第二十五話 吸血鬼は名前を決める
「それじゃあ早速バンド名を決めようと思います!」
ククルが先輩方のバンドに加入することが決まって数秒後、すぐに声をあげたのは春風先輩だった。
「バンド名?『花月』という名があるのではないのか?」
「そうなんだけど、ククルちゃんが加わるなら名前も変えた方がいいかなって」
「んー?」
首を捻りながら声をあげるククル。その様子を見て、冬崎先輩が春風先輩の説明に補足する。
「『花月』ってバンド名は、私たちの名字からつけた名前なの。ほら、私たちの名字って春夏秋冬が入ってるでしょ?いい感じに季節を感じさせて、演奏をキラキラさせるような名前がないかなって考えた結果、こうなったの」
「ほう。由来を聞くと、さらに深みが増す名ではないか。なおさら変える必要はないと思うがの」
「由来があるからこそ、この名前だとククルちゃんがメンバーになりきれない……って桃花ちゃんは思ってるんじゃないかな」
冬崎先輩の補足をククルと一緒に聞いていた春風先輩は、「そうそう!」と激しく相槌をうった。
「瑠深ちゃんの言うとおり!せっかくククルちゃんが私たちと一緒に本気になってくれるんだから、ここにいるみんながメンバーのバンド名を決めようよ!ただのトラなんて関係じゃ寂しいしね!」
春風先輩はみんなの顔を見渡して反応をうかがう。その中にはなぜか僕も含まれていて、明らかに場違いな雰囲気にいたたまれなくなった。
それにしても、また「トラ」という単語が出てきた。今なら先輩やククルに聞くことができるけれど、話の腰を折るわけにもいかない。話の流れを見るに僕の認識は間違っていないだろうから、ここは聞きたい欲をグッと堪えることにした。
「じゃあさっそく決めたいんだけど、どういう方向性でいく?ガラッと変える?」
「妾は『花月』という名は残したいの。おぬしらが積み上げてきたものじゃ、一時とはいえ、それが無くなるのは忍びなくての」
「ククルちゃんは優しいね!みんなはどう?」
春風先輩が音頭を取って、まずはククルが意見を述べる。こういうところでも堂々と意見を述べられるのは、さすがはククルといったところだ。
「ククルちゃんがそういってくれるなら残したいかな、あたしは」
「私はセンスないらしいからみんなに任せる」
「『コトコトバンド』の名付け親は一味違うね」
「それは桃花ちゃんでしょ。私は『百花繚乱舞踏会』だよ」
「……二人とも、どんぐりの背比べって知ってる?」
呆れたように冬崎先輩は呟いて、ため息をつく。
さすがに『百花繚乱舞踏会』には笑いそうになったけれど、先輩が考えた名前をバカにするわけにはいかない。僕が必死に笑いを堪える横で、ククルは声をあげて「あっはは!」と笑っていた。
先輩方はそんなククルの様子に嫌な顔をすることはなく、一緒になって笑っている。その雰囲気に流されて僕も少しだけ笑ってみるけれど、自分で分かるぐらいにはぎこちなかった。
「じゃあ『花月』にククルちゃん要素を足そうと思うんだけど、ククルちゃんはなにかアイディアはあるかな?」
「うーむ……妾を表す言葉か……」
笑い続けている春風先輩に変わって、冬崎先輩が話を戻す。
ククルはその問いにしばらく首を捻るも、なかなか答えは出てこない。
「自分で自分を表す言葉を探すのは難しいの。紅はどうじゃ?なにかないかの?」
「ぼ、僕!?」
ククルは僕の顔を覗き込みながら、急に大きな無茶ぶりをしてきた。まさか話を振られるとは思っていなかったから、上ずった声が出てしまう。
「たしかに、私たちよりも伊藤くんの方がククルちゃんに詳しいし、伊藤くんに考えてもらうのはありだね」
「うむ。紅の意見を妾の意見としてほしいのじゃ」
「そんな大層な役割……」
みんなの期待の眼差しを一身に受ける。想定外のプレッシャーに、冷や汗が噴き出てきた。
きっとククルと優しい先輩のことだから、断っても「ごめんね」という一言で済ませてくれるとは思う。ただ、ククルからの期待に応えられないのは――なんか嫌だ。
「……わかったよ。ちょっと待って」
先輩たちにはもちろんのこと、ククルが納得できるような案を出すために、ククルと出会ってからのことを思い返す。
出会ってから今日にいたるまでの記憶を辿っていくと、最も彼女らしい言葉は“吸血鬼”だろうと気づいた。
ただ、その言葉をそのまま使うことはできない。バンド名に使いづらいことはもちろんのこと、理由を聞かれたときに答えづらいからだ。
