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ザ・タワー  作者: 蒼原悠
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第二夜





 翌日の事である。

 本所のケータイから、電話があったのは。


「今日も事故現場の検証が行われるんですがね」

 彼はそう前置きしてから、こんな提案を持ちかけてきたのだ。

「実は私、ちょっと偉い立場なんですわ。向島さんの取材許可、取り付ける事が出来るくらいにはね」

「ぜひお願いします」

 即答していた。



「うわぁ…………」

 ヘルメットを被った友美は、苦い声を漏らした。

 現場、即ちヘリが落下し大破炎上した場所は、鉄骨が大きく撓み、あちらこちらに焼け焦げた跡や壊れた部品、皹が点在している。無惨と言う他ない。

「国交省の事故調査委員会も来てるんで、ちょっと騒がしいですけどね」

 そう言うと、はっと思い出したように本所は付け加える。「そうそう、後で現場監督さんも来られるみたいなんで。取材なさるならチャンスかもしれないですよ」

 それは好都合だ。その言葉に期待して、友美は待ってみる事にした。


「……ここに叩きつけられたんだ」

 現場を眺めるたび、墜落の瞬間の()が脳裏を過る。

 菊川は、大学時代からずっと仲の良かった友人だった。いや、ライバルと言ってしまっても過言ではなかっただろう。常に切磋琢磨する仲間であり、目標だった。同じ新聞社に入って部署は別れたけれど、いずれは上の役職で会おう──。そう、決めていたのだ。

 だからこそ感じる、この喪失感なのだろうか。


 痛かっただろうな。

 辛かっただろうな……。


「………………」

 黙って唇を噛みしめていると、向こうから歩いてくる人影が目に入った。

「おや、貴女ですかな。産建新聞の記者さんと仰有るのは」

 会ったことのない人物だ。誰だろう、と思いかけて友美は思い出す。そうか、この人が現場監督とやらなのか……?

「初めまして、ですな。イーストライズ東京──西墨田駅前地区再開発事業、現場監督の駒形と言います」

「あ、どうも。産業建設新聞の向島です」

 名刺を交換すると、現場監督──駒形宣彦は言った。「警察の方から話は聞いてます。事務所の中ででも、お話ししましょうか。ここは景色が悪い」

「え、ええ……」




 駒形は、恰幅のいい大柄な男だった。真正面に座ると、威圧感が恐ろしい。

「事故の事は、残念でした。御社の記者さんが、犠牲になったそうですな」

 そして、物腰も丁寧である。

 友美は少し、ほっとした。この手の人と接するのは、実はあまり得意ではないのだ。

「ああ、いえ。今日伺ったのは、現場を少々見せていただきたかったからだけです。写真で見るのとでは、やはり違いますから」

 そう言うと、駒形はにこやかに笑って返してくれる。「お気に召しましたかな」

「はい。と言いますか、門外漢の私が見ても何が何やら……」

「ははは。それはそうでしょうな」

「上の方はどうなっているんですか?」

「実は、そこがまだよく分かっておりませんでな。なにぶん衝突箇所が最上階で、しかも建設中なもので。事故以来、まだ誰も上には上っていないんですよ。外からヘリコプターで目視はさせて貰ったんですがね」

 がりがり、と駒形は頭を掻く。「今夜あたり、作業員と現場に上ろうと思っとります。早急に現状を確かめて、修繕に入らなければ。只でさえ建設が滞っているのに」

 そうですか、とだけ言葉を返すと、友美は窓を覗き込んだ。建設現場全体を見渡せる事務所の窓からは、遥かな天空に伸びる塔までもがばっちり見える。


「駒形さんも、幽霊の噂をご存知ですよね」

 そう尋ねると、駒形はああ、と笑った。「噂も何も、事実なんでしょう? フライトレコーダーに声が残ってるとか……」

 警察から、既にその旨の話は聞いているのだろう。ならば話が早い。友美はさらに問いかける。

「その“幽霊”、駒形さんは誰だと思いますか?」

「さあねえ……」

 暫しの間、駒形は考えていたようだったが、首を振る。

「覚えがないですな。起工式からもう何年も経ちますが、この現場では死亡事故はおろか、怪我人さえ出したことがない。なる理由がありませんからな」

「ゼロ、ですか」

「ええ」

 にやりと駒形は笑う。「誰も失敗をしない、絶対安全のもとにこのビルを完成させる。それが我々の使命ですからな。幽霊だなんて冗談じゃない。そんなモノが本当にいるのなら、この私が出ていってぶん殴ってやりますよ。このビルに不吉な話題を持ってくるんじゃねえ、ってね」

