第四十三話 吸血鬼は気にしたい
「紅、どうじゃった」
水曜日の二限終わり。いつの間にか僕の前に立っていたククルが声をかけてきた。主語はないけれど、何を聞かれているのかはすぐに分かった。
「たぶん、大丈夫。ククルのおかげ」
「そう。ならよかったのじゃ」
一限にあった物理の小テスト。小テストと呼ぶには範囲も広く、制限時間も長い、もはや定期試験と遜色ないもの。それを乗り切るために、ククルにはこの二日間手伝ってもらっていた。
ククル先生のおかげで、八割ぐらいはあっている自信がある。今回の試験の結果が単位取得の足を引っ張ることはないだろう。
「ほんとククル様様。お礼しなきゃ」
「お礼なら昨日貰ったではないか」
「なんかしたっけ?」
「コーヒー」
「あー」
たしかにお礼と言いながらコーヒーを用意したけれど、あれはただの口実だ。コーヒーを淹れることはもはや趣味だし、もともとククルのために始めたことだから、「お礼をするために振舞いました」という気持ちはかなり薄い。そもそも、昨日はククルが自分で淹れている。
自分がお礼をしたという実感を得るために、お礼をしたい。我ながら、なんともめんどくさい。
「なにかしてほしいこととか……ない?」
「急に言われてものう」
「ほんと、なんでもいいから」
「そんなに献身的にされると逆に怖いわ」
そういいながら、ククルは顎に指を添えて「うーん」と首を捻る。僕が筆記用具の片付け終えてリュックを背負いあげる頃に、「それなら……」と構えを解いた。
「アイス。アイスを一緒に食べるのはどうじゃ?」
「アイス?……いいけど、寒くない?」
「冬に温かい場所でアイスを食べる。贅沢なシチュエーションじゃ。楽しそうじゃろ?」
ニカッと笑うククル。僕からすると楽しいのかはよく分からないけれど、絶賛ククルが楽しそうだから、まぁいいか。
「わかった、アイスね。奢るよ」
「んじゃ、ついでに飯も買って……五十川研じゃな」
「都合のいいたまり場に……大丈夫なの?」
「よいのじゃ。どうせ妾以外に使うやつはおらぬ」
サークル活動や学食へ向かう人に紛れて、僕たちは足を生協へと向ける。
ククルとお昼を食べて、デザートを食べながら、だべる。あれ、お礼のつもりのはずなのに、やっていることはいつもと変わらないような。
「ふ~んふ~ん~ん~」
鼻歌交じりにフリルを揺らす彼女に、これ以上何かを言うのは野暮というもの。
ククルが楽しそうで、嬉しそうならそれでいい。僕が僕のためにするお礼だとしても、ククルのためになにかをしたいという気持ちは変わらないのだから。
***
買い物を済ませて、五十川研の居室へとやってきた。ここに入るのは二回目だけれど、既に前回から内装が変わっている。正確に言えば、物が増えている。石油ストーブだ。
「ほんとはこたつがあればよかったのじゃが」
「居室にこたつはさすがに……」
「妾は諦めてはおらぬ。いつかはレイのやつに買わせるのじゃ」
「しかも教授持ちなんだ」
研究室にある水道で手を洗い、購入したアイスを冷凍庫にしまい、お昼ご飯の弁当をレンジで温める。その間にストーブをつけて、上着をラックに掛ける。
まるでバイトから帰ってきたあとのようだ。この居室には相変わらず自宅のような快適感がある。
そういえば今日はバイトの日だった。はぁ、面倒くさい。
「こうー。コーンスープと味噌汁とお吸い物、どれがいいー?」
「え、じゃあ味噌汁で」
「りょうかーい」
上着からスマホやハンカチを回収していると、棚とにらめっこをするククルが訪ねてきた。どうやら汁物は常備しているらしい。
どうしよう、ドキドキしてきた。
居室に来てからの一連の流れとやりとり。あまりにも自然で、自然にできてしまったから、あまりにも恥ずかしい妄想をしてしまった。
――ククルと一緒に暮らしたら、こんな感じなのかな?
