第六話 吸血鬼は紹介したい
十月二日木曜日。ククルがお店を紹介してくれるという約束の日。
なんとなく歩いて大学に来てみたところ、思ったよりも早くついてしまった。集合場所である学食の前のベンチで暇を持て余す僕は、昨日のククルと分かれた後のことを思い返していた。
ククルと約束を交わしたあと、僕たちは普通に解散した。バイトまでは時間があったけれど、ククルにうろついているところを見られるわけにもいかないので、そのまま帰宅した。そのバイトは案の定身が入らず、僕の気持ちと作戦の折り合いについてもはっきりとした結論は出なかった。結局、ククルと付き合いがあっても作戦が成功するかもしれないという希望的観測にすがる始末。それが実現できれば理想ではあるけれど、理想とは大抵現実にならないものだ。理想が現実になっているなら、今頃僕は口が達者で友達もたくさんいるイケイケ大学生のはずだから。
「はぁ~~~……どうしたもんかなぁ」
平日とはいえ本来専門科目の講義があるはずのお昼前の時間、学食前には誰もいないことをいいことに、僕は大きな独り言を吐いて天井を見上げた。
この場所は半分屋内のような吹き抜けになっている。日陰にあるベンチに座っているというのに、吹き抜け部分から差し込む日差しを壁が反射して、かなり眩しい。そして何よりも、暑い。本当に今は十月なのだろうか。
「あ~~~あつい」
「たしかに今日も暑いのー」
「うわぁ!!」
反応があるはずないと思っていた僕の独り言に相槌がうたれて、僕はベンチから転げ落ちそうになる。その様子を見て「あっはは!」と笑う声の主のことは、顔を見ずともすぐに分かった。
「驚かさないでよ、……ククル」
「おぬしが勝手に驚いただけじゃろ?」
日傘を広げ、昨日とは違うクラロリを身にまとうククルが僕を見下ろす。
今日の彼女も言うまでもなく、――かわいい。
「暑いなら中で待っとってもよかったのに」
「いや、集合場所はここだったから、ククルに悪いと思って」
「なんとも律儀なことじゃ。まっ、助かるがの。ありがと、紅」
僕はククルに顔を見られないようにすぐに立ち上がる。
暑いから、そう、暑いから顔が火照っているだけなのだ。決してククルは関係ない。
「そういえば昨日聞きそびれたけど、そのお店って近いの?歩いてきちゃったんだけど」
「安心せい。妾の通学手段は車じゃ」
「車通学だったの!?」
言われてみれば、それもそうだ。クラロリを着たまま満員バスに乗るのも、自転車に乗るのも、なかなか厳しいものがある。ともなれば、徒歩か車なわけで、免許を持っているなら仮に家が近いとしても車で通学するのはおかしな話ではない。
「ま、そういうことじゃから、おぬしは助手席で揺られておればよい。そんなに遠い場所でもないしの」
「それじゃあ……お言葉に甘えさせていただきます」
「そうじゃ、紅。コーヒーは好きかの?」
「え?好き……だけど」
「ならよかった。妾が紹介したい店というのは、喫茶店なのじゃ。コーヒーは格別じゃぞ。もちろん、飯もうまいがの」
「喫茶店……僕のバイト先じゃないよね」
「なんじゃおぬし、喫茶店でバイトしとるのか。……安心せい、おぬしのバイト先ではないことは確かじゃ」
僕はククルに案内されるがまま、彼女の車まで向かう。日傘の中で僕を見上げながら赤い瞳を細める彼女の姿は、少しだけ本物の吸血鬼のように思えた。
***
ククルの車に乗り込んで、助手席で揺られること十分弱。クラロリを身にまとう小柄な自称吸血鬼の同期の車に乗せてもらうという、人生で経験した人の方が少ないであろうシチュエーションに頭をクラクラさせていると、お洒落な建物が目の前に迫っていた。
「ついたぞ。ここじゃ」
「ピアノフォルテ……音楽の記号?」
「楽器のピアノの正式名称じゃな。“クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ”、略して“ピアノフォルテ”」
「……なんて?」
「有名な雑学じゃと思うがの」
ククルは車を降りて後部座席から小さなバッグを手に取る。僕も慌ててリュックを抱きかかえながら車を降りた。
名前や外観からして、個人経営のお店なのだろう。こじんまりとした隠れ家的なお店というよりは、明るく静かな落ち着いたお店という印象だ。そのわりに人が少なそうに見えるのは、ぱっと見ここが喫茶店のようには見えないからかもしれない。チェーン店ではないからこそ許される営業の仕方だろう。
「こうー、はやくいくぞー」
僕がお店の外観に気を取られている間に、ククルはスタスタとお店の方に向かっていた。
「あれ?ククル、日傘は?」
「このぐらい平気じゃー。あんまり浴びると小麦色に焼けてしまうがのー」
「あ、うん、そっか」
――さっき本物の吸血鬼のようだと感じた気持ちを返してほしい。
心の声を押し殺しながら、僕は駆け足でククルのもとまで向かった。
――カランカラン
