第二十四話 吸血鬼はバンドに誘われる
僕がマスターからいただいたコーヒーを楽しんでいる間に、ククルたちは追加で何曲か演奏していた。
だんだん五人での演奏の感覚がつかめてきたのか、一度演奏をやめて、実際に賽岐祭で演奏する曲について話し始める。
「これが賽岐祭でやる曲の候補なんだけど……」
春風先輩はスマホにささったイヤホンをククルに渡し、ククルはそれを耳にさして目を閉じる。しばらくしてから、ビックリしたように目を見開いて先輩方を見渡した。
「これを……これを打ち込みで合わせようとしておったのか……?」
「実際に今までできていたし、今回もいけるはず……だったんだけど」
「い、今までできておったのが驚きじゃ!相当難しいじゃろ!」
「慣れってやつかな?」
「慣れるわけないでしょ。あたしはいつも神経すり減らしながら合わせてんだから」
「え、そうなの?」
「そりゃそうよ。打ち込みには耳も目ん玉も気遣いもないんだから」
「リズム星人の萩には余裕だと思ってた」
「リズム星人……ぷふっ」
「瑠深は味方でいてよ……ククルちゃんは味方だよね」
「リズム星人なら合わせられるのも納得じゃ」
「ククルちゃん!?」
先輩方はユーモアたっぷりで、ククルが馴染めるように気を使ってくれている。ククルのことを留学生だと勘違いしているからかもしれないけれど、彼女らしいおかしなところについて聞いてこないところもありがたい。
そんな優しい先輩方は、あのククルが驚くぐらいのことをやってきたようだ。それに気づいて、ついていこうとするククルもなかなかだけれど。
こうしてククルのハイスペックぶりをみると、どうして何のとりえもない僕が彼女の隣にいるのだろうと思うときがある。ククルもマスターも僕のことを気に入ってくれているけれど、正直買いかぶりすぎだ。
自分でそう思うのなら、僕は僕で努力をするべき、ということなのだろう。例えば――そう、コーヒーとか。
「私、ちょっと休憩してくる」
「あいあーい」
僕が聞き耳を立てながらあれこれ考えていると、トコトコと足音が迫ってくることに気づいた。
「マスター、アイスコーヒーください」
彼女はマスターに注文を伝えながら、僕の隣の席に座る。
「ふぅ」と軽く息をついた彼女は、申し訳なさそうに眉を落としながら、独り言のように呟いた。
「彼女の時間、貰っちゃってごめんね。あと、うるさいのも」
「い、いえ……彼女ではないですし……」
「そういう意味の彼女じゃないけど……」
僕に話しかけてきたのは、ぱっと見仏頂面なのに、よく見ると表情が分かりやすい、橙色の髪のトランペットの先輩。
「多分聞こえてたと思うけど、私は農学部三年の秋峰心葉。君もククルちゃんと同じ?」
「えと、はい。一年の伊藤紅……です」
「……急に話しかけてごめんね。なんか、君から同じ匂いを感じて」
「お、同じ……?そ、そうですか」
「そういうところとか、ね。今は先輩補正でなんとか取り繕えてるけど、私はたぶん、君……伊藤くんの気持ちがわかる人、だと思う。だから安心して……って言われても困るか」
「……いえ。少し、安心しました」
「よかった」
秋峰先輩は息を漏らしながら胸をなでおろした。
先輩は会話に参加しようとしないだけで、会話ができない人ではない――つまり、僕と同じに見えて、僕とは違うタイプの人だと思う。ただ、口下手な僕を見て気持ちに察しがつくというのなら、僕と同じように会話をすることに苦い経験がある人なのだろう。
「あの、余計なことじゃなかったですか?ククルが先輩たちに声をかけたこと」
「むしろありがたいかな。第三者の意見って貴重だし、いろいろ試したいって思ってたところだから」
「そう、ですか。よかった」
「なんか、ククルちゃんの保護者みたい」
「本人にも言われたことあります」
僕たちは小さくフフッと笑う。僕の一言で笑いあえるなんて、多少は会話が上達したと思ってもよいだろうか。
