆとてちてけんじや)

うすあかくいつさう陰惨な雲から

みぞれはびちよびちよふつてくる

(あめうじゆとてちてけんじゃ)

青い蓴菜じゅんさいのもやうのついだ

これらふたつのかけた陶椀に

おまへがたべるあめゆきをとらうとして

わたくしはまがつたてつぽうだまのやうに

このくらいみぞれのなかに飛びだした

(あめうじゆとてちてけんじゃ)

蒼鉛いろの暗い雲から

みぞれはびちょびちょ沈んでくる

ああとし子

死ぬといふいまごろになつて

わたくしをいつしやうあかるくするために

こんなさつぱりした雪のひとわんを

おまへはわたくしにたのんだのだ

ありがたうわくしのけなげないもうとよ

わたくしもまつすぐにすすんでいくから

(あめうじゆとてちてけんじゃ)

はげしいはげしい熱やあえぎのあひだから

おまへはわたくしにたのんだのだ

 銀河や太陽、気圏などとよばれたさかいの

そらからおちた雪のさいごのひとわんを……

……ふたきれのみかげせきざいに

みぞれはさびくたまつてゐる

わたくしはそのうへにあぶなくたち

雪とみずとのまつりろな二相系をたもち

すきとほるつめたい雫にみちた

このつややかな松のえだから

わたしのやさしいいもうとの

さいごのたべものをもらつていかう

わたいたちがいつしょにそだつてきたあひだ

みなれたちゃわんのこの藍のもやうにも

もうけふおまへはわかれてしまふ

(Ora Orade Shitori egumo)

ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ

あああのとざれた病室の

くらいびゃうぶやかやのなかに

やさしくあじろく燃えてゐる

わたくしのけなげないもうとよ

この雪はどこをえらばうにも

あんまりどこもまつりしろなのだ

あんなおそろしいみだれたそらから

このうつくしい雪がきたのだ

   (うまれでくるたて

   こんどはこたわりやのごとばかりで

   くるしまなやようにうまれてくる)

おまへがたべるこのふたわんのゆきに

わたくしはいまこころからいのる

どうかこれが天上のアイスクリームになつて

おまへとみんあとに聖い資糧をもたらすやうに

わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ

.

.

《無声慟哭》

 松の針

.

   さつきのみぞれをとつてきた

   あのきれいな松のえだだよ

おお おまへまるでとびつくやうに

そのみどりの葉にあつい頬をあてる

そんな植物性の青い針のなかに

はげしく頬を刺せることは

むさぼるやうにさへすることは

どんなにわたくしたちをおどろかすことか

そんなにまでもおまは林へ行きたかたつだtのだ

おまえはあんなにねつに燃やされ

あせやいたみでもだえてゐるとき

わたくしは日のてるところでたのしくはたらいたり

ほかのひとのことを考えながら森をあるいてゐた

   《ああさっぱりした

    まるで林のながさ来たようだ》

鳥のやふに栗鼠りすのやうに

おまへは林をしたつてゐた

どんなにわたくしがうらやましかつたらう

ああけふのうちにとほくへらうとするか

わたくしにいっしょに行けとたのんでくれ

泣いてわたくしにさう言つてくれ

  おまへの頬の けれども

  なんというけふのうつくしさよ

  わたくしは緑のかやのうへにも

  この新鮮な松のえだをおかう

  いまに雫もおちるだらうし

  そら

  さはやかな

  Turpentineターベンティンの匂いもするだろう

.

.

 無声慟哭

.

