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妾の心が導く儘に  作者: ぬまし
僕と妾はこうして出会った

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第九話  吸血鬼は演奏する

 あらためて注文したケーキとコーヒーは、思ったよりも早く届けられた。

 がっつりと食事をしたことで忘れかけていたけれど、ここはコーヒーと軽食を楽しむ喫茶店。ご飯やパスタなどの料理よりも提供が早いのは当たり前の話だ。

 そうはいうものの、ここは喫茶店というには不思議なお店でもある。喫茶店に見えない外見もさることながら、店の奥にあるステージと、そこに鎮座している大きなピアノがそれを物語っている。


「ククル、あのピアノって使われてるの?」


 届けられたティラミスをさっそくパクパクと口へ運ぶククルに尋ねる。彼女はよくここに来ると言っていたから、あれが使われているところを見たことがあるかもしれない。


「たまーにな。うちの学生の演奏なら見覚えがあるぞ」

「学生なのにお店で演奏なんて……すごいね」

「アマチュアの演奏の場を設けることは、なにも珍しいことではない。ここみたいな小さなジャズクラブのような場所は、特にな」

「……ジャズ……クラブ……?」

「んーと、……端的に言えば“生演奏を聴きながら食事をするところ”かの?」

「へぇ……もしかして、ここにもプロの人が来たり?」

「どうじゃろな。少なくとも妾が見たことはないかの」


 ククルのティラミスはいつの間にか半分以上が無くなっていて、少しずつフォークで切り崩しては「おいし~」と頬を押さえてニコニコと笑顔を浮かべていた。

 たしかに、このおいしいスイーツとコーヒーを嗜みながら生演奏を聴くというのは、おつかもしれない。

 ただ――


「……音楽に疎いんだよなぁ、僕」

「なんじゃ、おぬし。音楽はあんまり聴かんのか?」

「色んなバンドとかゲームの曲とかは聴くし、好きだよ。ただ、楽譜は読めないし、楽器とかよく知らないから……」

「演奏を聴くのにその辺の知識は二の次じゃ。かっこいいとか、楽しいとか、感動したとか、そういう気持ちになれるのが魅力なのじゃからな」


 ククルは何かをひらめいたのか、「そうじゃ!」と言いながら立ち上がる。


「マスター!あれ、使ってもよいかの?」

「調律前ですが、それでもよければ」

「構わん、お遊びじゃからな。ありがと、マスター!」


 マスターに声をかけてから、スタスタと歩みを進めるククル。その足が向かった先は、ステージの上に鎮座している大きなピアノ。


「ククル……?」

「実はの、紅。おぬしがかわいい服を好むように、妾にも好きなものがあるのじゃ。一つは、おぬしと同じようにこの服が――」


 ピアノの椅子を引いて、ちょこんと腰かける。鍵盤の蓋を開けると、細くしなやかな白い指で、軽い音を一つ響かせた。


「もう一つは、音楽これじゃ」




 目の前のピアノは、すぐにその言葉の証明を始めた。

 トロトロトロトロと階段を上るように駆け巡っていく音の裏で、心地よい長い音がリズムを刻む。駆け巡った音は、やがて階段を飛び降りて着地をする。

 そして、一瞬の空白。

 短い「スゥ」という呼吸の音が聞こえると、彼女の指は鍵盤の上で再び踊り始める。

 自然に体がノッてしまいそうな高ぶりと、目を閉じて耳を澄ませたくなるような落ち着きを併せ持ったメロディ。店内で流れていたものに似た曲調でありながら印象がここまで違うのは、目の前の大きな楽器から直接音の波を感じているからなのだろう。