今、先輩方はククルのことを留学生だと思っている。ククルもそれを否定していなければ、僕に自己紹介をした時のように「吸血鬼じゃ」とも名乗っていない。僕から「実は彼女は吸血鬼で――」なんて話すことを彼女は望んでいないかもしれないし、「吸血鬼っぽい雰囲気だから」なんて理由をつけても「どのあたりが?」と聞かれたら言葉に詰まってしまう。
それなら、吸血鬼を連想させる言葉を探すのはどうだろうか。ぱっと思いつくのはコウモリ、伯爵、宵闇――
「……月?……満月、大きい月……」
漏れ出てしまった呟きに、ここにいる全員が耳を澄ませる。僕からしたら適度にガヤガヤとしてくれた方が気持ちは楽なのだけれど、今それを願ったところで意味はないだろう。
なるべくみんなを見ないようにしながら、思考の海に再び潜る。
月に注目するのは『花月』との相性も良いはずだ。ただ、大きな満月だけでは吸血鬼らしくない。もっと、吸血鬼の姿が瞼に浮かぶような、ククルが映えるところを想像しよう。
羽を広げ、空に浮かび上がり、月明かりのなかフリルを揺らす。小さな牙を見せながら、ルビーのような瞳を月のように輝かせる。そんな姿を一言で表すなら――
「……紅い月。『紅い月』なんてどうでしょうか」
「理由を聞いてもいい?」
「えっと……」
「“吸血鬼”らしい言葉」というのが正直な理由だけれど、吸血鬼らしいということはククルらしいということでもある。それを正直に伝えられれば、“吸血鬼”という言葉を使わずとも理由を説明できるはずだ。
「あの、ククルはこのかわいい服がトレードマークなんですけど、これが一番輝くのは月夜……月明かりかな、と思って……あ、あとは――」
僕の言葉を先輩方はニコニコとしながら、それでいて真剣に聞いてくれている。ククルはといえば、目を伏せながら聞いていて、僕の方を見ようともしていない。
「ククルの目はルビーみたいに綺麗で、夜空のもとでは紅い月みたいだなと……紅い月はブラッドムーンなんて怖い名前がついていたりしますけど、そんなところも、……こう、ククルの不思議さを感じさせて、悪くないかな、なんて」
僕はそこまで話し終えてから、あらためて先輩方の様子をうかがう。すると、さっきまでのニコニコとした表情から一転、全員が全員ポカンとしていた。
ククルへ僕の案が問題ないかを尋ねようとすると、彼女は僕の頬をグイッと押し返す。――テジャブだ。
「それは仕方ないと思うよ、伊藤くん」
「やるね、伊藤くん。気に入ったよ」
「私の仲間だと思ってたのに……」
「だめ、わたし、二人がかわいすぎて昇天しちゃいそう」
頬が潰れる僕を見ながら、先輩方は好き好きに僕へ言葉をかける。一人として同じ反応をしていないのに、一人として何故そう思われているのかは分からない。
「あの、ククル?ククル的には僕の案はどう……?」
「それ……がよい。だから、こ、こっちを見るでない」
ククルの表情を見ることが許されないまま尋ねると、彼女はしりすぼみにそう答えた。前に似たようなことをされたときは、もっとぶっきらぼうというか、雑に扱われていたような記憶があるけれど、今日はやたらとしおらしい。
「よし!じゃあククルちゃんのオッケーも出たし、『紅い月』という言葉を使いたいと思います!」
春風先輩は、仕切り直しと言わんばかりに手をパンと叩く。それを聞いたククルは、僕を押しのける手を下ろした。
今なら彼女の表情を見ることができるけれど――さすがにもう一度は憚られる。
「ここはシンプルに……『花月と紅い月』?」
「月がダブってる」
「たしかに」
こと名前において、覚えやすく口にしやすい響きは大事だ。それがバンド名なら、一単語で済むような響きのほうがよいだろうし、長い名前であっても一単語で略せたほうがよいだろう。そう考えると『花月』という名前は完成されていて、そこに今から『紅い月』要素を加えることは難しい。
それなら、『花月』や『紅い月』と読ませないのはどうだろうか。
「あ、あの……」
「もしかして、案を思いついた?どんなものでも大丈夫だから、ぜひ聞かせて?」
僕がおそるおそる声をあげると、冬崎先輩が丁寧に僕へ話を振ってくれた。その優しさに応えるべく、僕は図々しいと思いながらも口を開く。
「二つを混ぜて、『花紅月』なんてどうでしょうか。『かげつ』とは読めませんが、『花月』という名前は残りますし、『あかかげつ』や『こうかげつ』よりは響きがいいと……」