こんなにみんなにみまもられながら

おまへはまだここでくるしまなければならないか

ああ巨きな信のちからからことさらにはなれ

また純粋やちいさな特性のかずをうしなひ

わたしが青ぐらい修羅をあるいてゐるとき

おまへはじぶんにさだめられたみちを

ひとりさびしく往かうとするか

信仰を一つするたつtがひとりのみちづれのわたくしが

あかるくつめたい精進のみちからかなしくつかれてゐて

毒草や蛍光菌のくらいの薔薇をただようふとき

おまへはひとりどこへ行かうとするのだ

  (おら、かないふしてらべ)

何といふあきらめたやうな悲痛なわらひやうをしながら

またわたくしのどんなちひさな表情も

けつして見遁さないやうにしながら

おまへはけなげに母に訊くのだ

   (うんにゃ ずゐぶん立派だぢゃい

    けふはほんとにりっぱだぢゃい)

ほんたうにさうだ

紙だつていつさうくろいし

まるで子供の苹果びょうかの頬だ

どうかきれいな頬をして

あたらしく天にうまれてくれ

   《それでもからだくさえがべ?》

   《うんにゃ いつかう》

ほんたうにそんなことはない

かへつてここはなつのはらの

ちひさな白い花の匂いでいつぱいだから

ただわたくしはそれをいま言へないのだ

   《わたくしは修羅をあるいてゐるのだから》

わたくしのかなしさうな眼をしてゐるのは

わたくしのふたつのこころをみつめてゐるためだ

ああそんなに

かなしく眼をそらしてはいけない

.

.

《無声慟哭》

.

白い鳥

.

 《みんなさらーブレッドだ

ああ、いふ馬 題っても押しへるにいがべが》

《よっぽどなれたひとでないと》

古風なくらかけやまのした

おきなぐさの冠毛がそよぎ

鮮やかな青い樺の木にのしたに

何匹かあつまる茶いろの馬

じつにすてきに光つてゐる

  (日本絵巻のそらの群青や

  天来のturquisタコスはmづらしくないが

  あんな大きな心相の

  光の環は風景の中にすくない)

二疋の大きな白い鳥が

鋭くかなしく啼きかはしながら

しめつた朝の日光を飛んでゐる

それはわたくしのいもうとだ

死んだわたくしのいもうとだ

兄がきたのであんなにかなしく啼いてゐる

   (それは一応まちがひだけれども 

    まつたくまちがひとは言われない)

あんなにかなしく啼きながら

朝の光をとんでゐる

   (あさの日光ではなくて

    熱してつかれたひるすぎらしい)

けれどもそれも夜どほしあるいてきたための

Vagaeな銀の錯覚なので

   (ちゃんと今朝あのひしげて溶けた金の液体が

    青い夢の北上山地からのぼつたのをわたくしは見た)

どうしてそれらの鳥派二羽

そんなにかなしくきこえるか

それはじぶんにすくふちからをうしなつたとき

わたくしのいもうとをもうしなつた

そのかなしみによるのだが

   (ゆふべは柏ばやしの月あかりのなか

    けさはすずらんの花のむらがりのなかで

    なんべんわたくしはその名を呼び

    またたれともわからない声が

    人のない野原のはてからこたへてきて

    わたしを嘲笑したことか)

そのかなしみによるのだが

またほんたうにあの声もかなしいのだ

いま鳥は二羽、かがやいて白くひるがへり

むかふの湿地、青い芦のなかに降りる

降りようとしてまたのぼる

    (日本武尊の新しい御陵の前に

     おきさきたちがうちふして嘆き

     そこからたまたま千鳥が飛べば

     それを尊のみたまとおもひ

     芦に足をも傷つけながら

     海べをしたつて行かれたのだ)

清原がわらつて立つてゐる

  (日に灼けて光つてゐるほんたうの農村のこども

   その菩薩ふうのあたまのかたちはガンダーラから来た)

水が光る きれいな銀の水だ

《あああすこに水があるよ

 口をすすいでさつぱりして往かう

 こんなきれいな野原だから》

.

《風景とオルゴール》

 第四梯形

.

