第11話 味見はどちらの指で?
一階にある食堂へ向かうと、既にシドリウスがフィリーネが来るのを静かに待っていた。席について読書をしている。
「おはようございます、シドリウス様。お待たせして申し訳ございません!」
フィリーネの声に反応してシドリウスが本から顔を上げた。
「おはようフィリ……フィリーネ!?」
シドリウスは素っ頓狂な声を上げた。
何せ、フィリーネの右手には大きな長方形の包丁が握られていたからだ。
「フィリーネ、その手に握っている物騒なものはなんだ?」
「こちらは厨房からお借りしたチョッパーナイフです! 重みを利用して骨付き肉を叩き切れる優れものなんですよ!」
フィリーネは意気揚々とチョッパーナイフを掲げてみせる。よく手入れがされているそれは、太陽の光を浴びてきらりと光った。
「というわけで、シドリウス様は私の右手の小指と左手の小指、どちらを所望されますか? 私としましては利き手が右手なので左手でお願いしますね」
天井高くチョッパーナイフを振り上げるフィリーネは、テーブルの上に左手を置いて小指だけ他の指から離す。
すぐにでも斬り落としそうな勢いに、シドリウスは声を荒らげた。
「待て。落ち着け! 俺はおまえの斬り落とされた小指なんて欲しくない!!」
「先っちょだけ、先っちょだけですので遠慮なさらず。ちょっとした味見ですよ」
「先っちょの使い方が俺の知っているものと大分違うぞ。何の味見だ。とにかくその構えを解きなさい!」
必死の形相でシドリウスから説得されたフィリーネは、渋々チョッパーナイフをテーブルの上に置く。
(うーん、味見くらいしても良いと思うのですが。シドリウス様はストイックなお方なのですね)
小指を斬り落とすのは痛いし怖いし、正直なところ何もせずに済んだのはありがたい。
けれど、成人するまで正気を保てる気がしないとシドリウスが言っていたので、少しでも自分を食べて満足してもらえたらと思っての行動だった。
何故ならフィリーネの使命は、シドリウスに美味しく食べてもらうことだから。
「……カロン。どういうことか説明を」
シドリウスが尋ねると、入り口近くで控えていたカロンは一歩前に出て答える。
「どういうことかと仰られましても、わたくしはお嫁様のご意向に沿ったまででございます。わたくしとしましては、シドリウス様が仰いますように成人するまで待った方が良いと思ったのですが、お嫁様があまりにも熱心だったので協力してあげたくなったのでございます」
シドリウスは本を閉じるとこめかみを押さえる。次に鋭い視線でカロンを睨めつけた。
「だからって刃物は渡すべきじゃないだろう。万が一、フィリーネが怪我をしたらどうする? おまえはどう責任を取る?」
冷え冷えとした低い声にフィリーネの体感温度が三度下がった気がした。
このままではシドリウスがチョッパーナイフでカロンの首を飛ばすのではないかと心配になるくらいだ。それくらい、シドリウスからは殺気が伝わってくる。
フィリーネはカロンを守るために二人の間に割って入った。
「カロンさんは悪くないので責めないでください。無理を言って迷惑をかけたのは私です。あと、刃物の扱いは慣れていますので問題ありません!」
フィリーネはこれまで野菜の下処理をしていたことをシドリウスに説明する。
昔はナイフで指を切って血が出てしまったこともあった。けれど、長年の訓練の賜物もあってこの数年は一度も指を切っていない。
シドリウスはその説明を聞いても尚、首を横に振った。
「今まではそうだったかもしれないが今後はダメだ。この世に絶対はない。もし、指を切って血を流したら……俺は耐えられない。どうにかなりそうだ!!」
「そんなにですか!?」
大袈裟だと口を開きかけたフィリーネだったがシドリウスの顔を見て息を呑んだ。
何故なら、切実に訴えてくるシドリウスの瞳が潤んでいたから。フィリーネの胸が締めつけられる。
