第四十四話 吸血鬼は決断する
「じゃあ、僕バイトあるから先帰るね」
「うむ。気をつけるのじゃぞ」
「気を付けるって……小学生じゃあるまいし」
「いくつになっても夜道は気をつけるものじゃ。いってらっしゃい」
「い、いってきます」
紅が部屋を出ていき、バタンと扉が閉まる。部屋に遺されたのは、妾とレイ。
「いってらっしゃい、ねぇ」
「何か言いたいことでもあるのかや?」
「なに、大したことじゃない。キミがここまで入れ込むのは珍しいと思っただけさ」
レイはどこからか取り出したむき甘栗を口に放り込む。「食べるかい?」と差し出す袋に残っていたのは、半分に割れたむき甘栗がひとつだけ。ケンカを売っておるのか、こやつは。
「妾が誰と親しくなろうが、妾の勝手じゃろ」
「それは否定しない。ただ、その先を望むのかを確認するのも、私の役目だからね」
「……望んではおらぬ。現に、妾はあやつに必要以上に自分の話はしておらぬ」
「口を滑らせかけたとは聞いているけど」
「……気のせいじゃ」
レイが言うのは、紅と初めてピアノフォルテでご飯を食べたときの話じゃろう。
あのときは、吸血鬼らしいところが見たいと言われ、歯を見せて、羽の話をした。妾の歯は純血ほど鋭くなく、一般人よりもやや鋭く見える程度。さすがに羽を見せることはできなんだが、生やせることをほのめかした。
普通の人であれば、「そういう設定」だとか「そういうキャラ」だとかで納得するようなやりとりじゃった。むしろ、それを狙っておった。本物であることを見せつつ、本物である確証までは得させない。だから、妾は堂々と吸血鬼じゃと名乗れる。
じゃが、紅は妾を吸血鬼じゃと信じおった。空想の世界にしかおらぬ吸血鬼が目の前にいると、完全に納得はせずとも信じおった。
妾はそれが嬉しくて、羽を生やせぬ本当の理由を話そうとしてしまった。目の前にいるだらしない女が所属する組織、妾たちを研究する特務機関の名を口にしかけてしまった。
「まっ、別にいいけどねぇ。知られたら知られたで、消せばいいだけの話――っと、冗談だよ、冗談。そんなに怒らないでくれ」
レイの言葉で、自分が何をしようとしていたかに気づいた。
手の先から作り出した氷柱の先端がレイに向いている。――無意識じゃった。
すぐに氷柱を溶かして蒸発させる。無意識にこんなことをしてしまう妾を見たら、紅はどう思うじゃろうか。見せる機会は訪れないから、想像することしかできぬが。
「そうそう。私は今『冗談』といったけど、『冗談』で済まなそうな動きがあるっぽいんだよねぇ」
「……どういうことじゃ?」
レイは思い出したかのように話題を切り替えた。おちゃらけた様子から一転、表情も真剣なものへと変わる。
話の切り出し方からして、機関、妾、そして紅にまでかかわる内容じゃろう。
レイは妾が向かいの席に座るのを見届けてから、口を開いた。
「他の支部が狙われた。目的は、キミたち――魔族と、魔族の研究結果だ」
「……襲ったのは?」
「『次元門事件』の残党だよ。奇襲を仕掛けられるほどには勢力が大きくなっていたらしい。小さな芽は潰してきたはずなんだけどねぇ。新しい指導者でも生まれたのかな」
「被害は?」
「ゼロだ。ただ、あいつらの情報もあまり得られていない。『そっちも気をつけろ』ってさ」
――“魔族”。妾が勝手に“吸血鬼”と呼ぶ種族の正式名称。妾はこの名前があまり好きではない。
その魔族という種族が存在するという事実を知る人間は少ない。レイのような特務機関の人間か、数年前に特務機関によって処理された『次元門事件』の関係者、あとは妾のような魔族本人ぐらいじゃ。本人といっても、妾は半分しか魔族ではないのじゃが。
「……待て。それがどうさっきの『冗談』と繋がるのじゃ?」
「ククル。キミのその容姿と吸血鬼を名乗ることは、森の中に葉を隠すには良い方法だ。まぁ、森にしては木々が少なすぎるかもしれないがね。世の中そんなにイタい人はいない」
「おぬしが言うな。……で?」
「キミの場合、その森が目立つことを忘れてはいけない。今までのあいつらなら、不確定な情報しかない中でキミを狙うことはなかっただろう。だが、今のあいつらは『可能性がある』というだけで狙いかねない。それだけの力を蓄えていると考えた方がいい」
レイがここまで言うのは珍しい。他の支部を狙ったという襲撃は、よほど予想外じゃったと見える。
――待て。『可能性がある』だけで狙うというなら、まったく関係のない一般人が狙われることもあるのではないじゃろうか。