僕の提案を聞いて、先輩方はボソボソと『花紅月』と口にする。
「か……かっこいい」
先輩方の中で、口火を切ったのは秋峰先輩だった。
「いいじゃん、『花紅月』!みんなはどう?」
「あたしはいいと思う」
「私も賛成。ククルちゃんはどう?」
冬崎先輩は、最後にククルへと振る。自然な流れに身を任せて、僕はククルへと目を向けた。
さっきのしおらしい声色はどこへやら、ククルはいつもの表情で、いつものようにハキハキと返事を返す。
「よい名じゃと思う。賛成じゃ」
ククルの答えを聞くや否や、春風先輩は勢いよく立ち上がった。そして、全員の顔を見渡しながら、この話し合いにピリオドを打つための音頭を取る。
「よし!じゃあ、今日からここにいるみんなは『花紅月』だ!みんなでライブの成功に向けて~、がんばるぞー!」
「おー!」
「お、おー……」
先輩方とククルが腕をあげるのに合わせて、僕も小さく腕をあげる。
先輩が言う「ここにいるみんな」に自分が含まれているのか自信はないし、図々しいことを言ってしまったという気持ちは拭えない。それでも、できれば僕も一員のような気持ちではいたいと感じた。名前を付けておきながらこれっきりというのは、無責任というか、寂しすぎるから。
『花紅月』は、新しいククルの居場所にもなる。彼女が人との音楽を楽しめるように、そして僕が彼女の本気の演奏を心の底から楽しめるように、僕は僕にできることをしよう。
***
先輩方とククルはバンド名が決まったあと、軽く練習を始めた。ただ、思っていたよりも僕たちの話し合いは長かったようで、いつの間にか十七時をまわろうとしていた。
先輩たちの話によると、喫茶ピアノフォルテのメインの営業時間は夜のため、みんなが自由に音を出していいのは十七時までという決まりになっているそうだ。それまでには片付けも済ませて、原状復帰をしなければいけない。
僕は本物の楽器たちを今日初めて見たほどのド素人だから、片づけを手伝うことはできない。それならばとグラスやコップをまとめようとすると、「それは店員の仕事よ」といって、ナナさんが僕の手を止めさせる。僕にできることをしようといったそばから今の僕にはできることはなにもなく、ただ申し訳ないと思いながら縮こまることしかできなかった。
そんな役立たずな僕を見かねてか、一足先に片づけを終えた冬崎先輩は僕の隣までやってきて、声をかけてくれた。
「伊藤くん、今日はありがとね。あと、ごめんね」
「え……っと、特に感謝も謝罪もされるようなことは……」
「感謝は、無茶ぶりの中でも名前の案を出してくれたこと。謝罪は、ククルちゃんを脅しちゃったことと、二人の時間を奪っちゃったことかな」
「いえ、ククルからもちかけたことですし……」
そういえば、僕の一言がきっかけかもしれないとはいえ、先輩方に話を持ち掛けたのはククルであって、僕ではない。ククルをバンドへ誘うなら、僕にそれを話す必要はないし、バンド名を決めるにしても、ただククルの連れである僕の意見など聞かなくてもよかったはずだ。
どうして先輩方はククルだけではなく、僕も話し合いに加えたのだろうか。
「あの、冬崎先輩。少し、聞いてもいいですか?」
「いいよ。なんでも聞いて」
「どうして、僕も話に加えようと思ったんですか?」
「うーんと、どう伝えたもんかな」
冬崎先輩は上を向きながら、少しだけ思考を巡らす。話の道筋をまとめ終えた先輩は、チラッとククルの方を確認してから、小声で話し始めた。
「今までククルちゃんは私たちに全く興味がなさそうだったのに、今日になって初めて声をかけてくれたんだよね。伊藤くんは知ってた?」
「あ、はい。さっき秋峰先輩から同じことを……」
「じゃあ、伊藤くんがいないときにここに来るククルちゃんが、最近はいつも“誰か”のことをマスターと楽しそうに話してるんだけど……これ、誰のことか分かる?」
「いえ……というか、ククルがここでそんな話をしてるなんて、は、初耳です」
「だよね。多分、伊藤くんは知らないと思ってた。……実は――」
冬崎先輩は僕に近づき、口を耳元に寄せて手を添える。急に吐息が耳にかかってビクッと震える僕に「ごめんね」と謝りながら、先輩は僕が知らないククルのことをこっそりと教えてくれた。
「今日伊藤くんに会って、それが君のことだって分かっちゃった」
それだけ言うと、先輩は「内緒だよ」と口に指をあてながら僕から離れる。
ククルが、僕のいないところで僕の話をしていた――?