きっと、シドリウスはフィリーネの血の一滴まで味わい尽くすために怪我をして欲しくないのだ。ここまで神経質に心配されてしまうと、却って居たたまれない。
(生贄の儀式が禁止されたこともあって、生贄の花嫁である私は貴重な存在。血の一滴まで余すことなく召し上がってくださるのでしょうね)
カロンは深々と頭を下げた。
「今後このようなことがないよう肝に銘じるのでございます。ただ、今回お嫁様に刃物を許したのには、わたくしなりに理由がございます。シドリウス様に一つ小耳に挟んでいただきたい内容がございまして――」
カロンはシドリウスに近づくと何やら耳打ちを始める。
最初は胡乱な表情で話を聞いていたシドリウスだったが、尖った耳の先が徐々に赤くなっていくのが見えた。
話し終えるとカロンが離れる。それと同時にシドリウスはこほん、と咳払いをした。
「カロンの行動の意図はよく分かった。今回は大目にみるが、やはり刃物は危険だ。もし次にフィリーネが暴走したら必ず止めるように」
「承知しました」
二度と過ちは起こさない、というようにカロンは力強く頷いてみせる。
カロンがどんな話をしたのかは分からないが、とにかくシドリウスの怒りは静まった。 安堵の息を漏らしていたら、シドリウスが甘やかな瞳でこちらを見つめてくる。
「フィリーネも小指は斬り落とさなくていい。というか、どこも斬らなくていい。俺のために五体満足でいてくれ」
「分かりました。斬るのはやめておきます!」
フィリーネがキリッと眉を上げて返事をする。
シドリウスは話が済んだというように視線をテーブルへと動かした。
「遅れてしまったが食事にしよう。フィリーネの身体はまだ回復したばかりだ。食べて体力をつけないと」
シドリウスに手招きされたフィリーネは、席へと移動した。
案内された席はシドリウスの隣だった。
フィリーネが着席すると、頬にかかった白銀色の髪をシドリウスが耳にかけてくれる。
「そのワンピースと髪の色の組み合わせはよく合っている。おまえの髪は絹糸のように美しいな」
フィリーネは喫驚した。まさかカロンだけでなく、シドリウスからも白銀色の髪を褒められるなんて思ってもいなかったのだ。
(二人とも私に気を遣ってくださっているんでしょうか。なんて優しいのでしょう)
長年、白銀色の髪を薄気味悪がられてきた。
二人が髪を誉めてくれても、フィリーネはただのお世辞で本心からとは思わなかった。
「カロンさんが選んでくれたんです。この髪色では服に合う色も難しいので」
「そんなことない。フィーなら、何を着ても似合うし可愛いと思うぞ」
「フィー?」
突然愛称のようなもので呼ばれたフィリーネは内心動揺した。
誰かに愛称で呼ばれるなんて初めてだったからだ。
(お父様はお姉様を『ミリー』と呼んでいますが、私は愛称どころか『忌み子』と名前ですら呼んでもらえません。愛称呼びが羨ましくて、いつか呼んでもらおうと思っていたのですが。……まさか、シドリウス様に夢を叶えていただけるなんて!)
感激するとともに心の奥がくすぐったい。
フィリーネが身じろいでいたら、シドリウスの手がいつの間にかひび割れた眼鏡のフレームへと伸びてくる。
「似合ってないと言えば、これはいただけない。フィーの可愛い顔が見えないからな」
現状、カロンが用意してくれたワンピースと綺麗にまとめてくれた髪はひび割れた眼鏡のせいで台なしになっている。
姿見で自分の姿を見たフィリーネも同じことを思っていた。
しかし、これがなくては生活に支障を来たしてしまう。
「私にはこの眼鏡が必要です。ないと何も見えないので」
シドリウスはフィリーネの両頬を両手で優しく包んだ。
「大丈夫だ。これから未来永劫、眼鏡は不要になる」
「それって……」
どういう意味なのか尋ねようとする前に、シドリウスの大きな手が眼鏡をはずし、瞼を覆う。




