第15話 つけ合わせにハーブ
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「フィリーネ様、ここで何をしてるの!?」
緑に囲まれた中庭でフィリーネがつば付き帽子とエプロンをつけて作業をしていると、後ろからヒュドーが声を張り上げてきた。
初春を迎えた中庭は長い冬を乗り越えた木々から深緑が芽吹き青々としている。ブルーベルの青い花が見頃を迎えて景色に鮮やかさが増していた。
しゃがんで作業をしていたフィリーネはスコップを持ち直して立ち上がる。
「見ての通り鉢に苗を植えて家庭菜園をしておりました!」
フィリーネはにっこりと笑みを浮かべて元気よく答える。
ここでの生活を始めて二週間が過ぎた。
最初こそ屋敷仕事をしなくて良いことに戸惑いを覚えていたが、だんだんとこの生活にも慣れてきた。
カロンはいつも献身的に支えてくれるし、シドリウスは必ず食事を共にしてくれる。
ヒュドーもこうやって時間を見つけては話しかけてくれるので親切だ。
おかげでフィリーネはアバロンド家で暮らしていた時よりも豊かで穏やかな生活を送れている。
(湖に落ちて死ぬ運命だったはずが、まさかこんな幸運に恵まれるなんて)
高揚感に浸っていたら、頭の隅でもう一人の自分が警鐘を鳴らす。
というのも、生贄の花嫁になったのにシドリウスがフィリーネを欲しそうにする素振りがちっともないからだ。本当に成人したら食べてくれるのか疑わしくなる。
フィリーネは会うたびに味見はどうかと尋ねているが、返ってくる答えはノーだった。
(まあ、体重は増えていませんのでそそられないのかもしれませんが……味見をして美味しいと分かった暁には一気に召し上がっていただきたいですね)
たった数ヶ月、されど数ヶ月。
その間にこの世に未練が残ってしまったら、フィリーネの覚悟は揺らいでしまう。だから一刻も早く、シドリウスに食べてもらいたいのだ。
(このまま大人しく待っていても仕方ありません。できることから始めていきましょう)
フィリーネは少しでもシドリウスの食指が動くよう、新たな対策を講じている。それがこの家庭菜園だ。
「僕が気になるのは、家庭菜園で育てようとしている品種だよ。それは明らかに雑草だよね?」
ヒュドーはフィリーネの鉢植えを指差した。
植わっているのはタイムにミント、セージ。どれもハーブで、ヒュドーが言うように屋敷の周りに生えている雑草ばかりだ。
「雑草ではありません。ハーブです。香りづけにぴったりなんですよ」
「へえ。でもそれ、どうするつもり?」
よくぞ訊いてくれた、と言うようにフィリーネは自信満々に眉を上げる。
「当然、シドリウス様に私を美味しく召し上がっていただくために決まっているじゃないですか。やはり風味づけがあるとワンランク上がると思うんです!」
「待って待って。フィリーネ様はこの間、僕が遠回しに言った表現をド直球で受け止めてない!?」
ヒュドーは面食らった。自分が食べると表現したせいで、フィリーネがシドリウスに物理的に食べられると信じているのではと心配になった。
ヒュドーは口を開きかけては閉じるを繰り返す。やがて、困ったという風に頭を掻いた。
「ええっと。どう訊いたらいいんだろう。本当に分かっているのか確認を取りたいけど、あけすけな言葉だとフィリーネ様に恥をかかせてしまうよ。……体面だって悪くしてしまうし」
口元に手を当ててぶつぶつと呟くヒュドーに対して、フィリーネは真剣に答える。
「ヒュドーさん、シドリウス様はどのハーブがお好きかご存知ですか? 私、一日でも早くシドリウス様のお役に立ちたいんです」
「えっと。その心意気には感心するけど、今のフィリーネ様ではシドリウス様は絶対手出ししないと思うよ?」
「はい、存じております。だからハーブなんです。香りが良ければ私に関心を持っていただけるでしょう?」
カロンの出してくれる料理には食欲を刺激するローズマリーやバジルが飾られている。
