第三十五話 紅き月は舞台で輝く
軽音楽部の演奏が終わり、転換が始まる。相変わらず楽器の扱いが分からない僕は、彼女たちを見守ることしかできない。
「いいねぇいいねぇ!盛り上がってきた!」
準備を終えてステージから降りてきた春風先輩が、楽しそうに呟いた。ステージの上から見えた景色が、彼女をそうさせたのだろう。
「紅」
ドラムの準備を終えたククルもステージから降りてくる。僕を呼び止めると、真正面から僕を見上げた。
「覚悟、できておるな?」
「もちろん。準備も、覚悟も、ばっちり」
「うむ。それでよい」
ククルはそれだけ告げて、僕に背中を向ける。
「客席に戻っておれ」
スティックを持って再びステージに上がるククルを見送ってから、僕はステージの前方ど真ん中へ向かった。
花紅月の五人はあらためてステージに上がり、音だしを始める。楽器に問題がないか、音響に問題がないか――すべてを一つ一つ確認して、最高の演奏をするための下準備を終わらせる。全員が顔を見合わせると、冬崎先輩は運営に合図を送った。
そして、ついに花紅月の演奏が始まった。
***
「お待たせいたしました!次は『花紅月』の皆さんです!」
司会のアナウンスが入った瞬間に、観客の視線が一斉にステージの上へ集まる。
「四人のインストバンドとして活動していた『花月』は、この度新たなメンバーを加えて五人のバンド『花紅月』へと生まれ変わりました。パワフルでノリにノッた演奏にご期待ください!――とのことです!それでは『花紅月』の皆さん、よろしくお願いします!」
花紅月の紹介が終わって、ステージ上へとバトンが渡される。
一瞬の静寂と、息をのむ観客。それを切り裂くのは、幾度となく聞いたククルのカウントだ。
「ワン、トゥ、ワントゥ!」
ズドドドドというククルのドラムから、全員のユニゾンが響く。とても五人だけとは思えない音の圧が、ファンファーレとなって花紅月の出番を告げた。
第一印象は完璧で、周りからは「おぉ……」という感嘆の声も聞こえた。――驚くのが早いんだな、これが。彼女たちの演奏は、捉えた心を逃がさないのだから。
僕の口角が上がるのと同時に、数小節のリズム楽器だけのセクションに入る。開幕の圧から一転、コードとリズムだけの落ち着いた雰囲気だ。
このまま今の雰囲気が続くのか、それとももう一度盛り上がるのか、盛り上がるとしたらどんな展開になるのか。観客は次の一音一音を心待ちにして、期待をする。そんな彼らが視線を集めるのは、一度トランペットを下ろした秋峰先輩だ。
彼女はポキポキと鳴らすように首を回して、次に肩を回す。そして、空に向かってトランペットを構え直して――ここからがテーマ。いわゆる、“サビ”だ。
「おぉ!!」
全員で奏でる迫力のあるメロディ。自然と体が縦に乗ってしまうようなリズム。感嘆の声は歓声に変わって、観客たちは腕をあげながら音楽を全身に浴び始める。気恥ずかしい人たちは手拍子で参戦して、その様子に通行人は足を止める。そういう僕も体は勝手にノッていて、ククルたちの音楽で体の芯まで震わせた。
これが音楽。これが生演奏。僕だけでは知ることができなかった、ククルが教えてくれた世界。
ククルと出会ってから、ちょうど一か月。短いようで長かった濃密な日々が、縦に揺れるリズムと共に蘇ってくる。隣の席に座ったあの日から今日にいたるまで、ククルは勝手に僕のキャンバスに色をぶちまけてきた。最初はどうやって距離をとろうか考えていたものだけれど、今となっては楽しくて、嬉しくて、心地よい。
思いに耽りそうになる僕を咎めるように、ククルがジャッと短いシンバルの音を鳴らし、ユニゾンのキメが入る。そして、全員のソロバトルが始まった。
――今は目の前の音楽だけを楽しもう。思いに耽るのも、なにかを考えるのも、そんなものは後でよい。ククルの、ククルたちの本気の演奏を、お互いの気が済むまで、最後まで楽しむのだ。
「みんなー!楽しんでますかー!」
「おぉぉぉぉ!!」
三曲目が終わり、ククルがリズムを刻み続けたまま、冬崎先輩のMCに入る。持ち時間を考えると、あと一曲で終わりだろう。
実は僕は花紅月が本番で何を演奏するかを知らない。それもそのはず、彼女たちが練習している間、僕はコーヒーの研究をしていた。練習している曲は耳に届いていたものの、どの曲をどのような順番で演奏するかまでは知らないのだ。