  青い抱擁衝動や

  明るい雨の中野みたされない唇が

  きれいにそらに溶けてゆく

  日本の九月の気圏です

そらは霜の織物をつくり

かやの穂の満潮

    (三角山はひかりにかすれ)

あやしいそらのバリカンは

白い雲かあおりて来て

早くも七つ森第一梯形ていけい

末と雑木を刈り落とし

     野原がうめばちさうや山羊の乳や

     沃度の匂で荒れて大へんかなしいとき

     汽車の進行ははやくなり

     ぬれた赤い崖や何かといつしょに

七つ森第二梯形の

新鮮な地被が刈り払われ

手帳のやうに青い卓上台地テーブルランド

まひるの夢をくすぼらし

ラテライトのひどい崖から

梯型第三のすさまじい羊歯やこならやさるとりいばらが滑り

(おお第一の紺青の寂寥)

縮れて雲はぎらぎら光り

とんぼは萱の花のやうに飛んでゐる

     (萱の穂は満潮

      萱の穂は満潮)

一本さびしく赤く燃える栗の木から

七つ森の第四伯林青(だい4べるりんせい)スロープは

やまなしの匂いの雲に起伏し

すこし日射しのくらむひまにそこらのバリカンがそれを刈る

     (腐植土のみちと天の石墨)

夜風太郎の配下と子孫とは

大きな帽子を風にうねらせ

落葉松のせわしい足なみを

しきりに馬を急がせるうちに

早くも第六梯形の暗いリバライトは

ハックニーのやうに刈られてしまひ

ななめに琥珀の陽も射して

     《たうとうぼくは一つ勘定をまちがへた

     第四か第五かをうまくそらからごまかされた》

どうして決して、そんなことはない

いまきらめきだすその真鍮の畑の一片から

明暗交錯のむかふにひそむものは

まさしく第七梯形の

雲に浮んだその最後のものだ

緑青を吐く松のむさくるしさと

ちぢれて傷む雲の羊毛

     (三角やまはひかりにかすれ)

.

.

《風景とオルゴール》

風の偏倚

.

風が偏倚して過ぎたあとでは

クレオソートを塗つたばかりの電柱やたくましくも起伏する暗黒山稜や

    (虚空は古めかしい月汞げっこうにみち)

研ぎ澄まされた天川石天盤の半月

すべてこんなに錯綜した雲やそらの景観がすきとほつて巨大な過去になる

五日の月はさらに小さく副生し

意識のやうに移つて行くちぎれた蛋白彩の雲

月の先端をかすめて過ぎれば

そのまん中の厚いところは黒いのです

(風と嘆息との中にあらゆる世界の因子がある)

きららかにきらびやかにみだれて飛ぶ断雲と

晴雨鵜のやうにうごかない天盤附属の氷片の雲

     (それはつめた虹をあげ)

いま珪酸の雲の大部分が行き過ぎようとするために

みちはなんべんもくらくなり

     (月あかりがこんなにみちにふると

     まへにはよく硫黄のにほひがのぼつたのだが

     いまはその小さな硫黄の粒も

     風や酸素に溶かされてしまつた)

じつに空は底のしれない洗ひがけの虚空で

月は水銀を塗られたでこぼこの噴火口からできてゐる

     (山もはやしもけふはひじゃうに峻厳だ)

どんどん雲は月のおもてを研いで飛んでゆく

ひるまのはげしくさまじい雨が

微塵からなにからすつかりとつてしまつたのだ

月の彎曲の内側から

白いあやしい気体が噴かれ

そのために却つて一きれの雲がとかされて

    (杉の列はみんな黒真珠の保護色)

そらそら、B氏のやつたあの虹の交錯やふるえるひと

苹果へいか・びょうかの未熟なハロウとが

あやしく天を覆ひだす

杉の列には山烏がいつぱいに潜み

ベガススのあたりに立つてゐた

いま雲は一せいに散兵をしき

きまわめて堅実にすすんで行く

おお私のうしろの松倉山には

用意された一万の珪化流紋凝灰岩の断塊があり

川尻断層のときから息を殺してまつゐて

私が腕時計を光らし過ぎれば落ちてくる

空気の透明度は水よりも強く

松倉山から生えた木は

敬虔に天に祈つてゐる

辛うじて赤いすすきの穂がゆらぎ

   (どうしてどうして松倉山の木は

    ひどくひどく風にあらびてゐるのだ

    あのごとごといふのがみんなそれだ)

呼吸のやうに月光はまた明るくなり

雲の遷色とダムを超える水の音

わたしの帽子の静寂と風の塊

いまくらくなり電車の単線ばかりまつすぐにのび

 レールとみちの粘土の可塑性

月はこの変厄のあひだ不思議な黄色になうてゐる

.