それをヒントにしたフィリーネは、自分にもハーブを飾れば良い香りがしてシドリウスの食欲を刺激できるという結論に至ったのである。
目をぱちぱちと瞬いたヒュドーはしばらくして手のひらにポンと拳を乗せ、納得の声を上げた。
「ああ、なるほど。香りで誘惑作戦か! 良かった、勘違いしてる訳じゃなくて。フィリーネ様も遠回しに話してくれていたんだね!」
ヒュドーには、フィリーネの話が身体に香りをつけてシドリウスを誘惑しようと努力している内容に聞こえた。
わざわざ屋敷の外に生えているハーブを摘んできて自ら育てようとしている。
その涙ぐましい努力にいじらしささえ覚えた。
ヒュドーは鉢の中を覗き込む。
「どれも悪くはなさそうだけど、シドリウス様にはリラックスできるものを選んで。ラベンダーやカモミールあたりが良いと思う。というか、僕に言ってくれたらいくらでも調達するから!!」
ヒュドーはガシッとフィリーネのスコップを持つ手を握り締める。その熱の入りっぷりにフィリーネは目を瞠った。
まさかヒュドーがここまで真剣に相談に乗ってくれるとは思っていなかったので、協力者の登場はありがたい。
「ありがとうございます。私にはどの香りが最適なのか分からないので、ヒュドーさんにお任せしますね」
「うん、任せて。とびっきり良いものを用意するからさ」
話がまとまって、フィリーネはほこほこと笑みを浮かべた。
「ヒュドー、そこで何をしている?」
横から声がして顔を向けるとシドリウスが玄関前に立っていた。相変わらずの美貌だが、普段と違ってその表情はやけに険しい。
つかつかと足早にこちらにやって来たシドリウスは、フィリーネの手を握っているヒュドーの手首を掴んで、ぺいっと引き剥がした。
「その手はなんだ。誰の許可を得てフィーに勝手に触れている?」
「横恋慕する気はないのでご安心ください。意気投合してつい魔が差したといった感じなので。誤解なきようお願いします」
ヒュドーは苦笑しながら言った。
それでもシドリウスは目の鋭さを緩めない。
「なら二度と誤解を生むような真似はするな。もう下がって良い」
牽制するようにフィリーネの肩を抱くシドリウス。
ヒュドーは肩を竦めてから一礼すると、屋敷の中に入っていった。
姿が見えなくなるまで見送った後、シドリウスがフィリーネに顔を向ける。
「それで、フィーは何をしていたんだ?」
「ええっと、私はハーブを育てようと思いまして。鉢に植えていました」
あなたを誘惑するためにハーブを育てていますだなんて口が裂けても言えない。
愛想笑いを浮かべて誤魔化していたら、目の前に一輪の花が差し出される。
透明の花びらが太陽に当たると虹色に光る、不思議な花だった。
「わあっ、とても綺麗です」
初めて見る花に興味津々のフィリーネはいろいろな角度からその花を眺める。
「空都でしか咲かない花だ。昨日は用事で空都へ行っていたからお土産だ」
「嬉しいです! 早速お部屋に飾らせていただきますね!!」
誰かからお土産をもらえるなんて生まれて初めてだ。
(私はいろんな初めてをシドリウス様からいただいていますね)
シドリウスの優しさ一つ一つに心が温まっていく。
フィリーネは頬を緩めて虹色の花を見つめた。
「おまえの喜ぶ顔が見られて幸せだ」
シドリウスがうっとりした表情でこちらをじっと見つめてくる。そこにはほんのりと色気が滲んでいて、フィリーネの心臓が思わず跳ねた。
食べられる身の上であることは承知しているが、これほどの美貌を目の前にして心臓がドキドキしない人はこの世にいないと思う。
(シドリウス様の機嫌が直って良かったです。ですがこの笑みは、とっても危険です!!)
フィリーネは目のやり場に困った。
生贄としての役割を全うしなければいけないのに、気を抜けばうっかり好きになってしまいそうだ。
(生贄の私にすらこんなに優しいんです。きっと、シドリウス様の番になる方はとっても幸せですね)
熱くなった顔を冷ますようにそよ風が当たる。
しばらくの間、フィリーネはその心地よい風に浸った。




