第13話 竜王陛下(シドリウス視点)
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普段のラフな格好から正装に着替えるため、シドリウスは用意されていた白シャツに袖を通していた。袖口の白蝶貝のボタンを片手で留める。
ふと、姿見に映る自分と目が合った。
冷酷無比で厳しいと恐れられているアイスブルーの瞳は、目尻が垂れている。口元は緩み、自分でも嬉々としているのが一目瞭然だった。
シドリウスは眉を顰めるが、すぐに肩を竦める。
「これから空都に帰還だというのに。こんな締まりのない顔は周りに示しがつかないな」
開け放っていたバルコニーの窓からそよ風が吹いてくる。
風から魔力を感じてバルコニーへ顔を向けると、ヒュドーが欄干の上で宙に浮いていた。
「ただいま戻りました」
ヒュドーは階段を下りるように空中を歩き、床に足がつくと一礼してから部屋の中に入ってくる。彼の近くでは緑色をしたフクロウが飛んでいた。
実はヒュドーは風の精霊と契約を結ぶ精霊師だ。風を操って攻撃や防御ができるだけでなく、空を自由に飛び回れる。
「ありがとう。グラウクス」
ヒュドーがお礼を伝えると、フクロウの精霊が「ホー」と鳴いてポールハンガーに留まる。
「帰ってくるのが早かったな」
シドリウスが声をかけると、ヒュドーがウエストコートを手にして着替えを手伝い始める。
「簡単な報告をしに行っただけですので。空都の者たちは大喜びでしたよ。父なんてこの上ない僥倖だと落涙しておりました。百年探し続けて見つからなかった花嫁がようやく見つかったんですから、無理もないですよね」
「おまえの父、エリンジャー公爵には番を見つけろと百年前から口喧しく言われていたからな。喜んでもらえて何よりだ」
空都で暮らせるのは、君主であるシドリウスと家臣のエリンジャー公爵家とその傍系のみ。公爵家の人間はシドリウスの眷属として百年以上生きているため、公爵もヒュドーも見た目とは違い百歳を優に超えていた。
「皆、竜王陛下であるシドリウス様と百年ぶりに会えるのを楽しみにしています」
シドリウスはただの竜人ではなく、オルクール王国を総べる国王だった。
――現竜王陛下に逆らってはいけない。人間とは違い、温情の欠片もないお方だから。
シドリウスがそんな風に語り継がれているのは、二百年前に腐った貴族たちを一掃したことに起因する。
そもそも何故シドリウス自ら手を下したのかというと、前竜王を務めた竜人・ギデリウスが貴族たちに甘い顔をしていたのがいけなかった。
彼らはギデリウスに政治手腕がないのを良いことに、自分たちの都合の良い法律を次々と作っていった。そのせいで国力はガタ落ちし、かつての栄光は見る影すらなくなった。
自分が国王を続ければ国が滅ぶと危惧したギデリウスは、シドリウスに玉座を明け渡した。
オルクール王国の玉座は世襲君主制ではなく、竜人が他の竜人に王位を譲渡する形で継承されていく。通常は二百年から三百年単位での交代だが、国民が苦しむ姿に胸を痛めたギデリウスはたった百年で王位を放棄した。
ギデリウスの代で私腹を肥やし、甘い汁を吸っていた貴族たちはシドリウスが即位しても政治に暗愚な竜人が来たと高を括っていたのだろう。
傀儡として扱うつもりでいたのに、シドリウスから返り討ちに遭うなんて予想もしていなかったはずだ。
シドリウスの手によって貴族たちは不正を暴かれ、弁解する余地もなく次々と処刑された。見せしめとして大規模な粛清を行った結果、現在に至るまで貴族たちによる不正や反乱は起こっていない。
また当時、シドリウスの正義の鉄槌に協力してくれたエリンジャー家とランドレイス家は、子爵家と男爵家であったが陞爵して公爵家となった。
国力を取り戻すまでにある程度の歳月を要したが、二家の力添えもあって現在ではギデリウスが即位する前よりも豊かになった。冷酷無比という噂の影響かもしれないが、反発する貴族がいなくなってくれたことで即位当時よりも仕事はしやすくなった。
国を運営するのは大変だが、やり甲斐を感じる部分も大きい。シドリウスは充実した毎日を送っていたが、国が安定したのを機に長年背けてきた問題と向き合うことにした。
それは番問題である。
(もともと、初代竜王は人間の番を見つけるためにこの国を建国した)
初代竜王が降り立った際、この大陸は戦争と内紛によって荒廃していた。
竜人族が人間の番を認識できるようきなるのは、番が生まれて一年経過してから。もし番がこの世に生を受けたとしても、戦争下では生き残れない可能性が高い。
そこで竜人の庇護下にある国を作り、生まれてくるかもしれない番のために竜人が交代で統治するようになった。
因みに統治権限を与えられる竜人は、歳が千を超えている且つ番がいないという条件つきだ。竜人族の寿命は最も長くて三千年、そして大抵は千年以内に番が見つかる。
シドリウスの場合は千を超えても番と巡り会えなかった。それこそ世界の果ての果てまで、隈なく探してもだ。
運命の相手が見つからず、自分には番がいないのだと諦めかけていた。
「どうして今になってフィーが番だと感知できたのかは謎だが、とにかく巡り会えて幸せだ。カロンも含め、おまえたちエリンジャー家の者には心配をかけたな」
「いえいえ。僕もシドリウス様の番が見つかって嬉しいです。それと地上で政務を行っているランドレイス家にも連絡を入れましたよ」
空都に住めるのは空中を移動できる風の精霊師、エリンジャー家だけ。
一方のランドレイス家に精霊師がいないため、地上で活動している。
また、国民に寄り添った政治をしてもらうため、眷属にはしていない。彼らが地上にいてくれるおかげで、シドリウスは国民のための政策を打ち出せている。
「ランドレイス公爵を空都に呼び寄せられるか? 公爵とは久しく顔を合わせていない」
着替え終えたシドリウスは最後にヒュドーから手渡された白の手袋を手にはめる。
「申し訳ございませんが、公爵は体調が優れず床に伏せっている状態です。医者の診たてでは夢塞病とのことです」
「また、厄介な病に罹ったな」
眉を顰めるシドリウスは顎を引いた。
夢塞病――それは夢の中に囚われて現実に戻って来られない病のことだ。見ている世界が夢の中だと分かればすぐに目を覚まして現実世界に戻れるが、分からなければ夢の中に囚われて出られなくなる。
夢塞病に侵されると徐々に夢の内容が悪夢へと変化する。患者は精神が錯乱し、寝ている状態で叫び声を上げたり、暴れたりするのだ。現実世界でどんなに声かけをしても目覚めないため、身体は栄養を摂取できずに衰弱してしまう。
そして最後は、普通の眠りが永遠の眠りに変わってしまうのだ。
一説によるとこれは過度なストレスから来る、体内の魔力バランスの崩れが原因とされている。
「今は令息が公爵の代理で政務を行ってくれています。……まさかあれほど元気だった公爵が夢塞病に罹るなんて信じられません。念のため確認しますけど、シドリウス様の魔法でどうにかなりませんか?」
「病の根源が魔力由来となると、魔法では治せない。それと、精神系を操作する魔法は竜人族の間で禁忌とされている」
「ですよねー。それができたらシドリウス様ご自身の夢塞病も治せてますもんね」
ヒュドーは肩を竦めて天井を仰いだ。