だから、僕は最後の曲が楽しみで仕方がない。あと一曲で終わってしまう悲しみもあるけれど、それ以上に期待をしているのだ。きっとククルもそれを望んでいるし、ククルなら期待を超えてくれるとも思っている。
なにせ、ククル自身が「覚悟しておけ」と言ったのだ。ククルは絶対に約束を破らない。ククルは、真面目で、努力家で、優しくて、誰にも負けない吸血鬼なのだから。
「次が最後の曲、ですが!その前にメンバー紹介をします!ではまず、こいつ!高い音などなんのその!小さいからって舐めんじゃねぇぞ!オントランペット、コトハ・アキミネぇ!!」
冬崎先輩の紹介に合わせて、ククルがシンバルでカウントを始める。そして、徹底して裏方に回るドラム、ギター、ベース、キーボードの上で、秋峰先輩が軽やかに舞った。
「ことは、今の気持ちは?」
「最高」
「シンプルな感想をありがとう!今日のことははかわいいし、文句なしだね」
「う、うるさい!」
少しだけ声を荒げる秋峰先輩に、笑いが広がる。恥ずかしそうにしつつも、楽しそうに笑う先輩の表情が印象的だ。
「じゃあ次!こいつがいないと始まらない!主役の座を虎視眈々と狙う肉食系ベーシスト!オンベース、シュウ・サイカぁ!」
ベースといえば、縁の下の力持ちのような印象を持つけれど、斎夏先輩のベースはそれだけではない。その楽器一本だけで、周りをひきつけ、頭を振りたくなるようなリズミカルな演奏をしてみせる。それこそ、自分こそが主役だと主張するように。
「萩ちゃん、今の気持ちをどうぞ!」
「あと三十二小節ぐらい貰ってもいい?」
「といいながら、倍ぐらいやりそうだからダメ」
「ケチー」
斎夏先輩もまた、楽しそうに笑う。本当に音楽が好きで、演奏することが大好きなのだろう。そうでなければ、こんなにも人に囲まれた中で、あんなにも堂々と自分を表現することはできないと思うから。
「次は私!このバンドのリーダー!個性をまとめる苦労人!オンギター、ルミ・フユサキぃ!」
高らかに名乗った冬崎先輩は、ピックを空に掲げる。カウントが終わった瞬間にその腕は振り下ろされて、細かく鋭いギターの音色を轟かせた。リズムを刻む体に、激しく動き回る腕と指。音楽は聴くだけではないと視覚から訴えてくるその姿は、ライブの醍醐味を体現したかのようだった。
「ことは、私にインタビューして」
「えー、今の気持ちは?」
「楽しい!」
「人のこと言えないくらいシンプルじゃん」
「それしか浮かばないんだよ!」
シンプルだからこそ、素直な気持ちが伝わってくる。その一言に、今までの道のりが詰まっている。これは花紅月と一緒にいた僕だから分かることではない。彼女の動き、表情、演奏、一挙手一投足が、そう感じさせるのだ。
「どんどん行きます!黙ってれば美人!七色の音色で世界を彩るムードメーカー!オンキーボード、トウカ・ハルカゼぇ!」
目で追うことのできない指さばきで単音が縦横無尽に駆け巡る。綺麗なメロディのあと息をつくかと思いきや、重厚な和音がリズムを力強く刻みはじめた。一度に十個の音を鳴らせる唯一無二の特徴が、たった十数秒のソロに喜怒哀楽を与えていく。
「桃花ちゃん、感想をどうぞ!」
「きっっっもちぃ~~~~!!」
「まさか、今ので満足したわけじゃないよね?」
「もっちろん!まだまだ終わんないよ!」
春風先輩は、一切の気の緩みもないまっすぐとした目で答える。あのソロを披露した彼女に「花紅月にはこの先がある」と宣言されてしまったら、僕たち観客には見届ける以外の選択肢はない。
「次がラスト!」
そして、彼女の出番が来た。
「我らが期待の超新星!夜空に輝く紅き月光は、太陽すらも凌駕する!オンドラムス、ククル・フェルネスタぁ!」
ジャァンという力強い音が鳴る。その瞬間、今まで裏方に回っていたメンバーの全員が楽器を下ろして、正真正銘の“ソロ”が始まった。
無音になったステージに誰もが息をのむ。無から生まれたのは、バスドラムの「ダンッダダンッダダン」というリズム。加速するリズムに、スネア、タム、シンバルと足されていき、一人の人間が奏でているとは思えない音数でリズムセクションを築き上げる。観客からは歓声が上がり、手拍子まで生まれ、そしてそれがステージを包んだ瞬間――生まれた世界は、タァンという乾いた音で、消え去った。