「どうしたのじゃ?顔、真っ赤じゃぞ。ストーブの温度、下げようかの?」
「い、いや、大丈夫、気にしないで」
「?」
忘れてはいけない。僕とククルは友達だ。それ以上でも、それ以下でもない関係なのだ。あの気持ちに引っ張られ過ぎないように気をつけなければ。
――先にアイス、食べようかな。
ご飯を食べ終えて、お待ちかねのアイスを取り出す。
すっかり部屋は暖まりきっているし、ご飯のおかげで体の奥も温かい。この状態で食べるアイスは、たしかに贅沢だ。
「そういえば今日の小テスト、ほとんど過去問と似ておったの」
「言われてみれば……何年分かの過去問を掛け合わせた感じ?」
「あれだけ似た問題が多いなら、過去問だけやっておればいけたのではないか?」
「逆に過去問がなければ辛かったかも」
「たしかに。かおりとシュンにお礼をせねばならぬの」
「僕たちからご飯でも誘う?お礼になるか分からないけど」
「ドリンクバー代を持つ、でどうじゃ?」
「またファミレス?」
「妾は一向に構わぬ。おぬしもじゃろ?」
「僕もいいけど、シュンくんたちにつき合わせることになるよ。お礼なのに」
「あっはは!たしかに!」
会話が弾む。自分の想いや意見を伝えて、相手がそれに応える。逆もまた然り。それが普通にできることが嬉しくて、楽しい。
最初に比べて自然に話せるようになったと自負している。ククル相手なら最初から話せていた方ではあるけれど、今の方がありのままだ。最近はシュンくんや日下部さんとも普通に話せているし、先輩たちとの会話も気後れしない。完全に口下手が改善されたわけではないけれど、確実に成長している。
全部ククルのおかげだ。ククルと出会えて、本当に良かった。
「なんじゃ?そんなに熱い視線を向けられてもアイスはあげぬぞ?」
「違う違う。ただ、ククルに感謝しないとなって思っただけ」
「おぬし、またお礼をさせろというわけではなかろうな?」
「しろというならするけど」
「……『お礼』という言葉を辞書で引いた方がよいぞ」
心底呆れるようにため息をつくククル。そんな彼女の様子を軽く笑いながら見ていると、居室の扉が開いた。
「……おや。相変わらず仲睦まじいねぇ、キミたちは」
「なんじゃ、今日も早かったのか」
「なんじゃとはなんだね、まったく」
「おじゃましてます」
「それに比べてキミはいい子だ」
自宅のように慣れた動きで入ってきたのは五十川教授。ククルの言葉に悪態づきながらも嫌な顔はしていない。これがいつものやり取りなのだろう。
一つ気になったのは、その手に赤い円柱状のものが握られていることだった。
表面がボコボコしているそれは、この地域に住んでいれば一度は目にしたことがあるものだ。たしか、それなりにお高いもののはずなのそれを、なぜ素手で握っているのだろう。
「レイ、それはなんじゃ?」
「ハムだよ」
「ハム?」
「あの、どうして素手で……?」
「あぁ……これ、知り合いが持たせてくれたんだけどね。包む物がないというから、そのまま持って帰ってきたんだよ」
「でもそれ、要冷蔵……」
「あ。……まぁ、少しぐらい平気さ。燻製肉なんだから」
教授は誤魔化すように極太のハムを冷蔵庫にしまった。
鋭い視線を送ってきたり、適当なところもあったり、僕はいまいちこの人のことがつかめない。悪い人ではないことは分かるのだけれど。
「おや、私の分のアイスはないのかい?」
冷蔵庫の後に冷凍庫を開けた教授が、僕たちに尋ねる。場所代として買ってきた方が良かったかもしれないと思う僕の隣で、ククルは「あるわけないじゃろ」と辛辣に返していた。
「そうかぁ。ならさっきのハムは食べさせてあげられないねぇ」
「なっ!」
妙に動揺するククル。食べる気満々だったようだ。
ククルはよく食い意地を張るけれど、それと同じだけおいしそうに食べるから好きだ。表情がコロコロと変わる特徴も相まって、見ていて飽きない。
きっとあのハムも、食べた瞬間に花が咲くような笑顔を浮かべるのだろう。
「なら、僕のアイス食べますか?食べかけで申し訳ないですけど」
「いいのかい?」
「その代わり、ククルに食べさせてあげてください」
「もちろんだとも。いやぁ、キミは本当にいい子だ」
教授は僕の隣の席に座るなり、口をあーんと差し出した。
――あれ。一口でいいのか。僕は残り全部をあげるつもりだったのだけれど。
僕がアイスをスプーンですくって食べさせようとすると、机が「バンッ」と音を立てて揺れた。
ビクッと震えている間に、僕の手を遮ったククルが自分のスプーンを教授の口に押しこんでいた。
「紅のバカ」
「え?ご、ごめん……?」
なぜ僕は罵倒されているのだろう。ククルのためにやったことなのに。
「う~ん。口の中は冷たいのに、なぜかアツアツだねぇ」
「う、うるさいわ!余計なことを言うでない!紅もじゃぞ!いつもは気にするくせに!」
いつもは気にする――あっ。
もしかして、ククルは僕と教授の――間接キスを、止めたかった?
教授が若そうだとはいえ、『教授』というぐらいだから歳は離れているだろうし、僕には心に決めた人がいるから、まったくそういうのは意識していなかった。
――待てよ。「いつもは気にする」ことを「気にしている」ということは、ククルは今までのことも気にしていた――?
「う、うるさいうるさい!もう、デリカシーがないやつばっかりじゃ!」
何も言っていないのに、ククルは僕の視線から逃げるように、冷蔵庫からハムを取り出して研究室へ走り込んでいった。
今までにたびたびあった、ククルとの間接キス。彼女はそれを気にしない人だと思っていたのに、実は気にしていないように見えていただけの可能性が出てきた。
心臓の音が大きくなっていく。「なぜ」を考えようとするたびに、脈が上がる。
考えることをやめようとしても、勝手に脳内で反芻されて止まらない。頭を抱えても、勝手に思考が走ってしまう。
「キミも罪な男だねぇ」
当たり前のようにククルの残りのアイスに手を付け始めた教授が、しみじみと呟いていた。




