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妾の心が導く儘に  作者: ぬまし
僕と妾はこうして出会った

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第三十六話  吸血鬼は打ち上げをする

「本当によかったのかな?」

「みんながいいと言っておるのじゃ、いいに決まっておるじゃろ」


 花紅月はなあかつきの演奏が終わり、日が沈みだしたころ。僕たちは喫茶ピアノフォルテへと向かっていた。

 あのあと、撤収を終えた冬崎ふゆさき先輩が「今日の夜はピアノフォルテに集合ね」と伝えにきてくれた。どうやら打ち上げを企画してくれていたらしく、僕も参加してよいとのことだった。「当たり前でしょ」と全員に言われたときは、少し気恥ずかしかったけれど、嬉しかった。

 打ち上げまでの間、ククルと一緒にジャズ研のジャズ喫茶で時間をつぶしたのはまた別の話。あえて感想を述べるなら、ステージでの演奏を見たジャズ研の部員たちがククルを取り囲んだときのククルの姿が面白かった。普段は堂々としているククルが「こ、こう~……」と情けない声で助けを求めてきたときは、「これがギャップ萌えというやつか」と謎に納得したものだ。

 そして、ジャズ研の撤収がある先輩たちよりも先に、僕たちはピアノフォルテへとやってきたというわけだ。


「マスター、おるかー?」

「こ、こんばんはー……」


「CLOSE」と書かれた札のかかった扉は、何の抵抗もなくするりと開く。二回目とはいえ、閉店中のお店に入ることには慣れない。


「おや、ククルちゃんに伊藤くん。まだ準備が終わっていないので、ゆっくりしていてください」

「ありがと、マスター。お言葉に甘えさせてもらうのじゃ」


 出迎えてくれたマスターの奥からは、チーズを焦がしたような香ばしい匂いが漂ってくる。いくつかのテーブル席はまとめられており、そこにはコップやジュースが用意されていた。

 ククルはカウンター席に腰かけて、僕もそれに続く。店内の様子が変わっても、ククルの迷いのない動きは変わらない。


「ご飯まで用意してもらっちゃって、本当にいいのかな?」

「おぬしが申し訳ないと感じたとして、おぬしはそのご飯を食べぬつもりか?」

「い、いや……」

「前も言ったじゃろ?『おぬしは厚意を素直に受け取ることを覚えたほうがよい』。マスターたちの気持ちを受け取るのも、また思いやりじゃ」

「そんなもんかなぁ」

「そんなもんじゃ。少なくとも、マスターたちは迷惑じゃとは思っておらぬからの」


 店の奥から食欲をそそる香りがどんどん押し寄せてくる。チーズだけではなく、ケチャップ、ソース、コンソメ――おおよそ本格的なコーヒーを淹れる喫茶店とは思えない香りばかりだけれど、ピアノフォルテのメニューを考えると驚きはない。むしろ、期待をしてしまう。


「あら、二人ともいらっしゃい!もう少し待っててね~」


 そんな香りを携えて、ナナさんが店の奥から現れた。両手に抱えた料理をテーブルに並べ始めると、さっきまでの申し訳なさはどこへやら、僕の気持ちは料理へと向き始める。嗅覚だけではなく、視覚からも訴えかけてくるのだ。ククルが諭してくれたのも相まって、このままでは僕は料理のことしか考えられなくなってしまう。


「おっ、来たようじゃ」


 耳をピクリと震わせたククルがぽつりと呟く。その数秒後に、店の外にエンジンの音が現れて、止まった。ドアを閉める音、音楽を奏でるようなご機嫌な足音、待ちかねたカランカランと鳴るベルの音。

