掌編小説 AIIB ノート20150426
「AIIB。――Arab Image Idle Brothers. アラブ・イメージ・アイドル・ブラザーズっすかあ。……やるな、アラブ。〝AKB48〟に対抗して、アイドルグループをつくったんすよね、先輩? やっぱ、宗教戒律の関係かな。ベールを被った女の子に歌わせると駄目なんで、ジャニーズみたいに男の子に歌わせているんだあ~」
東京・上野の山に咲き誇る、女優・木村佳乃ではないところの染井吉野の花が風と共に去ってゆき、八重の桜が毬のような花房を形作っていた。
上野から家電販売で賑わう秋葉原、さらに本の街である神田・神保町へと気の赴くままにむかってゆく。エキゾチックな正教会・ニコライ堂のドーム屋根がみえ、そこの鐘をききつつ、横道にちょっとそれてみる。すると、江戸時代の濠が穿ってあるところ・御茶ノ水にたどりつく。
御茶ノ水といえば、御茶ノ水女子大だ。禿げ頭で花のでかい博士が在籍していて、その気になればハーレムな研究室をつくれるというのに、なぜだか助手もつけず、孤独に、少年型ロボットの修理をしている。御茶ノ水博士と鉄腕アトム。(……なに馬鹿をいっているのだ)
それはともかく。
東京・御茶ノ水に、エレベーターもない年代物の三階建てビルが建っていた。そこが有限会社・東京倶楽部で、社名と同じ名の雑誌をだしているところだ。小さいながら戦前から存在している会社だ。学校職員室みたいな二階編集室には、ノートパソコンが置かれた机が部屋の真ん中に寄せられ、ずらりと並んでいた。ベテラン記者の佐藤と相棒の中居の二人は窓を背にした隣り合った席に座っていた。
AIIBの話題をしたのは、新聞を拡げた、小男の中居だ。
「ねえねえ、先輩。なにさっきから俺を無視してるんっすか?」
神田から御茶ノ水界隈は、蕎麦や中華食堂がいたるところにあるわけだが、それを必ず食べるよう東京都の条例で強制されているわけではない。中居の左隣の席で昼食〝王子様のラーメン〟をすすっている、ラグビー選手みたいにガタイのいい佐藤がいった。
「中居、おまえ、ウケ狙ってないか?」
「そんなことないっすよ。俺はいつでも直球勝負っすよ。違いますか?」
「そうか。じゃあ、一言だけいっておこう。――食事の邪魔をするな!」
AIIBとは、アジアインフラ投資銀行〝Asian Infrastructure Investment Bank〟の略称で、中華人民共和国・習金平国家主席政権が二〇一三年に提唱したアジアむけ国際金融機関のことだ。日本・米国主導で既存のアジア開発銀行・ADB〝 Asian Development Bank〟に対抗したもので二〇一五年に業務開始する。
アメリカにとって代わって覇権を握ろうとする中国側の揺さぶり対し、二〇一五年現在、アメリカが参加拒否し同盟国に同調を求めた。ところが、ブラジル、ロシア、インドのほか、オーストラリア、欧州各国といった西側陣営主要国までもが参加してしまった。野党・一部マスコミは参加すべきだと、アメリカに義理立てしている政府に圧力をかけた。しかし政府は参加拒否を表明した。
いろいろ憶測が飛んでいる。
五十パーセント出資するAIIB主宰国・中国の目的とはなにか。
東南アジア沖に眠るとされる油田地帯の確保、日本の海上交易路を抑えて東アジアの覇権を握るため、インドネシア、マレーシアなどの諸国に飴をやって、自国陣営に引き込む策略か。――そのあたりのところをラグビー選手みたいなガタイをした佐藤記者は、大前研一の説がもっとも得心がゆくと考えていた。
いわく、中国内部は景気減速している割に外国からの借金まみれで破産寸前だ。そこで企業・労働者ごと、海外に送りだしてなんとか体制を維持しようという腹だ。当然、一枚のピザのうち大半は中国がもってゆく。日本が参加すればブランド価値や技術・ADB運営ノウハウが中国側に転がり込む。しかし日本への見返りは一切れそこらで、失うもののほうが多すぎる。別に無理に参加しなくとも、現地で開発プロジェクトが発生すれば、日本独自にしかない技術があるため、必然的にお呼びがかかるだろう、とのことだ。
補足するような感じで、日本が慌ててAIIBに参加しないということは、同盟国アメリカに貸しをつくることができるという説もある。
面倒臭い話はさておき。
佐藤記者は好物のカップ麺〝王子様のラーメン〟を寡黙にすすっていた。背中で語る男である。
しかしカメラマンの中居は理解していなかった。
編集室の部屋の壁際に、人の丈よりもある大型エアコンが置いてあるのだが、稼働していない。会社のいうところのエコとは、エアコン代をケチるための方便である。……とはいえ、空けた窓から吹きこむ、春の終わりを告げる風は心地よい。
東京・御茶ノ水のランチタイムである。
(了)