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ザ・タワー  作者: 蒼原悠
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第五夜






 死んだのは、業平嘉子だった。


「どうしてこんなことになってしまったんだか……」

 やれやれと首を振りながら、本所が事故現場へと連れて行ってくれた。どうやら彼女は、移動中に自動車事故を起こしたらしい。

「東上ビルによれば昨日の夜、イーストライズタワーの視察に出向いたそうなんですわ。で、その帰り道で事故ったらしく……」

 迷惑な話ですよ、ただでさえ事件が立て込んでいるのに。そう言うと、本所は前方を指差した。工事現場の周りを取り巻くフェンスがそこだけ大きく拉げ、ぐしゃぐしゃに捩れている。

 聞けば、事故車両は既にレッカー移動してしまったのだという。死体はとても見せられない、と本所が何度も繰り返すので、友美も止めておく事にした。

「どうも調べてみたところ、先日亡くなっていた駒形百合花さんは、駒形さんと今回亡くなられた業平さんの不倫の結果産まれた子どもだったようなんです。判明したのが昨日の夜遅くでしてね、その頃には既にこうして死んでいた訳ですが」

「不倫……ですか」

「ええ。親権は駒形さんにあったようですよ」


 そうか。

 それで、全てが完璧に繋がった。

 昨日少女が消えたのは、第三の悲劇を起こすため──実の母を、殺すためだったのだ。

 いよいよ復讐劇説が現実味を帯びてきた。いや、となると次に少女がターゲットにするのは誰になるだろう。

 彼女の日記を、友美は思い返してみる。許さないと言っていた相手は確か、両親やタワーを賛美する街の人々だったはず……。


「どうしよう……!」

 居ても立ってもいられない。だが、非力な自分に一体何が出来る。立てられる対策は人々をあの塔から遠ざけることしかないが、友美一人が避難の必要性を説いたところで誰も動くまい。いや、そもそも幽霊だという所から信じてはくれないだろう……。



 はっ、と気づいた。

 違う。考えるべきはその逆だ。

 少女を説得するのだ。これまでの傾向から、復讐行動に移るまでには最低でも二日がかかっている。ならば今夜はまだ、説得に充てられる。

 どうすれば応じるか。そんなのは、分からない。だが、何もしないでいる訳にもまたいかなかった。少なくとも墨田区民数十万人の生命がかかっていると見るべきなのだ。


「私に、かかってるんだ……」




 まずは、少女についての事を知っていなければなるまい。

 友美は直ぐ様、駒形家へと向かった。本所の名前を出すと、あっという間に警官は道を開けてくれる。本所、実は大人物なのだろうか。

 家の中は相変わらず酷い臭いがしたが、構わず友美は室内を探し回った。レシート、持ち物、果てはテレビの録画番組まで。少女の生活が分かる全ての情報を、かき集めた。


 駒形百合花は、不倫で産まれた子どもである。

 生まれて直ぐに、業平は駒形に百合花を押し付けてしまったようだ。最初のうちは駒形は百合花を可愛がっていたらしい。幼児期の子育てにはある程度取り組んでいた形跡がある。

 が、大きくなるにつれて必然、待遇は悪くなってゆく。昨日、本所は少女の身体に多くの打撲痕や痣があった事を電話で伝えてきたが、それに用いたと覚しいバットや棒、鈍器の類いも既に見つかっている。

 保育園にも幼稚園にも通わせて貰えぬまま、百合花は六歳になった。小学校には通えていたであろう事は、ランドセルがある事から間違いない。本当なら、小学校が彼女にとっての支えになり、避難場所になるべき場所であったのだろう。

 しかし、そこでどんな生活を送っていたのかは、そのランドセルを見れば一目瞭然であった。それは自然になったとは思えぬほど、傷だらけだったのである。

 日記には、学校でいじめを受けていた事も書かれていた。事実、教科書はみな落書きが酷く、鉛筆は折れ曲がり、消しゴムはどこにも見つからない。そして家でのサポートなど、当然のように無かったのだ。

 この頃、イーストライズ東京計画の現場監督に任ぜられた父は、頻繁に家に帰らぬ日々が訪れるようになる。しかも仕事場で寝泊まりしていたのではない、どうやら業平の自宅に上がり込んでいたようなのである。餓えや渇きに百合花は喘ぎ、学校も休みがちになる。しかもその異常に担任の教師は全く気がついていなかった事が、給食費滞納を非難する連絡帳の文章にはありありと見てとれた。


 そして、日記は八歳の誕生日で止まっている。

 この十日前から父が帰っておらず、家の中の食べられるものも終に枯渇していたと見られる。いや、ガムテープで外から封鎖されていた事を考えれば、初めから餓死させるつもりだったのかもしれない。

 イーストライズタワーの影になり薄暗い家の中で、限界の少女は、最後のページにこう書き残していた。


[助けて……。

暗いよ……。怖いよ……。

誰でもいいから、助けてよ……]


 比較的保存状態のいいそのページには、何滴もの水が跳ねた跡が残っていた。


 小学校の側も、薄々異常に感づいてはいたようだった。いじめを受けていた事は百合花が休んでいる間に発覚し、加担した多くの児童を担任は叱りつけたという。が、肝心の本人が全く現れない。家の電話も、通じない。

 そこで父のケータイに連絡がいく訳だが、百合花の死後、父は「病気だから」と小学校には説明していたようだ。訳の分からない病名を並べ立てられ、学校側はすごすごと引き下がってしまっている。

 あまりにも外に出して貰えなかったため、周辺住民も百合花の存在は認知していなかったようだ。また、厳重なガムテープによる閉鎖のため腐臭が外に漏れる事も無かった。発見など、される筈がなかったのだ……。




──まだまだ、知らなきゃいけない事がある。

 夕暮れの街を歩きながら、友美は拳を握った。イーストライズタワーが、灰色の影を落としている。

──小学校には当たった。いじめていたっていう子たちを当たる必要もあるかもしれないけど、それはまぁ……後でいい。

 亡骸を弔ってあげるのも必要だ。この辺りで、そういう身寄りのない人向けのお寺を探さなきゃ。お葬式代くらい、私が出せる。

 明日も明後日も、きっとこの街を駆け回るんだろう。でも、構わない。あの子の人生は、悲惨過ぎたんだ。新たな死を生まない為にも、私が努力してあげなきゃ。あの子の人生を知ってしまった人として。


 まだ、歩けるな。

 腕時計を確認した友美は、赤信号の前に立った。






 どん。



「あっ……」

 突然だった。

 背中を、圧されたのだ。

 よろけた友美は、道路に尻餅をつく。鈍い痛みが走り、顔を歪めながら友美は後ろを振り返った。


 真っ白な服──否、下着を身につけた少女が、そこに立っていた。

 口を大きく横に開いて、少女は笑っていた。長い髪が風に靡いて、瞳が一瞬だけ覗いた。


 どす黒い赤色に血走った、その眼が。


「百合花ちゃ────」

 友美の声は、横から飛んできた凄まじいブレーキ音に掻き消される。

 悲鳴が、轟音が、耳を劈いた。身体がバラバラになるような感覚と共に、視界が宙を舞う。真っ赤な液体が花を咲かせ、次の瞬間には頭の中が全て真っ白に染まった。



 数日前に老婆に言われた事が、頭を過った。






 ああ。




 私────────









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