 そして、僕たちの半月を締めくくるパーティーが始まった。



 ***



 僕たちは思い思いのジュースを注いだコップを手に取る。冬崎先輩がみんなを見渡すと、コホンと咳払いをしてからコップを突き出した。


「みんな、今日はお疲れさま!みんなのおかげで、とっても楽しくて、最高の演奏ができました!ということで、今日の成功を祝しまして……準備はいい?いくよ!せーの――」

「かんぱーい!」

「か、かんぱい!」


 全員がコップを高く掲げる。そして、グイッと一口。まるでお酒を飲んでいるかのような「プハーッ!」という声が聞こえて顔をあげると、それは冬崎先輩だった。

 なんというか、僕の持っていた先輩のイメージと少し違う。先輩はこう、真面目で厳しいけど優しい、教師のような人だとばかり思っていたのだけれど。


瑠深るみはいつもこうだよ」

「え、そうなんですか?」

「打ち上げとか飲み会とか、だいたいこんな感じ。アルコールの有無にかかわらずね。幻滅した?」

「いえ、むしろ安心したというか……気を許してくださって嬉しいというか……」


 表情に出てしまっていたのか、僕の失礼な感想に気づいた秋峰あきみね先輩が、普段の冬崎先輩について教えてくれた。

 秋峰先輩曰く、しっかりした人なのは間違いないけれど、それと同じくらいに明るい人で、本質的には春風はるかぜ先輩と似ているのだとか。なんだったら、先輩たちの中で一番お酒が好きで、面倒くさくなることもしばしばあるらしい。今までの先輩からはあまり想像できない姿だ。


「今日はお酒飲まないんですか?」

「未成年の前で酔っ払っいはしないよ。瑠深がお酒好きとはいっても、そのへんはわきまえてる……はず。たぶん」

「『はず』とか『たぶん』とか、失礼しちゃうな!私を常識のない大学生と一緒にしないでいただきたい!」

「……酔ってる?」

「酔ってない。テンションが高いだけ」


 僕たちの話を聞きつけて、冬崎先輩がやってきた。手に抱えたお皿には、ピザとスパゲティがどっさりと盛られている。――僕が小食すぎるだけなのだろうか。


「伊藤くん、お疲れさま!」

「先輩たちこそ、お疲れさまです。僕はとくになにもしてないですし」

「なにもってことはないよ!伊藤くんが盛り上げてくれたから楽しい演奏になったんだから」


 身に覚えのないことに感謝をする冬崎先輩は、ニコっと笑う。

 僕は観客席にいただけで、ステージに上がるみんなのためにしてあげられることは何もなかった。だから、全力で楽しんだ。僕から感謝をすることはあれ、先輩たちから感謝されるようなことはないと思うのだけれど。


「伊藤くん、ククルちゃんの名前を呼んでくれたでしょ?」


 ピンときてない僕に、冬崎先輩は補足をする。それでもまだ、ピンときてはいない。


「た、たしかに呼びましたけど……感謝されるようなことではないと……」

「伊藤くんはそうでも、私たちからしたら本当に嬉しかったの。あの瞬間から会場に一体感が生まれて、みんなが心から私たちの演奏を楽しんでくれるようになって……だから、私たちもすごく楽しかったんだよ」


 天井を見上げながら語る先輩の目は輝いていて、心からそう感じているのだと一目で分かった。


「ああいう場所の演奏ってね、大半のお客さんは楽しみ方を知らないから、私たちのテンションが空回りすることも多いの。あとは、気恥ずかしくてノれないとか」

「僕は……ただ声に出ちゃっただけなんですけど……」

「そのあと、伊藤くんに続いて声が出てたでしょ?伊藤くんのおかげで、みんなが『恥ずかしがらずに、心のままに楽しんでいいんだ』って気持ちになったんだよ」


 「厚意を素直に受け取ることを覚えたほうがよい」――ククルから何回も言われた言葉だ。僕の行動がみんなのためになったのなら嬉しいと思ったし、先輩の感謝の気持ちを素直に受け取ってもよいのかもしれないとも思った。

 でも、その感謝は僕だけが受け取るべきものじゃない。僕に声を出させたのは、紛れもなく彼女なのだから。


「そうだとしたら……それはククルのおかげですね」

「そうなんだ。なら、ククルちゃんにもお礼を言わなきゃね」

「な、なんで急に妾が出てくるのじゃ!」


 自分の名前が出てくるのが意外だったのか、リスみたいに頬を膨らませたククルがゴクリと喉を鳴らしてから勢いよく振り向いた。


「だってククルがステージであんなこと言うから」

「妾はただ約束を果たそうとしただけじゃ」

「それがすごく嬉しかった。ありがとう、ククル」

「き、急になにを言い出すのじゃ……」


 照れくさそうに頬をかくククル。それがとてもかわいらしくて――愛おしい。気づいてしまったこの気持ちを隠すことは、もうできなさそうだ。

 恋情はないにしても、先輩たちもきっと似たような気持ちをもっているのだろう。暖かい視線がククルに集まっていく。


「なんじゃなんじゃ!みんなしてそんなに見つめるでない!」


 そっぽを向いて、もう一度ご飯を頬張り始める。ふてくされるように、一心不乱にもぐもぐと。

 本当に――本当に、かわいい吸血鬼だ。




「そういえば、最後の曲……いつ練習していたんですか?聴いたことがなくて、とても驚きました」


 みんなが今日の話で盛り上がるなかで、僕は最後の曲について話を振ってみた。ククルと一緒にほとんどの練習日を過ごしていた僕が知らないのだから、他の曲よりも練習時間が短いはずだ。それにもかかわらず、迫力があって、かっこよくて、最後にふさわしい最高の演奏だった。