 冗談に聞こえない辺りが、何とも怖い。幽霊って殴れるんだろうか、と友美はどうでもいい事に思いを馳せる。


「貴女は、あの塔をどう思われます」

「あの塔──イーストライズタワーですか」

「ええ」

 駒形の言葉に、友美はタワーをまた眺めた。

 上から見ると三角形をしているのだというその摩天楼はしかし、地上から見るとがっしりして強固に見える。

「何と言えばいいのか……。不思議な力を感じますよね。見たこともないような圧倒的なサイズですし、存在感の賜物なんでしょうか」

 そう言うと、ははっと駒形は爽やかに笑った。笑顔の多い人だ。

「まあ、そんなところでしょうな。外装も完成していないし、最上部には無粋なタワークレーンが突き刺さっていますからな。きっと完成した暁には、もっと違う印象を与えてご覧に入れますよ」

 何だか申し訳ないような気がして少し俯くと、駒形の声がテーブルに反射する。


「私はね、昨今の超高層ブームには反対なんです。どいつもこいつも、高さを追求する気がない。面積が欲しい、見映えを良くしたい、シンボルが欲しい。そんな理由で建てられる超高層建造物が、多すぎるんです。丸ノ内や臨海副都心のビル群の、なんとつまらないことか。あんな積み木を並べ立てたような光景に、都会人はきっと飽き飽きしているはずだ。

我々の会社が目指すのは、地域に愛され、人々の心に残る建造物なのです。その為にも、タワーはただのシンボルであってはならない。無限の高みを目指し、人々の希望となる存在でなければならないと思っています。元来、塔とはそうした役割をもって生まれてきた建物のはずですから。

その実現の結果が、日本最高峰を誇るあのイーストライズタワーなんですよ」




◆◆◆




「──面白い話では、あったんだけどなぁ……」

 ぽつり、そう溢すと友美は小石を蹴った。

 今日も、戦果無しか。静かな焦りだけが、早くも友美を追い詰め始めている。

 現場を離れた友美は、ついでの足で開発元の会社である東上ビル株式会社へと向かい、開発責任者とも会って来たのだった。産建新聞の名前を掲げただけで大抵の建設関係の場所には乗り込める。自分の肩書きに、今はひたすら感謝するばかりだ。

 責任者の女性は、業平嘉子と名乗った。彼女も幽霊の噂は耳にしていたものの、心当たりは全くないという。そればかりか、大真面目に語る友美を笑い飛ばした。曰く、幽霊なんて本当にいるはずがない。貴女は子供かと。

 確かにそう言われてしまうと、反論のしようがない。本当に幽霊がいるという根拠など、どこにも無いのである。

「疲れたなぁ……」

 自分の影が、青白い光を放つ街路灯の反対側に伸びていく。もう何日辿ったか分からない、いつもの家路だ。

 今思えば、幽霊などという非日常的な話題に自分は食いついていただけだったのかもしれない。


 弱気になりかけた、

 その時だった。




 ぞわり。

 突然、背中を這うように寒気がやって来たのだ。


「……!」


 友美は後ろを振り向けなくなった。

 さっきまでは聞こえなかった、誰かの足音がする。静寂の中、それは確かに友美へと迫ってきている。

 間違いない。後ろを、誰かがつけているのだ。

 だが、それを確かめる術はない。振り返ってその正体を目にする勇気は、友美にはない。あったら苦労なんてしない。

「…………」

 ただ黙って歯を食い縛り、目的地を目指す。ひたひたと聞こえる音は、耳に入れないように。

 そうやって、一分も過ぎた頃だろうか。ふと見上げた場所には、カーブミラーがあった。


 そこには、映っていた。

 蒼褪めた表情でカーブミラーを見つめる友美の後ろに、浮かび上がるように佇む少女の姿が。

 口をにいっと横に開いた、少女が……。


「きゃぁあああああああああああああああっ!!」

 もう駄目だった。

 友美は全速力で走り出した。腰が抜ける前で、本当によかった。

 本物に出くわすなんて! 私、なんて不運なんだろう!

 そう自分を呪いつつも、無我夢中で走った。ただ、ついて来れないように。走って走って走った。

 やがて、後ろからの足音は止んでいた。


「はぁ……はぁ……」

 家に辿り着いた友美は、思いっきり勢いよくドアを閉める。

 家中の明かりを灯し、テレビもラジオもパソコンも起動する。

 そのまま、ベッドに倒れ込んだ。

──幽霊、だった……。

 胸の中で呟く。

──私が幽霊の事を調べてたから、出てきたのかな……?余計な事するな、とでも言いたかったんだろうか……?

 いやいやちょっと待ってよ、と理性が口を挟む。ただ、後ろを女の子が歩いてただけじゃない。幽霊だなんて、早とちりな解釈過ぎないか、と。

 確かにそれもそうだ。だが、あの時の友美に冷静な判断など出来るはずはなかっただろう。


──そうか。女の子だったな。

 ふと、友美は考えた。

──ビルの屋上で菊川くんが見たのも、女の子だったんだっけ。もしも、あれが本当に私をつけ回す幽霊だったのなら、それは同一人物……?

 そこまでで思考が止まった。テレビの放送が大きな音を立て、友美がびくっと跳ね上がったからだ。

──今日考えるのは、止めにしよう。

 潜り込んだ布団の中で、友美はそう心に決めたのだった。







 既に、遅かった。

 そう気づいたのは、翌日になってからであった。




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