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3、治療の末

「なんですか、あんなものを家に連れ込んで!!」


 ダニエルの母で、イヴの祖母であるリヴィーナは、テーブルの上にチーズの乗った皿を叩きつけて、そう叫んだ。


「あんたが獣人の研究に夢中なのはもう今更ですけどね、イヴが怪我でもしたらどうするの!?」

「いや、母さん、しかし」


 母親の剣幕に、ダニエルがたじろぐ。すでにイヴはよい子の寝る時間で、仕事終わりの彼は一人晩酌を楽しんでいるところだった。

 どうやら、孫を溺愛しているリヴァーナには、狼がつけた怪我のことを気づかれなかったようだ。


 そのことに、今日一番の安堵を抱いて、ダニエルはこほんと咳をした。


「そうは言っても、本当に酷い状態だったんだよ。もうそのまま処分されてしまうところを、偶然通りかかって……つい」

「つい、で、裏賭博の闘獣とうじゅうを連れてこないで頂戴!」


 今にも獣の青年が襲ってくると言わんばかりの勢いで、祖母は二階を見上げた。

 もちろん、そこに狼の姿はない。それどころか、客間からはカタリとも音がしなかった。


 あの後、ダニエルは包帯のまき直しに行ったが、威嚇されて彼に近づくことすら出来なかった。

 せめてと、食事は置いてきたが、あの様子では食べているかも怪しい。


「アルマさんが亡くなって、仕事で気を紛らわすのも分かるけど、もっとイヴのことも見て下さいな。可哀想にあんなに笑う子だったのに、めっきり口数も少なくなって」


 ダニエルが居間に置いている写真を見る。

 そこでは、春の野原を背景にイヴと同じブルネットの髪の若い女性が、微笑んでいた。

 彼の妻だ。2ヶ月前に病で亡くなった。


「アルマさんも、天国で心配しているわ」


 自分で言って涙腺が緩んだのか、そっと祖母は布巾で涙を拭った。


「……うん、そうだね。わかってる」

「わかってません!」

「ひいっ」


 ダン! とリヴァーナに机を叩かれ。

 悲鳴を上げたダニエルは、ひっくり返りそうになるのをなんとか堪えた。


「と、とにかく、イヴも彼のことを相当心配してるし、今、わけもわからず放り出したら、もっとしょんぼりしてしまうんじゃないかな」

「それは……」

「だから、しばらくうちで看病する」

「しばらくって、どれくらいですか」


 じろりと睨まれ居心地が悪いまま、ダニエルはワインを傾けた。


「怪我が治るまでに決まってるだろう」


 獣人は人間より体が丈夫で、快復力も強い。緊急手術ではもう駄目かとも思ったが、処置可能な状態だったことは本当に幸いだった。

 獣医師の権威であるダニエルから見れば、狼は峠は越えていた。

 あとは、感染症に注意をして経過を見れば大丈夫だろう。


「その後はどうするんです。うちでは飼えませんよあんな恐ろしい獣」


 母親の言葉に、ダニエルはそっと目を伏せた。

 今回の件の最大の矛盾は、そこにあった。


「……心配しなくても、僕は一時的に預かっているだけだ。彼の所有権は闘技場にある」


 死ぬほどの怪我をした彼を、また。


「怪我が治れば、狼はもとの場所に戻るよ」









 雨が降っている。


 全部が灰色になった景色の中で、傘をさした大人達が黒い塊になって墓地に集っていた。目を瞑って動かない、冷たい母親はたくさんの花と一緒に小さな箱に入れられた。


 その、箱が穴の中に埋まっていくのを、イヴは父親の隣でじっと眺めていた。


 死ぬというのがどういうものかはあまり分からなかったけれど、あの優しい母親と、もう話すことも、一緒に笑うこともできないということはわかった。

 会えなくなるのは嫌だと、泣いて泣いて、涙の涸れたイヴとは違って、父のダニエルは泣いていなかった。

 ただ口を結んで、怖い顔で過ごしていた。

 その表情を見ていたら、イヴの心に怒りがこみ上げてきた。


 悲しくはないのだろうか。

 もう、母に会えないのに、泣かずに怒っているなんて。

 だから、イヴは言ってはいけないことを、彼にぶつけてしまったのだ。







 子ども部屋で目を覚ます。

 外は雨が降っている音がした。だから、『あの日』のことを夢見たのだろうか。

 知らぬ間に涙がこぼれていて、イヴはベッドの上で毛布にくるまって小さく蹲った。

母親の名前を変更しました。

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