檻の中の夢
1
檻の中にいる。
ぞっとするほどの冷気と無機質な壁。
それらに覆われたモノクロの世界。
ただひとつ外界と繋がっているのは痛いほど冷たい鉄格子からみえる景色のみ。
普通ならその先の景色も同じような檻なのだろうが、事情は少しだけ違った。
打ち付けのコンクリートの壁に硝子張りの小窓がひとつ。
脱出の目論みを抱かせる僅かな希望。
けれど私はそんなことは考えない。
ただの退屈しのぎにさえなればなんでもよかった。
自由が欲しいんじゃない。
暇を潰す手段がほしいだけだ。
視線を小窓に向ける。
闇色の世界とそこに浮かぶ赤い月。
いつもの、そして蟲惑的な美しさを放つ飽きない景色。
ずっと見ていたい。
ずっと、ずっと。
そうすればもう夢を見なくて済むから。
けれど時間の経過による体力の消耗は避けられない。
今宵もひたすらに闇夜を見続ける時間が終わる。
そして、夢の世界が始まる。
現実的な質感と痛みを伴った夢の世界。
あぁ、またあれを続けるのか。
鼻をつんざく異臭と耳鳴りを起こす甲高い金属音。
粉っぽい空気とノイズまじりの視界。
思い出すだけでも吐き気を催す。
けれど身体はその待ったを許さず、意識を奈落へ持って行く。
最後に見えた光景はくっきりとした深紅とは程遠いぼやけた赤色だった。
2
瓦礫の山々を走っている。
鉄も鋼も肉も命も平等に踏み潰して、蹂躙してただひたすらに走り続ける。
目的は明瞭にして簡潔。
言葉にして僅か一言。
行為にしてわずか一秒にも満たない。
砂塵が舞う。
それを己が引きこしたものかそれとも、他の存在が引き起こしたものか。
思案する必要もない。
右腕を掲げ、弾丸を撃ち出す。
紫電が砲身を走り絶縁体と化した凶弾を目標へ放つ。
初速のほどは十二分。
生き物なら十分に挽肉に可能。機械であろうと確実に損傷を負わせられる加圧がそこに生じる。
着弾地点で砂埃と赤い噴水が発生する。
オアシスにするには不足気味な質量と不快な濁った赤。
私はこの色が嫌いだ。
断言しよう。
私はそれを憎悪する。
それを生み出す存在も。
そしてそれに加担する己自身も。
行いは続く。
どこからともなく狙撃を受けた。
着弾から距離を予測。
そこに地対地ロケットランチャーをぶち込む。
待ち伏せからの飽和攻撃を受けた。
人数は二桁には届かぬ悲しいお遊戯。
左腕のマシンガンを砲身が焼けるまで撃ち尽くす。
爆弾を巻きつけた二足歩行の存在がこちらに走ってきた。
そして、弾けた。
耳障りな音が響き、不快な赤が身体に付着する。
憎悪と嫌悪が入り混じる。
けれど文句も言えない。
言っても仕方がないのだから。
これは夢の世界。
全部嘘で空虚な幻想。
どんなに不快でも気持ちが悪くてもそれは偽物なのだから気にする必要はない。
そう、いい聞かせる。
そうでもしないと狂ってしまいそうだ。
こんな不浄の地をひたすら走り、行為を続ける。
いつ終わるともしれない苦行。
その結果何が待っているのかも知れずただ延々と作業を行う時間。
それは生きているとは言わない。それは駆動だ。同じ作業と同じ工程をひたすらに繰り返す機械の存在理由だ。
断言すると同時に馬鹿馬鹿しくなる。
夢の中の行いなど所詮脳内麻薬の生み出す機械仕掛けに過ぎないのだと知っている自分がいるからだ。
思考に蓋をする。
行為の継続に切り替える。
どうせ、これは夢。
現実のまがい物。
だから何をしようと知ったことではない。
そんな風に割り切ることにした。
命を踏み千切り、建造物を破砕し、未来を奪い、過去を傷物にする、し続ける。
終わらず、途切れず、繰り返す。
そうしているうちに夢が醒める。
最後に見た光景は夜空に浮かぶやけにくっきりとしたまるい光だった。
3
「お帰りなさい」
声が聞こえる。
「そう、調子よさそうだね」
誰と話しているんだろう。
「途中で駆動が止まることが、ねえ」
機械の不調の話だろうか。
「君はこの子達をどう思う?」
声の主はその機械に対しよてよほどの愛情を抱いているのだろう。
「まぁ君にとってはそんなものだろうね」
対して会話の相手はそれほどの感情を抱いてないと思われる。それが普通の対応とも思えるが。
「ねぇ、君は電気羊の夢ってあると思う?」
著名な古典SFにそのような言葉があった気がする。中身はうろ覚えだが。
「へぇ意外にロマンチストなんだね。少し見直した」
相手は予想外にそういうことを信じるくちのようだ。
「私は逆かな。それも結局はプログラムの範疇だと思うね。けれどその真贋を見極めることは不可能に近い。何しろ夢なんてものはひどく主観的な物の見方だから」
夢。
そう、夢。
私にとっての夢とは何なのか。
「ま、結局のところ夢を見たところで何も変わらないよ」
赤い月。
赤い水。
「この子達の役割にそんな感傷は必要ないのだから」
音声が、終わった。
電源を切るような潔さで。
ブラックアウトという表現がもっとも適切なのだろう。
けれど今はその表現を使いたくはない。
使えばまるで私が、そういうものみたいに思えてしまうから。
だから、私は眠ると呼ぶ。
あるいは覚醒とでも呼ぼうか。
どちらにしても逃避には違いない。
意識が、落ちた。
4
檻の中にいる。
小窓から見える景色は相変わらず。
赤く燃える月と黒く穏やかな闇。
はて、私は何をしていたのか。
しばしの思案の後思い返す。
またいつもの悪夢を見たのだ。
汚らしい瓦礫の街とそこで行われる無機質な行い。
ため息が漏れる。
繰り返される毎日。
同時に満たされている毎日。
代わり映えのしない毎日。
終わりを知らない毎日。
そうか、これは天国というのかもしれない。
永遠に満たされた世界に存在し続ける祝福。
あるいは煉獄。
くだらない苦しみを繰り返すだけの罪過の処分場。
けれど私は飽きずにここにいる。
ここでこうして小窓の景色を見つめ続ける。
何故か、と問われても困る。
それが好きだから、としか答えようがない。
いつまでも飽きずにいられる行いだから飽きるまで続ける。穴が開くようなことはないけれど、それくらいには繰り返している。
ぐるぐる、ぐるぐる
けれどそうした幸福の代価とでもいうように夢は私に醜悪なものを見せ付ける。
薄汚れた地獄とそれをさらに深める己が行い。
ぐるぐる、ぐるぐる
そしてまた瞼が重くなる。
楽しい時間のあとは苦痛の時間が訪れる。
分かっていても抗うことはできない。
だから、考え方を改める。
これが終われば、また
「おはよう、2号機。今日もたくさん壊してきてね」
聞き覚えのある声が聞こえたが、もうその時には私の意識は遠い彼方だった。
散文ちっくになったのはご愛嬌。