再び無から生まれたのはスネアのロールと、バスドラムの「ドン……ドン……」というリズム。それは徐々に加速して、力強いシンバルを仲間に加える。そこからはあっという間だ。スネア、タム、ハイハット、シンバル、あらゆる打楽器が、もはや目で追いつけないスピードで回る腕によってかき鳴らされていく。彼女が作り出した、彼女だけの世界に、観客は再び歓声を上げた。
ボルテージが最高潮になった瞬間、「ダカダァン」という乾いた音を響かせながら、腕を大きく振り上げる。
どれだけ音楽に疎くとも、誰だって次が最後の音だと分かる。その瞬間を邪魔する者は、誰一人としていない。
そして、空に伸びた腕は――力強く振り下ろされた。
再び動き出した時間を彩るのは、歓声、拍手、指笛。間違いなく、今日一番の盛り上がりだ。
「さぁククルちゃん、一言どうぞ!」
再び軽い音でリズムを刻み続けながら、ククルは立ち上がる。左手でクルリと器用にスティックを回して、その先を観客に――いや、“僕”に向けた。
「最後まで本気の演奏を聴かせてやる。覚悟するのじゃ!」
ククルはステージの上でそう宣言した。何度も僕に聞かせてくれたその言葉を、ステージの上で、もう一度。
今なら断言できる。ククルがそこに立っているのは、自分のためではない。「ククルの本気の演奏が聴きたい」という僕のエゴに答えるため、僕のためだけに、この舞台に立ってくれているのだ。
「く……ククルぅぅぅぅ!!!!」
気づいたら、僕は彼女の名前を叫んでいた。躊躇う前に、恥ずかしさを感じる前に、勝手に喉が音を鳴らしていた。
「秋峰ぇぇぇ!!」
「瑠深ちゃあああん!!」
「桃花ちゃあああん!!」
「斎夏ぁぁぁ!!」
「く、ククルちゃん!!」
僕に続いて、観客がみんなの名前を思い思いに叫ぶ。この瞬間を楽しむために。
そうだ。今この場に、躊躇いも、恥じらいも、偽りも必要ない。必要なのは、心が導く儘に楽しむこと、ただそれだけだ。
「っしゃああ!このまま最後まで突っ走るぞぉぉ!!」
「ワン、トゥー、ワントゥースリー!」
そして、僕が知らない最後の曲が始まった。
「な、なんだこれ……」
僕が喫茶ピアノフォルテで一度も耳にしていないフレーズ。自分がかっこいいと自信を持つ音をそれぞれが出しあい、ぶつけ合う演奏。全員が主役で、全員が脇役。一つ間違えれば相いれない平行線に見える個性が、ステージの上に虹を描いていく。
「す、すごい……」
もちろん、ククルも例外ではない。打ち鳴らされる音一つ一つに感情があって、同じ曲のなかで表情をコロコロと変えていく。
激しくかき鳴らすシンバル。ステップを踏むようなタム。しっとりと刻むハイハット。高笑いをするスネア。不敵に微笑むバスドラム。
まるで普段の彼女を体現するような演奏が、僕の全身を包み込んだ。
「ククル……!」
僕の目が、耳が、身体が、彼女へ釘付けになっていく。ククル・フェルネスタの本気を五感で浴びる。
かっこいい。かわいい。嬉しい。楽しい。そして――
「……もう、認めるしかないじゃん」
堪えられなかった。見て見ぬふりをしていたはずなのに、もう誤魔化せなかった。
僕を受け入れてくれて、僕の作戦を笑わずに手を貸してくれた、僕の初めての友達。
ファッションにこだわりがあったり、イタズラ好きだったり、なかなか個性的ではあるけれど、優しくて、尊敬できて、かっこよくもかわいい吸血鬼。
僕のために、距離を置いていた音楽を再び始めてくれた。全力で練習をして、宣言通りの本気を見せてくれた。真っ暗な道を歩いていた僕を照らしてくれる、世界で一番綺麗な紅い月。
僕は、そんなククルのことが――大好きだ。
もうすぐ最後の曲が終わる。最後の最後まで魂のこもった演奏が続いて、ドキドキが止まらない。
そしてユニゾンが響いて――ククルがフィニッシュをキメる。
一瞬の静寂。そして、割れんばかりの拍手と切れ目のない歓声。
「さいこー!!」
「かっこよかったぞー!!」
気が付けば、ここにいる誰しもが花紅月の演奏の虜になっていた。
もちろん僕もまたその一人なのだけれど――視界が滲んでいたのは、きっと僕だけなのだろう。