「レイ。他の支部で起きた襲撃、実際に襲われたのは管理されておる魔族じゃったのか?」
「いや。キミと違って、彼らは特徴的過ぎる。襲撃されるような場所に顔は出さないよ。キミのお父さんのようだと思ってくれればいい」
「ということは、襲われたのは……」
「管理している側。つまり、私たちだ」
「戦争でも始める気かや」
「全面戦争できるほどの戦力はないから、こそこそと奇襲をするのだろうね」
やれやれという調子でレイは語る。自分が襲われる可能性があると分かっていながらこの調子でいられるのは、レイの神経が図太いからなのか、この機関の体質なのか。
「魔族は直接狙えない。機関の末端を狙っても返り討ち。裏の世界で生きるあいつらが次に取る行動は、いったいなんだろうねぇ」
すでにある程度予想がついているかのような口ぶり。「一般人である紅を消す」という言葉から始めて話をここに着地させるのであれば、妾にもレイの考えに見当がつくというもの。
次の襲撃は、一般人を巻き込む物になる。もっと言えば――
「……人質でも取るつもりかや」
「可能性の一つにはあるだろう。機関に関わる人間の家族、親しい友人、恋人……いくら特務機関とはいえ、平和な日本に住む人間だ。小さな小さな隙ができることは否定できないし、あいつらはそこに付け入るだろうね」
そこまで話しきると、レイは指を顎に当てながら妾に鋭い視線を向けた。到底平和に生きる人間ができるとは思えない、背筋が凍るような視線。
『次元門事件』を経験した者だからこそできる、覚悟が決まった視線じゃ。
「キミも例外じゃないよ、ククル。キミは彼――伊藤くんが狙われて、冷静でいられるかい?」
「紅が狙われなければよいだけの話じゃ」
「今から距離を取れると?既に絆されているキミが?」
「……自分のことを伝えておらぬのも、過干渉しないためじゃ。距離をとる用意はできておる」
「一応聞いておくよ。正式に彼を機関に迎えれば、私たちが彼を守ることもできるけど?」
「ダメじゃ。あやつの無数にある将来を潰すことだけは許さぬ」
「やっぱり絆されてるじゃないか」
鋭い視線が諦観へと変わった。妾がこう答えることも、レイにはお見通しだったわけじゃ。
自分でも都合のいいことを言っている自覚はある。
吸血鬼であることを信じてくれた紅に、もっと妾のことを知ってほしい気持ち。
こっちの世界とは無縁の一般人として、充実した日々を送ってほしい気持ち。
充実した日々の中に、妾が居てほしい気持ち。
残念なことに、妾に魔族の血が流れている限り、魔族の力を狙う者がいる限り、これらすべてをつかみ取ることはできぬ。
魔族という呼び名は嫌いじゃが、妾は父さまの血を誇りに思っておる。この血によって別れが訪れたとしても、その気持ちは変わらぬ。
じゃから、妾にできるのは、この血を信じてくれた紅が“充実したキャンパスライフ”を送れるように見守るだけじゃ。
「そんな顔するぐらいなら、彼に打ち明ければいいのに」
「機関の人間がそんなことを言ってよいのか?」
「アハハ、たしかに!でも、彼なら歓迎できると思っているのも本心さ」
「あやつを買ってるところ悪いがの、紅にこっちの世界は似合わぬ」
「彼の気持ちを聞いてからでもいいと思うけどねぇ」
「……やたらと食い下がるの」
「そんな目で見ないでくれ。別に、キミが唾つけた彼を盗ろうってわけじゃない」
「こ、紅はそういうのではない!あと表現が汚い!」
「アハハ!」
こやつ、さっきのアイスのくだりをこする気じゃな。まったく、デリカシーの欠片もないやつじゃ。
「まぁ、襲撃といっても、うちが狙われると決まったわけではないし、返り討ちにあった襲撃の昨日今日で狙われるわけでもない。ゆっくり考えることだね」
レイは手をひらひらと振りながら、研究室へと戻っていった。
居室に一人残されて、家電の駆動音だけが耳に届く。紅とレイが居たときの騒がしさが嘘のよう。前期まではそれが当たり前じゃったはずなのに、今はこの静けさが耐えられぬ。
「また、慣れないといかぬな」
紅。おぬしと出会えて本当によかった。おぬしとの時間は人生で一番楽しかった。
別に今生の別れというわけではない。これからもたまに話して、たまにご飯を食べられれば、それでよい。
距離は遠くなるが、おぬしが楽しく笑っておるところを見られれば、それでよい。
目頭が熱くなる。鼻がつまる。でも、もう決めたことじゃ。
「こたつ、もう一回入りたかったの」
こんなに早くタイムリミットが来るなら、もっと早く出会いたかった。
今はただ、あの土踏まずの感覚すら愛おしい。




