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迷信の生贄花嫁、食べられると勘違いしたまま竜王陛下の溺愛が始まって戸惑ってます~食べるって物理的な意味ですよね?~  作者: 小蔦あおい
第1章

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第4話 竜王陛下


 居間に花瓶を飾り終えた後、フィリーネは廊下を歩く。

 アーネストが来るのは正午の予定だが、速やかに地下に戻っておく必要がある。彷徨いて下手にミリーネの顰蹙を買いたくない。

 歩みの速度を上げていると、前方にお腹を押さえて蹲る侍女がいた。


「どうしました? 具合が悪いのですか?」

 駆け寄ったフィリーネは覗き込むようにして尋ねる。

 侍女の顔色は悪かった。


「フィリーネお嬢様……その、お腹が痛くて」

 フィリーネの不思議な力は、ストレスや不安といった精神面から来る症状は和らげられても、身体面から来るものに関してはフィリーネには対処できない。

 したがって、マーシャの時のように助けてあげられない。


 フィリーネはただ優しい言葉をかけるしかなかった。

「それは辛いですね。どうか早く休んでください」

「いえ。書斎の窓拭きが終わっておりませんので」

 侍女の足元には水が張ったバケツに雑巾がかけられている。フィリーネはバケツをちらりと見てから、侍女に視線を戻した。


 額に脂汗を滲ませて痛みに耐えている。この状態で仕事を続けさせるのは忍びない。

 他の使用人たちはまだ忙しなく働いていて、この侍女の体調不良に気づいていなかった。

 アーネストの来訪もあり、皆いつもより念入りに作業をしている。したがって、現状手を貸せるのはフィリーネしかいなかった。


(書斎の窓拭きだけなら大変じゃないですし、時間までには間に合います)

 地下にいるようミリーネに言いつけられていたフィリーネだったが、体調が優れない彼女を見捨てられなかった。


「窓拭きなら私にもできますから、どうぞ休んでください」

「すみません、お嬢様。ではお言葉に甘えさせていただきます」


 侍女と別れたフィリーネは、書斎へ移動しててきぱきと窓拭きを始める。

 書斎の窓はそれほど枚数は多くない。丁寧に拭いても正午までに間に合うだろう。


「今日はお天気が荒れそうですね」

 手を動かしながら、フィリーネは外の景色を眺めた。


 季節の変わり目ということもあり、厚い雲が広がってどんよりとしている。

 そして、その雲の下には君主と許された家臣だけが暮らせる空中都市――空都が宙に浮いていた。


 実を言うと、オルクール王国を統治しているのは人間ではない。竜人という種族だ。

 彼のもとで国民は他国から守られ、平和な生活が送れている。



 竜人族は人間よりも長寿で三千年ほど生きられる。彼らのほとんどは空都よりさらに上空にある、天空の国に住んでいるらしい。しかし、オルクール王国の竜王陛下は天空から降りて来て人間に手を貸してくれている。


 とはいっても今代の竜王陛下――シドリウスは冷酷無比な君主で有名である。

 ――現竜王陛下に逆らってはいけない。人間とは違い、温情の欠片もないお方だから。


 シドリウスは気に食わない貴族たちを見つけては次々と一掃した。中でも先代・ギデリウスの腹心たちへの圧力は激しかったらしく、彼らは粛正されて爵位も剥奪されてしまった。当時有力だった貴族の大半は見る影もなく、結果として『冷酷無比』の異名がついた。

 また、噂では顔色が悪くて爬虫類をぺしゃんこにした醜男だと言われている。



「そういえばお妃様、竜王陛下の番はまだ見つからないのでしょうか?」

 フィリーネは率直な疑問を口にした。


 シドリウスはここ百年ほど番を見つけるために世界中を飛び回っている。もともと竜人族の数は少なく、彼らは一生をかけて番を探し出す。

 竜人族の間で番が見つけられたら安泰なのだが、見つけられなかった場合は番が人間である可能性が高い。そのため、竜人族は天空を降りて人間の番を探し回る習性がある。


 シドリウスがオルクール王国を統治して二百年ほどの時が経つが、彼の場合は最初に有力貴族を粛正してしまったために政治が機能しなくなり、国が安定するまでは番探しどころではなかった。

 しかし、百年前にようやく国が平定したので専念できるようになったらしい。


 シドリウスが番探しをしている間、国政を任されたのがランドレイス家だ。

 ランドレイス家の者は代々品行方正で模範的だ。他の貴族は公爵家に一定の評価を示しており、信頼を寄せている。国民からも不平不満が爆発したことはない。


 したがって、ミリーネの婚約者であるアーネストも結婚相手には申し分ない人物だった。

 窓を拭き終えて書斎を出る頃には篠をつく雨が降り始めた。



 気温と湿度の変化でフィリーネがかけている眼鏡のレンズは曇った。

 フィリーネはバケツを一旦床に下ろす。


 眼鏡をはずして服の袖で曇りを取ろうとすると、うっかり眼鏡を大理石の床に落としてしまった。眼鏡は数メートル先まで滑っていく。



「め、眼鏡が!!」

 フィリーネは視力が悪い。


 もともと悪くはなかったが、五年前から針仕事を始めたのを機にガクッと落ちてしまった。それ故に、近くのものは眼鏡なしでも見えるけれど、遠くのものはぼんやりとしか見えない。

 ハビエルに報告すると渋々ながらに眼鏡を買い与えてくれた。その代わり、眼鏡代を上乗せするように仕事量は増やされてしまったが……。



 フィリーネは目を凝らして滑っていった眼鏡を探す。

「大変です。眼鏡がないと何も見えません! どこへ行ったのでしょうか」

 しゃがんで手探りで探していると、高価な革張りの靴が視界に入る。それは男性もので、綺麗に磨き上げられていた。


 一瞬、ハビエルかと思ってフィリーネの心臓が大きく跳ねる。しかし、先ほどの朝食で数日出かけると言っていたので彼ではない。

 では、この立派な靴は誰のものだろう。疑問を抱くと同時に上から声が降ってくる。


「これを探しているの?」

 聞いたことのない男性の声だった。

 目の前にはフィリーネが落とした眼鏡が差し出されている。

「はい、私の眼鏡です!」


 フィリーネは元気よく返事をしてパッと顔を輝かせる。

 相手が誰かという疑問は吹き飛んだ。そんなことよりも大事な眼鏡が見つかったのだ。

 これで遠くのものがしっかり見えるし、胸を張って歩いていける。

 フィリーネは両手で眼鏡を受け取った。これでもう安心だ。


「ありがとうございます。困っていたので助かりまし……」

 眼鏡をかけて顔を上げたフィリーネはピシリと固まった。


 目の前にいるのは、触ってみたくなるようなふわふわとした亜麻色の髪に、深緑の瞳をした青年。

 小柄そうに見えるがフィリーネが立ち上がるとそれなりに上背があり、品の良い紺色のコートがよく似合っている。


 フィリーネはこの青年をよく知っていた。


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