ククルがお店の扉を開くと、涼しげな音が鳴った。店内は木目調に統一された落ち着いた雰囲気とコーヒーの香りが広がっていて、どこからかうすくジャズ調のメロディが流れている。
“綺麗で小洒落た喫茶店”。第一印象はそれだったのだが、普通の喫茶店とは異なる特徴が目に留まった瞬間、その印象は変わった。
ここは喫茶店のはずなのに、店の奥にはステージがあり、そこに大きなピアノが鎮座していたのだ。その裏には、演奏するときに使うのだろう機材や椅子などが片付けられていて、なんとなくそれらが飾りではなく実際に使われている物たちであることが伝わってくる。それでいて、カウンターには本格的なコーヒーを抽出する道具が置かれているものだから、“風変わりな喫茶店”というのが第二印象だった。
「いらっしゃいませ。……おや、ククルちゃん」
「もうちゃん付けで呼ばれる歳ではないわ。二人、入っても大丈夫かの?」
「もちろん。見てのとおり見てのとおり閑古鳥が鳴いておりますから。お好きな席にどうぞ」
「ありがと、マスター」
「お、おじゃましまーす……」
どうやらククルと、店主なのだろうマスターと呼ばれた人は知り合いらしい。ククルが紹介したいというぐらいだから、彼女はここの常連なのかもしれない。
ククルに続いて店内を進み、ククルの向かいの席に座る。僕が洒落たお店に行ったことがないからかもしれないけれど、僕の手からはものすごく汗が吹き出ていた。
「そんなに緊張せんでもよい。マスターたちとは家族ぐるみの付き合いがあっての、妾は昔からよくここに来るのじゃ」
「そ、そうなんだ……」
「つまるところ、マスターたちは妾の事情をすべて知っておる。周りに気を使う必要はない、ということじゃ」
――なるほど。ククルがこのお店を紹介したかったのは、ここなら気兼ねなく話ができるからのようだ。
昨日、ククルは周りの視線を気にしていなかったけれど、僕は気にしてしまっていた。僕が周りを気にせずにククルと話せるようにという、ククルなりの気づかいなのだろう。
「いらっしゃい、ククルちゃん。ご注文は後の方がいいかしら?」
「そうじゃな。また後で頼む」
「わかったわ。ごゆっくり~」
水とおしぼりを運んできたのは“美人”という言葉がよく似合う、セミロングの髪の若い女性の店員さんだった。
そういえば、マスターも”マスター”と呼ばれる割には随分と若く見える。勝手ながら、このような個人経営のお店はセカンドライフのようなイメージがある。あの若さで自分のお店を持てているということは、もしかしたらマスターはかなりのやり手なのかもしれない。
「さて、何を食べるかの。ガッツリ食べたいところじゃが」
ククルはメニュー表を机に広げる。手作り感あふれる温かみのあるメニュー表には、コーヒーやお茶、デザートといった喫茶店常連メニューのほかに、ご飯類、パスタ類、つまみまで写真付きで紹介されていた。
「すごい、こんなにメニューあるんだ……ククルのおすすめはある?」
「レンコンチップスじゃ」
「つまみじゃん」
ククルは「あっはは!」と笑ってから、オムライスの写真に指をさした。
「レンコンチップスも嘘ではないのじゃが、がっつきたいならこっちじゃ。ここのデミオムライスはおいしい。妾が保証しよう」
「じゃあ、僕はそれにする。あとは……ブレンドコーヒーかな」
「暑くないのかの?」
「初めての喫茶店はブレンドを飲むって決めてるの。そのお店の特徴みたいなものだからね」
「ふーん。妾は暑いしアイスコーヒーにしようかの。あとはペペロンチーノじゃ」
「暑くないの?」
「辛い物は熱くないからセーフじゃ」
熱いものはだめで辛い物はセーフという基準に少しだけ笑っていると、先ほどの美人な店員さんがやってきた。僕たちの注文を書き留めた店員さんは、「少々お待ちくださいね」といって、カウンターの中へ去っていく。
「おぬし、妾以外とも普通に話せとるではないか」
「こういうお店の注文とか、バイトの接客とか、必要に駆られた会話はできるというか……なんだろう、雑談とか日常会話が苦手って言えばいいのかな……」
「ふーん、難儀じゃのう」
ククルは興味があるのかないのか分からない相槌を打ちながら水を飲み、僕もそれにならって水を飲んで、一息つく。いつの間にか緊張もほぐれていたようで、僕の手汗はおさまっていた。
そういえば、ククルは気兼ねなく話せるこの場所を僕に紹介して、いったい何を話すつもりなのだろう。ククルが僕に聞きたいことは昨日答えたし、僕がククルに聞きたいことも昨日答えてくれた。僕は自分の気持ちと作戦を整理するので精一杯だったから話題の準備なんてしてきていないし、本当にただ黙々とご飯を食べるだけの時間になる可能性もなくはない。
答えづらい話題を振られないことを祈りながら、食欲をそそる香りと落ち着く渋い香りを深く吸い込む。耐え切れなかった僕のお腹が鳴きだすと、それに呼応するようにククルのお腹も鳴きだした。タイミングの良さにククルが「あっはは!」と楽しそうに笑うから、つい僕も笑ってしまっていた。