.

《風景とオルゴール》

 風景とオルゴール

.

爽やかなくだもののにほひに充ち

つめたくされた原生の薄明穹はくめいきゅう

雲どんどんかけてゐる

黒曜のひのきやサイプレスの中を

一疋の馬がゆつくりやつてくる

ひとりの農夫が乗つてゐる

もちろん農夫はからだ半分ぐらゐ

木だちやそこらの銀のアトムに溶け

またじぶんでも溶けてもいいとおもひながら

あたまの企画プランなら

じつに九月の宝石である

その電燈の献策者に

わたしは青い蕃茄トマトを贈る

どんなにこれらのぬれたみちや

クレオソートを塗つたばかりのらんかんや

電線も二本にせものの虚無のなかから光つてゐるし

風景が深く透明にされたかわらない

下では水がごうごう流れて行き

薄明穹の爽やかな銀と苹果とを

黒白鳥のむな毛の塊りが奔り

   《ああ お月様が出てゐます》

ほんたうに鋭い秋の粉や

玻璃末はりまつの雲の稜に磨かれて

志摩銀彩しまぎんさいに尖つて光る六日の月

橋のらんかんいは雨粒がまたいっぱいついてゐる

なんというこのなつかしさの湧きあがり

水はおとなしい膠朧体こうろうたいだし

わたしはこんな過透明な景色のなかに

松倉山や五間森ごけんもり粗つぽい石英安山岩デサイトの岩頸から

放たれた剽悍な刺客に暗殺されてもいいのです

(たしかにわたくしがその木をきつたのだから)

 (杉のいただきは黒くそらの椀を刺し)

風邪が口笛をはんぶんちぎつて持つてくれば

   (気の毒な二重感覚の機関)

わたくしは古い印度の青草をみる

崖にぶつつかるそのへんの水は

葱のやうに横にれてゐる

そんなに風はうまく吹き

半月の表面はきれいに吹き払はれた

だからわたしの洋傘は

しばらくばたばた言つてから

ぬれた橋板に倒れたのだ

松倉山松倉山尖ってまつ暗な悪魔蒼鉛の空に立ち

電燈はよほど熟してゐる

風邪がもうこれつきり吹けば

まさしく吹いて来るカルパのはじめの風邪

ひときれそらにうかぶ暁のモテイーフ

電線と恐ろしい玉髄キャルセドニの雲のきれ

そこから検討のつかない大きな青い空がうかぶ

(何べんの恋の償ひだ)

そんな恐ろしいがまいろの雲と

わたしくの上着はひるがへり

(オルゴールをかけろかけろ)

月はいきなり二つになり

盲ひた黒いかさをつくつて光面を過ぎる雲の一群

   (しづまれしづまれ五間森

   木をきられてもしづまるのだ) 

.

.

《グランド電柱》

電車

.

トンネルへはひるのでつけた電燈ぢゃないのです

車掌がほんのおもしろまぎれにつけたのです

こんな豆ばたけの風邪のなかで

 

 なあに、山火事でござんせう

 なあに、山火事でござんせう

 あんまりおおきござんすから

 はてな、向ふの光るあれは雲ですな

 木きつてゐますな

 いいえ、やつぱり山火事でござんせう

.

おいきさま

日本の萱の野原をゆくビクトトルカランザの配下

帽子が風にとられるぞ

こんどは青い稗を行く貧弱カランザの末輩

きさまの馬はもう汗でぬれてゐる

.

.

《グランド電柱》

電線工夫

.

でんしんばしらの気まぐれ碍(かい=※さまたげる)子の修繕

雲とあめとの下のあなたに忠告いたします

それではあんまりアラビアンナイト型です

からだをそんなに黒くかつきり鍵にまげ

外套の袖もぬれてあやしく垂れ

ひどく手先を動かすでもないその修繕は

あんまりアラビアンナイト型です

あいつは悪魔のためにあの上に

つけられたのだと云われたとき

どうあなたは弁解するつもりです

.

《グランド電柱》

銅線

.