恥ずかしい――いや、嬉しい?胸にグルグルと渦巻くこの気持ちが分からなくて、僕はこの感覚になにを思えばよいのかが分からない。
「二人が二人の時間を楽しんでいるのはククルちゃんの様子から分かってたし、今日声をかけてくれたのは伊藤くんの影響なんだろうなってすぐ分かった。だから、伊藤くんにも聞いてほしかったの」
僕の頭の中では、「だから」以前と以降で話がつながらない。僕からすれば、ククルがよければよいという話でしかない。
そんな考えが表情に出ていたのか、「うーん」と少し悩みながらも、先輩は僕に伝わるように言葉を付け加えてくれた。
「賽岐祭に出るなら練習もお願いしなくちゃいけないから、二人の時間は今より減っちゃうと思う。きっとククルちゃんは嫌だと思うだろうし、ククルちゃんの楽しい時間の相手――伊藤くんも嫌だと思ってるかもしれない。二人に嫌な思いをさせてまで付き合ってほしいとは思わないから、伊藤くんにもククルちゃんを誘う話から聞いてもらった……っていう感じかな。どちらかが嫌だと言ったら、諦めるつもりだったよ」
「ククルは、ぼ、僕との時間よりも……音楽の方が好きだと思います……けど」
「それは――どうだろうね。……まぁ、ククルちゃんのみぞしるということにしておこうかな」
冬崎先輩は、その答えを既に知っていると暗に伝えながらはぐらかした。
答えを聞きたい気持ちはある。でも、今の僕がそれを聞いてはいけない気がする。なにより、先輩の口から聞くことではないとも思う。
「伊藤くんはどう?ククルちゃんとの時間が減って嫌じゃない?」
「僕は……ククルが楽しそうにしていれば、それでいいです」
「二人のときも楽しそうだったけど?」
「そ、それは僕にはわからないですけど……ククルは音楽が好きなのに演奏する機会はなかったみたいで、だからか、今日はすごく楽しそうでした。僕は、ああいうククルの姿が見られるなら……」
「……そっか。なら、私たちも気合入れないとね。ククルちゃんと最高の音楽つくって、伊藤くんに聴かせてあげる」
結局のところ、二人の時間が減ることで僕たちが嫌な思いをしないように、という配慮だったようだ。
先輩の話によるとククルは僕との時間を楽しいと思ってくれていたようで、それが本当なら、まぁ、嬉しい。――とはいえ、彼女からしたら趣味を投げうつほどのことでもないと思う。
僕はといえば、二人の時間が減るから嫌なんていう、友達相手にもかかわらず独占欲むき出しな感情を抱くわけがない。――ないはずだ。
なにより、多少なり僕の心のままの言葉を聞いて立ち上がってくれたククルに対して、「やっぱいい」なんて言うわけがない。僕は心の底から、ククルの本気の演奏が聴きたいのだから。
「……ぜひ、よろしくお願いします」
僕は先輩に頭を下げる。先輩は「任せて」と答えながら、僕に笑ってくれた。
先輩たちと一緒なら、ククルは絶対に人と奏でる音楽を楽しめると思う。そこで生まれた本気の演奏は、前に聴かせてくれたものより、今日聴かせてくれたものより、もっともっとすごいものになるはずだ。
賽岐祭まで二週間と少し。この時間が多いのか少ないのか僕には分からないけれど――今から本番が楽しみで仕方がない。
そういえば、ずっと聞けなかった“あれ”について、今なら聞けるのではないだろうか。
「……あ、あの、もう一つだけ、聞いていいですか?」
「なんでもきいて?」
「……『トラ』ってなんですか?」
キョトンとした顔をした冬崎先輩は、すぐになにかを悟ったように目を伏せた。
「……ククルちゃんが気に入るのも、分かるかも」
どうやら、「エキストラ」の略らしい。僕の予想は間違っていなかったみたいだ。