「あぁ、あれ?あれはねぇ、一昨日ククルちゃんが――」


 春風先輩がそこまで話してから、斎夏さいか先輩が春風先輩の口を塞いだ。

 冷や汗を浮かべながら僕の顔を覗き込む斎夏先輩と、目を逸らす春風先輩。その反応で、すぐに失言に気づいてしまった。


「一昨日……?」

「……気づいちゃったか」


 一昨日、ククルからピアノフォルテは「休業」だと聞かされて、一日の予定を変更することになった。とはいえ、出かけた先でシュンくんたちと出会い、ククルのためのコーヒーが完成したから、不満があったわけでもないし、満足もしている。ただ、ククルが僕に嘘までついて隠れて練習する意味が分からなかった。

 先輩たちは僕の表情で秘密がバレたことを確信したのか、申し訳なさそうにククルへと視線を運ぶ。一方のククルは、「気にするでない」と軽く笑い飛ばした。


「あらかじめ言っておくと、おぬしが嫌いだとか、距離を取りたいだとか、そういうわけではないからの」

「それはわかってるけど……どうしてまたそんなことを?」


 ククルは「大したことではない」と言うように、スンと澄ました表情を作る。ただ、その頬と耳は少しだけ赤い。


「サプライズ、したかったのじゃ。こうに」

「サプライズ……?」

「おぬしが見ておる妾だけが妾のすべてではない。おぬしの知らぬ妾も含めて、本気の姿をおぬしに見せたかったのじゃ」


 ステージで最後に演奏した曲。あれは、ククルが先輩たちに提案したものだった。

 もともと花月かげつのために作っていたその曲は、他の曲と違って、ドラムは打ち込みの音源しか用意していなかった。生のドラム用の譜面を書き起こすところから始めるには、あまりにもククルの負担が大きすぎる。候補曲にあげこそしたものの、セットリストに加えるには現実的ではないということで、没となっていた。

 それでも、ククルはその曲が一番「花紅月はなあかつきらしい」と感じていた。そう感じたからには、本番で演奏したいと思っていた。だから、先輩たちにこう提案した。「妾がドラムを完成させるから、候補から消さないでほしい」と。

 そして一昨日、宣言通り完成させたククルは、ピアノフォルテへ先輩たちを呼びつけて、その曲の演奏をした。不思議なことに、最初からそのドラムが想定されていたような、もともと花月のときからククルがいたかのような、自然でありながら力強い演奏が一発目から作れた。短いながらに花紅月として積み上げた経験値と、ククルの努力が形となって表れて、これには先輩たちもククルの提案に乗る以外の選択肢は考えられなかった。

 そうしてセットリストに加えることが決まったあと、ククルは最後にもう一つお願いをした。それは、「今日の練習は紅に内緒にしている。本番までこの曲については内緒にしてほしい」というもの。だから、僕はステージの最後の曲が始まるそのときまで、あの曲を知らなかったのだ。


「一昨日のククルちゃん、伊藤くんに見せてあげたかったな」

「え?どうしてですか?」

「だってククルちゃん、不安げに『喜んでくれるじゃろうか』って私たちに――」

「あーあー!余計なことまで言うでない!桃花とうかせんぱい、そういうとこじゃぞ!」

「えー!ここまで話したんだからいいじゃん!」

「桃花ちゃん、さすがの私でもデリカシーがないと思う」

「私も同感。乙女の気持ちが分かってないよ」

「桃花?なんもかんも伝えればいいってもんじゃないの」

「うっ……こ、このっ!」


 ククルと先輩たちがわいわいと騒ぎ始める。口では責め立てるようなことも言っているけれど、みんな楽しそうで、嬉しそうで、僕もつられて笑ってしまった。

 僕のために見せてくれたククルの本気と、心から笑いあっている今この瞬間。

 絶対に忘れられない、僕の大切な想い出だ。

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