おい、銅線つかったな

とんぼのからだの銅線をつかひ出したな

はんのき、はんのき

交錯光乱転こうさく・くわうらんてん

気圏日本では

たうとう電線に銅をつかひ出した

(光るものは碍子

過ぎて行くものは赤い萱の穂)

.

.

《オホーツク挽歌》

樺太鉄道

.

やなぎらんや赤詰め草の群落

松脂岩剥片のけむりがただよひ

鈴谷山脈は光霧か雲かわからない

   (灼かれた馴鹿の黒い頭骨は

   線路のよこの赤ジャリに

   ごく経験に置かれてゐる

 そつと見てごらんなさい

 やなぎが青くしげつてふるへてゐます

 きつとポラリスやなぎですよ

おお満艦飾のこのえぞにふの花

月光いろのかんざしは

すなほなコロッボクルのです

   (ナモダダルマプフンダリカサスートラ)

Van’t Hoff の雲の白髪の崇高さ

崖にならぶものは聖白樺セントベッチユラアルバ

.

青びかり野原をよぎる細流

それはツンドラを載り

   (光るのは電しん柱の碍子(ガイシ)

夕陽にすかし出されると

その縁金の草の葉に

ごく精巧ないちいちの葉脈

   (樺の美童のうつくしさ)

黒い木柵も設けられて

やなぎらんの光の点綴

    (ここいらの樺の木は

     焼けた野原から生えたので

     みんな大乗風の考をもつてゐる)

にせものの大乗居士どもをみんな灼け

太陽もすこし蒼ざめて

山脈の縮れた白い雲の上にかかり

列車の窓の稜のひととこが

プリズムになつて日光を反射し

草地に投げられたスペクトル

 (雲はさつきからゆつくり流れてゐる)

日さへまもなくかくされる

かくされる前には感応により

かくされた後には威神力により

まばゆい白金環ができるのだ

   (ナモサダルマプンダリカサスートラ)

たしかに日はいま羊毛の雲にはひらうとして

サガレンの八月のすきとほつた空気を

やうやく葡萄の果汁マストのやうに

またフレップスのやうに甘くはつかうさせるのだ

そのためにえぞにふの花が一さう明るく見え

松毛虫に食われて枯れたその大きな山に

桃いろな日光もそそぎ

すべて天上技師

Nature氏のごく斬新な設計だ

山の襞のひとつのかげはは

緑青のゴーシュ四辺形

そのいみじい玲瓏トランスリューセントのなかに

からすが飛ぶと見えるのは

一本のごくせいの高いとどまつの

風に削り残された黒い梢だ

     (ナモサダルマプフンダリカサスートラ)

結晶編岩山地では

燃えあがる雲の動粉

     (向ふが燃えればもえるほど

      ここらのはなやなぎは暗くなる)

こんなすてきな瑪瑙の天蓋キャノピー

その下ではぽろぽろの火雲が燃えて

一きれはもう錬金の過程を了へ

いまにも結婚しさうにみえる

 (濁つてしづまる天の青らむ一かけら

  いちめんいちめん海蒼のチモシイ)

めぐるものは神経質の色丹松ラーチ

またえぞにふと桃花心木マホガニーの柵

こんあに青い白樺の間に

鉋をかけた立派なうちをたてたので

これはおれのうちだぞと

その顔の赤い愉快な百姓が

井上と少しびつこに大きく壁に書いたのだ

.

.

《オホーツク挽歌》

 噴火湾ノクターン

.

わかいえんどうの澱粉や緑金が

どこから来てこんなに照らすのか

   (車室は軋みわたくしはつかれて睡つてゐる)

トシ子は大きく眼をあいて

烈しい薔薇いろの火に燃やされながら

   (あの七月の高い熱……)

鳥が棲み空気の水のやうな林のことを考へてゐた

   (かんがへていたのか

    いまかんがへてゐるのか)

