掌編小説 パフェ・マルシェ ノート20150822
上野駅でその列車に乗ったとき、香水の匂いがしたので、不意を衝かれた感じがして振り向いた。
蒸した日の夜遅く。
六両編成の特別寝台列車のツアー客たちが十八番ホームに集まってきた。
長い髪にパナマ帽を載せ、双眸をサングラスで隠し、肩をだした黒いシャツに白地に花柄のスカート、白のハイヒールといった装いだ。――目的地にゆくにしては、ちょっと不自然なお嬢さんだ。
サングラスの伶人は一等室に入った。
僕は四人が眠れる二段ベッドになったカーテン仕切り部屋を予約している。
目が覚めている間はこの旅行につきあうことになった悪友とカードゲームをしたりして過ごした。
出発した列車は、残酷なまでに、寂しげになってくる風景のなかを北上してゆき、海岸線にある、赤煉瓦の古いトンネルを越え、本線から分岐した港湾引き込み線をつかって、潮騒港駅に停車した。
埠頭には魚市場があって、ふだんは港湾関係者と利用しているところだが、八月立秋を迎えたその日は、海水浴を兼ねたツアー客が都内から押し寄せてきた。駅とはいっても積み出し駅なので、旅客駅のようなホームはなく、せわしげにクレーンがコンテナを貨車に載せたり降ろしたりしているところなので、アルミ製の仮設階段が、列車・扉の前に備え付けられ、そこからツアー客たちは降りてゆくことになる。
潮騒港市場。
赤煉瓦の倉庫群が並んでいて、ライトに照らされた広い内部スペースでは、フォークリフトが動き回り、全長一メートルのマグロやらカツオやらが床にゴロンと置かれていて、仲買人たちが、競り落していた。
そこをすり抜け、ツアー客たちが、中央管理棟にむかってゆく。どういうわけだか真ん中が吹き抜けになった三階建てになっていて、一、二階が食堂街になっていた。気の利いたカフェバーが二階にあって、地ビールが置かれている。
展望用の大窓からは、水平線を貨物船やらタンカーやらが、行儀よく並んで、進んでいた。防波堤のゲートから、タグボートが丸いタンクを甲板に載っけたLPガス運搬船を曳航してきているのがみえる。
港から少し離れたところに、ゴルフ場付属ホテルが佇んでいる断崖下のプライベートビーチがある。――同乗した悪友は、宅配で送っていたサーフボードを受け取って、早速波乗りに出かけてしまった。
僕はといえば、展覧会にだす絵のモチーフになる風景を、スケッチをする感覚で、ライカのカメラに収める予定だ。
残暑の陽射しは昼でもわずかに黄昏てみえる。
カフェテラスの大窓に臨んだテーブル席に陣取った僕はブイヤーベースと地ビールを頼んだ。……店が混んできた。
そのとき、
「あのお、相席してもいいですか?」
上野のホームでみかけた香水の匂いがインパクトに残るサングラスの伶人だった。
彼女が注文したサンドイッチとビールをボーイが運んできたとき、夏休みにあわせてのサービスなのか、アロハシャツを着た年配の奏者がアコーディオンを弾きだした。
「素敵な曲ですね」僕がいう。
「そうですね」サングラスの伶人が答える。
あまりプライベートなことには踏み込まなかったけれど、絵の話とか、演劇の話、音楽の話をして盛り上がった。
帰りの旅では、波乗りを満喫して帰ってきた悪友と、列車のラウンジに三人並んでカードゲームをしたりして楽しく時を過ごした。
しかしミステリアスだったのは、サングラスの美女がなぜ、ツアーに一人で参加したかということだ。
でもけっきょく、〝真夏の夜の夢〟
彼女との関係は、残暑見舞いが一度きてそれっきり。――残念ながらそれ以上の進展はなかった。
ノート20150822