「ククルちゃん――常連さんは、今まで私たちに見向きもしなかったから、正直びっくりはしたな」
「そ、そうなんですか?ククルは皆さんのことを知ってたし、気を使っていたから、興味ぐらいは持ってるものだと……」
「え?そ、そうなの?なんで今日話しかけてくれたんだろう……」
「それはたぶん、僕が――」
僕はそこまで言って、口をつぐんだ。秋峰先輩は、その先を言いにくそうにする僕を不思議そうに見る。
おそらく、いや、ほとんどそれが理由だと分かっているけれど、あらためてそれを認識すると、自惚れているみたいで恥ずかしい。それに、もし検討違いだったら、それはそれでいたたまれなくなってしまう。
でも、ここにククルは居ないし、秋峰先輩はお喋りな人ではない。先輩になら、正直に話しても大丈夫だろう。
「――たぶん、僕が『ククルの演奏が聞きたい』っていったから……だと思います」
「そう、なんだ。……もしかして、最近雰囲気が変わったように感じたのは伊藤くんの影響……?だとしたらククルちゃん、伊藤くんのことかなり好きだよね」
「す!……き、なわけないです。と、友達ですから」
「そういう意味の好きじゃないけど……」
条件反射でビクリと背筋を振るわせる僕の反応を見て、秋峰先輩は「なんか、ごめん」と謝った。そのまま気まずそうに目を逸らして、マスターからカウンター越しに渡されたアイスコーヒーを口に運ぶ。
先輩はなにか勘違いをしているかもしれない。いや、正確には勘違いではないのだけれど、これは勘違いということにしないといけない。
「あ、あの、ククルとは本当に友達でしかないので……」
「う、うん……わかってる、わかってます。私の言葉選びがデリカシーなかった。ごめんなさい」
「い、いえ、そんな……謝っていただくほどのことでは……」
先輩は僕に小さく頭を下げる。先輩の言葉にデリカシーがないというより、僕が過剰に反応してしまっただけで、本当に謝ることではない。ただ、先輩が言った「デリカシーがない」という言葉は僕にも突き刺さって、僕も気をつけないといけないと感じた。
――出会って初日の女性に「大食いなんですね」は、今思えば許されない言葉だったな。
「……これはお節介な先輩の独り言なんだけど」
秋峰先輩はアイスコーヒーを一口喉に流し込むと、僕を見ることなく、どこか懐かしむように口を開いた。
「自分の心には素直になった方が、絶対にいい。私はそれができなくて、ずっと一人だったから」
横目で他の三人の先輩を見やる。彼女たちは、ククルにあれやこれやと話しかけながら、ときには大きな笑い声をあげている。
「みんなが私の本心を引き出してくれたから、今は賑やかだけど」
恥ずかしそうにそう言いながら、少しだけ頬を緩ませる。
そして、僕に向き直ると、最後に一言だけ付け加えた。
「今の時間を大切にね」
心のままに生きることは難しい。それでも、ククルと一緒に過ごすようになってから、少しぐらいはそうありたいと思ってきた。だから今日、僕は自分勝手だと思いながらもククルに気持ちを伝えた。
でも、気づかないふりをしているこの気持ちは、この気持ちにだけは素直になれない。“充実したキャンパスライフ作戦”のことだけではない。もっと深いところで、僕自身がそれを許そうとしない。
「あり……がとうございます。いろいろ、考えてみ――」
「マスター!オレンジジュースくださーい!」
僕が秋峰先輩の言葉に向き合おうとしたとき、ステージの方から大きな声が聞こえた。僕が目を向けると、話し合いを終えた先輩方とククルが僕たちを囲むように歩いてきていた。
「なにしに来たの」
「わたしたちも休憩~。ことちゃんたちはなに話してたの?」
「ありがたい先輩からの助言」
「後輩に先輩づら?めんどくさ」
「うっざ」
「ばばあくさいね、ことは」
「言葉が強すぎるだろ、おまえら」