車室の軋りは二匹の栗鼠りす

    《ことしは勤めにそとへ出てゐないひとは

     みんなかはるがはる林へ行かう》

赤銅しゃくどうの半月刀を腰にさげて

どこかの生意気なアラビア酋長が言う

七月末のそのころに

思ひ余ったやうにとし子が言つた

     《おらあど死んでもいいはんて

     あのひゃしの中さ行ぐだい

     うごいで熱は高ぐなくつても

     あの林の中でだらほんとに死んでもいいはんて》

鳥のやうに栗鼠のやうに

そんなにしゃやかな林を恋ひ

   (栗鼠の軋りは水車の夜明け

    大きなくるみのきのしただ)

一千九百二十三年の

とし子はやさしく眼をみひらいて

透明薔薇の身体から

青い林をかんがえてゐる

ファゴットの声が前方にし

Funeral march があやしくいままたはじまり出す

      (車室の軋りはかなしみの二疋の栗鼠)

     《栗鼠お魚たべあんすのすか》

     (二等室のガラスは霜のやう)

もう明け方に遠くない

崖の木や草も明らかに見え

車室の軋りもいつかかすれ

いぴきのちいさなちいさな白い蛾が

天上のあかしのたりを這ってゐる

 (車室の軋りは天の楽音)

噴火湾のこの黎明の水明り

室蘭通ひの汽船には

ふたつの赤い灯がともり

東の天末は濁つた孔雀石の縞

黒く立つものは樺の木と楊の木

駒ヶ岳駒ヶ岳

暗い金属の雲をかぶつて立つてゐる

そのまつくらな雲のなかに

とし子がかくされてゐるのかもしれない

ああ何べん理智が教えても

私のさびしさはなほらない

わたしの感じないちがつた空間に

いままでここにあつた現象がうつる

それはあんまりさびしいことだ

   (そのさびしいものを死というのだ)

たとへそのちがつたきらびやかな空間で

とし子がしづかにわらはうと

わたくしのかなしみにいぢけた感情は

どうしえもどこかにかくされたとし子をおもふ

.

《風景とオルゴール》

 宗教風の恋

.

かさがさした稲もやさしい油緑ゆりょくに熟し

西ならあんな暗い立派な霧でいっぱい

草穂はいちめん風邪で波立つてゐるのに

可愛さうなおまへの弱いあたまは

くらくらするまで青く乱れ

いまに太田武か誰かのやうに

眼のふちもぐちゃぐちゃになってしまふ

ほんたうにそんな偏つて尖つた心の動きかsたのくせ

なぜこんあにすきとほつてきれいな気層のなかから

燃えて暗いなやましいものをつかまへるか

信仰でしか得られないものを

なぜ人間のなかでしつかり捕えようとするか

風はどうどう空で鳴つているし

東京の避難者たちは半分

いまでもまいにち遁げて来るのに

どうしておまへはそんな医されるはずのないかなしみを

わざとあかるいそらからとるか

いまはもうさうしてゐるときではない

けれども悪いとかいとかいとか云うのではない

あんまりおまへがひどからうとおもふので

みかねたわたしはいってゐるのだ

さあなみだをふいてきちんとたて

もうさおんな宗教風の恋をしてはいけない

そこはちゅど両方の空間が二十二なつてゐるところで

居られる場処ではけしてない

.

.

《風景とオルゴール》

雲とはんのき

.

雲は羊毛とちぢれ

黒緑赤楊はんのモザイツク

またなかぞらいは豹変の雲がうかび

すすきはくらつと光つて過ぎる

   《北ぞらのちぢれ羊から

    おれの崇敬は照り返され

    天の海と窓日おほひ

    おれの崇敬は照り返され》

沼はきれいに鉋をかけられ

朧ろな秋の水ゾルと

つめたくぬるぬるした蓴菜じゅんさいとから組成され

ゆうべ一晩の雨でできた

陶庵だか東庵だかの蒔絵の

精製された水銀の河です

アマルガムにさへならなかつたら

銀の水車でもまはしていい

不細工な

銀の水車でも

まわしていい

   (赤紙をはられた火薬車だ

    あたまの奥ではもうまつ城に爆発してゐる)