 小さな体と巨大な楽器が紡ぐ音楽に浸りながら、僕は手元のコーヒーを口に運ぶ。


 ――なるほど、これは確かに相性がいいかもしれない


 僕が新たな発見をするころには、この心地よい音楽が終わりを迎えようとしていた。

 最後の最後まで彼女の音は僕の身体の奥を震わせ続ける。

 最後の一音が響き終わると、僕の手もまた胸の前で音を奏でていた。




「すごい、すごかった」

「……こんな久々の荒い演奏でそんなに褒められると、ちょっとこそばゆいの」


 少し耳を赤らめながら頬をかくククルに、僕は心が震えたことを両手で最大限に表現した。


「ジャズクラブ?がある理由、分かった気がする。かっこよかったし、楽しかったし、感動した」

「こんな演奏でわかってほしくはないが、その片鱗でも味わえたようならなによりじゃ」


 複雑そうな表情を一瞬浮かべたあと、ククルは満足そうに頷いた。

 ククルはおかしな人ではあるけれど、芯があって、多才で、コミュニケーション能力もある。彼女は尊敬できる人――いや、尊敬できる吸血鬼だ。僕は今、それを確信した。


「ピアノ、ピアノかぁ。すごいなぁ」

「吸血鬼といえばピアノじゃからな」

「そう……そうかな?僕的にはヴァイオリン――」

「ちなみにドラムもできるぞ」

「吸血鬼関係なくない?」


 ――そして、面白い吸血鬼でもある。例の作戦のために、彼女と距離を取る方法を考えなければいけないことがもったいないぐらいに。

 気づかないふりをしていたククルへの気持ちが再び込みあがってきそうで、僕は深く息を吸い込んだ。

 もしかして、明日から僕は精神的に苦しい日々を送らなければいけないのではないだろうか。

 僕の心配など知る由もないククルは、楽しそうに「あっはは!」と笑っていた。



 ***



 ククルの演奏が終わったあと、僕たちは残りのデザートを食べ終えて、お腹を休ませていた。

 がっつりとした食事とデザートに加えコーヒーも二杯と、ここに来てからそこそこの量を飲み食いしている。ククルに至っては体を動かしたわけだから、休息も必要だ。


「そういえば、ククルは音楽系のサークルに入らないの?」


 僕は先ほどの演奏を思い返しながら、ふと感じた疑問を口にした。

 ククル曰く、あれは「お遊び」だったらしい。それであそこまでの演奏ができるのなら、ククルが本気で演奏した日には多くの人々を感動させられるのではないだろうか。

 それに、最初こそ近寄りがたいククルではあるけれど、その実は尊敬できる人なのは間違いない。彼女の自分を貫く姿だって、一つのキャラクターとして受け入れられて、サークルの中でも愛されそうなものだ。

 僕よりもたくさんの魅力を持ちながら、どうして僕のように一人の道を歩いているのだろうか。


「んー、実は入学当初はそんなことも考えておったのじゃがの」


 ククルは僕の問いに頬をポリポリとかくと、彼女にはまったく似合わない笑えていない笑顔を浮かべた。


「ありのままの妾がのびのびと演奏できるほど、人間関係は甘くないと気づいたのじゃ。特に集団の中ではな」

「……その、ごめん」

「なに、気にするでない。これは妾のエゴじゃ。妾とて、自分のために他人の輪を乱したいわけではないからの」


 失言だった。ククルほどコミュニケーション能力があって、“大学デビュー”で周りに自分を合わせていた過去があってなおサークルに所属していないということは、それなりの理由があったと想像できたはずだ。人間関係はそんな単純なものではない。それは僕だって理解していたはずなのに。

 ククルには申し訳ないことを聞いてしまったと思う一方で、彼女の本気の演奏を聴いてみたいと思うのも事実。サークル活動のように用意された場での機会がないとすれば、個人的に用意するしかないわけだけれど――当然、僕のために演奏してくれなんて言えるわけもない。


「これは僕のエゴなんだけど……」

「ん?」

「ククルの本気の演奏を聴いてみたいな。いつか、何かの拍子に、機会があれば」


 ククルはきょとんとしたあと、すぐに「あっはは!」と笑う。


「何を言うかと思えば……うむ、機会があれば聴かせてやろう。おぬしのためにな」

「いや、僕のためじゃなくていいけど」

「おぬしが言い出したことじゃろ?妾の演奏を気に入ってくれた礼じゃ。いつその時が来るかは分からぬが、おぬしのために本気の演奏を聴かせてやる。約束しよう」

「あ、ありがとう……?」

「そうじゃ。それでよい」


 ククルはニコっと笑ってみせる。先ほどの笑えていない笑顔とは対照的に、花が咲いたような笑顔を浮かべるククルに、僕の心臓はまたもドキンと大きな音を鳴らす。まったく、油断も隙もない。

 その気持ちを差し置いても、ククルが本気の演奏を聴かせてくれると約束してくれたのは嬉しかった。それが彼女の負担にならないかは心配ではあるけれど、それ以上に楽しみに思う自分もいる。

 きっとククルの本気を体感したとき、僕は彼女が好きだという音楽というものを、もっと好きになれるだろう。


「おぬしに披露するまでに、演奏の腕を戻しておかんとな。さっきもたくさんミスってしまったからの」

「え、ミスなんてあった?気づかなかった……」

「気づかれないように誤魔化したのじゃ」

「それはそれですごいと思うんだけど……」

「たしかに、これもまた技術の一つ……と言えば聞こえはいいがの。最大限気持ちをのせるにはミスをしないのが一番じゃからな」

「はぇー……すごい」

「なに、たいしたことではない。ただ妾という演者が自己中なだけじゃ。気持ちよく、かっこよく演奏している姿だけを見せたい……というな」


 なんてことなさそうにククルは自分の気持ちを語る。僕にとってはそれ自体がかっこよくて、羨ましい。

 ククルがそこまでの気持ちで演奏をしてくれるというのなら、僕は少しだけでも音楽について明るくなろうと思う。きっとその方が、今よりもククルの演奏を、ククルの本気を、心の底から楽しめると思うから――

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