秋峰先輩にいろいろな言葉を投げかけながらも、先輩方はみんなが笑っていて、楽しそうだ。よっぽど仲がよいのだろう。
わいわいとしたあと、各々がマスターに注文をして、ナナさんがまとめて運んでくる。その中にはククルのアイスコーヒーもあって、彼女は僕の隣に座りなおした。
「おつかれさま、ククル」
「どーも、じゃ」
「最初ちょっと心配したけど、なんとかなってよかった。あと、やっぱりかっこよかった」
「当然じゃろ?」
「うん、当然。ククルだから当然だ、想像通りだった」
「というわりに、マスターや先輩と楽しそうに話をしておったではないか」
「見てたんだ。……ククルのこと話してたんだよ。本当に」
「ふん、どうだか」
先輩たちのように、ククルもなぜか僕に強く当たる。今となっては彼女が本当に怒っているわけではないと分かるけれど、この反応に対するうまい返しは分からない。
「伊藤紅くん……でいいのかな。初めまして」
僕たちが雑談をしていると、冬崎先輩が僕に声をかけてきた。
先輩方は、ククルに名乗ったときのように僕へ自己紹介をする。僕の名前を知っていたのは、秋峰先輩が教えたからだろう。
名前を知られているとはいえ名乗らないのは失礼だから、僕も自己紹介をする。すると、冬崎先輩は椅子を引っ張ってきて、僕たちと向かい合うように座った。
「さっき軽く私たちで話し合って、これから話すことはククルちゃんと、できれば伊藤くんにも聞いてほしいんだけど……いいかな?」
「ぼ、くは、かまいませんが……」
「妾もじゃ」
「ありがとう」
僕たちの返事に冬崎先輩はニッコリと笑みで返して、あらためてコホンと咳払いをする。
「ククルちゃんには説明したけど、私たちは賽岐祭のステージで演奏するんだ。でも、今のままではうまくいかないかもって思ってて。だから、さっきはククルちゃんに手伝ってもらえて、本当に助かったの」
「妾も楽しかったのじゃ」
「そういってもらえて私たちも嬉しい。……それで、ククルちゃんと合わせてみて、うまくいく方法を考えなおしたの。生音をサンプルするとか、細かくセクションを分けるとか、よく聞こえるようにギリギリまでPAと粘るとか、ことはに片手でペット吹かせて片手でシンセいじってもらうとか……」
「最後の案聞いてないんだけど」
「最終的に私たちの中で一致したことがあって」
「無視かい」
秋峰先輩の言葉を無視して話を続けようとする冬崎先輩の後ろでは、春風先輩が秋峰先輩の肩にポンと手を置いて首を振り、斎夏先輩はわざとらしく秋峰先輩に「ドンマイ」と声をかけている。
さすがに気になって僕がそちらに視線を向けると、それに気づいた冬崎先輩がゆっくりと振り向く。その瞬間、三人は一斉に背筋を伸ばして固まった。「私悪くない」と呟く秋峰先輩の表情には、どこか哀愁が漂っている。
「……コホン。結論としては、私たちだけでは難しいってことになったの。小手先の技術や工夫では、もう誤魔化せないって。つまり、何が言いたいかというと――」
冬崎先輩は僕たちを見渡したあと、その視線をククルに固定する。その表情は、さっきまでの和気あいあいとしたものでもなく、圧を放っていたときのものでもなく、人が腹をくくったときのものだ。
「――ククルちゃんさえよければ、私たちのバンドに参加してほしい!私たちのバンドの一員として、舞台に上がってほしいの!」
ククルは僕の方を見る。僕が首を横に振る理由なんて一つもない。
ククルに頷きで答えると、彼女はニヤリと楽しそうに口角をあげた。
「――もちろんじゃ。妾もちょうど本気を出したいと思っておっての」
「ククルちゃん……ありがとう!」
ククルが手を差し出して、冬崎先輩が手を握り返す。それを見た三人の先輩は、ホッとした表情を浮かべる。
冬崎先輩に笑顔を向けるククルを見たら、気が早いと分かっていながら、ククルの本気の演奏に胸が膨らんでしまっていた。