不細工の銀の水車でもまはすがいい

不細工の銀の水車でもまわすがいい

カフカズ風邪に帽子を折つてかぶるもの

感官のさびしい盈虚えいきょのなかで

貨物車輪の裏の空きの明るさ

    (ひのきのひらめく六月に

     おまへが刻んだその線は

     やがてどんな重荷になつて

     おまへに男らしい償ひを強ひるかわからない)

 手宮文字です 手宮文字です

こんなにそらがくもつて来て

山も大変光つて青く暗くなり

豆端だつてほんたうにかなしいのに

わづかにその山稜と雲との間には

あやしい光の微塵にみちた

幻惑の天がのぞき

またそのなかにはかがやきまばゆい積雲の一列が

こころも遠くならんでゐる

これら葬送行進曲の層雲の底

鳥もわああない清澄せいとうな空間を

わたくしはたつたひとりつぎからつぎと冷たいあやしい幻想を抱きながら

一挺のかなづちを持つて

南の方へ石灰岩のいい層を

さがしに行かなければなりません

.

.

《風景とオルゴール》

 昴

.

沈んだ月夜の楊の木の梢に

ふたつの星が逆さまにかかる

    (昴がそらでさう云つてゐる)

オリオンの幻怪と青い電燈

まあ農婦のよろこびの

たくましくも赤い頬

風は吹く吹く、松は一本立ち

山を下る電車の奔り

もし車の外に立つたらはねとばされる

山へ行つて木をきつたものは

どうしても帰るときは肩身がせまい

      (ああもろもろの徳は善処スガタから来て

       そしてスガタにいたるのです)

腕を組み暗い貨物電車の壁による少年よ

この籠で今朝鶏を持つて行つたのに

それが売れてこんどは持つて戻らないのか

そのまつ青な夜のそば畑のうつくしさ

電燈にてらされたそばの畑をみたことがありますか

市民諸君よ

おおきやうだい、これはおまへの感情だな

市民諸君よなんてふざけたものの云いひゃうをするな

東京はいま生きるか死ぬかの堺なのだ

、みたまへこの電車だつて

軌道から青い火花をあげ

もうさそりかドラゴかもわからず

一心に走つてゐるのだ

    (豆ばたけのその喪神さうしんのあざやかさ)

どうしてもこの貨物車の壁はぶない

わたくしが壁といつしょにここらあたりで

投げだされて死ぬことはあり得過ぎる

金をもつてゐるひとは金があてにならない

からだの丈夫なひとはごろつとやられる

あたまのいいものはあたまが弱い

あてにするものはみんなあてにならない

ただもろもろの徳ばかりこの巨きな旅の資糧で

そしてそれらもろもろの徳性は

善逝スガタから来て善逝スガタに至る

.

.

《風景とオルゴール》

 冬と銀河のステーション

.

そらにはりちのやうに小鳥がとび

かげろうや青いギリシャ文字はせはしく野原の雪に燃えます

バッセン大街道のひのきからは

凍つくたしづくが燦々(さんさん)と降り

銀河ステーションの遠方シグナルも

けさはまつに澱んでゐます

川はどんどん氷を流してゐるのに

みんなは生ゴムの長靴をはき

狐や犬の毛皮を着て

陶器の露店をひやかしたり

ぶらさがたつた章魚たこを品定めしたりする

あのにぎやかな土沢の冬の市日いちびです

(はんの木とまばゆい雲のアルコホル

あすこにやどりぎの黄金のゴールが

さめざめとしてひかつてもいい)

ああ、Josef pasterenack の指揮する

この冬の銀河軽便鉄道は

幾重のあえかな氷をくぐり

(でんしんばしらの赤い碍子《※がいこ?》と松の森)

んせものの金のメタルをぶらさげて

茶色の瞳をりんと張り

つめたく青らむ天椀の下

うららかな雪の台地を急ぐもの

(窓のガラスの氷の羊歯は

だんだん白い湯気にかはる)

パッセン大街道のひのきから

しづくは燃えていちめんに降り

はなあがる青い枝や

紅玉やとパースまたいろいろのスペクトルや

もうまるで市場のやうな盛んな取引です

.

     ノート20160827

著作権切れにつきノートさせていただきました。

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