第二十三話 吸血鬼はスティックを握る
「妾にドラムを任せてみてはどうじゃろう?」
ククルの言葉に先輩方はきょとんとする。
「多少は腕に覚えがあっての、今だけお試しに加えてみてはどうじゃろうか。もしかしたら、おぬしらが抱える問題の解決の糸口になるかもしれぬ」
彼女たちはさらに顔を見合わせて、もう一度ククルを見る。戸惑いの視線を受けてなお、ククルは自信たっぷりに胸を張った。
「な、なんだぁ~!そういうことかぁ~!」
最初に口を開いたのはキーボードの先輩。それに続いて、他の先輩方も「はぁ~」と長いため息をついたり、「あははは」と笑い声をあげたり、思い思いの反応を見せた。
「ごめんなさい、怖がらせちゃったね」
先ほどまでの圧は嘘だったかのように、ギターの先輩は申し訳なさそうに手を合わせる。
「そういうことなら、是非お願いしようかな。……お察しのとおり、私たちも行き詰ってるの」
そして、困ったように頬をポリポリとかきながら、ククルの前まで歩み寄って、手を差し出した。
「私は冬崎瑠深。賽岐大農学部の三年。よろしくね、……ええと――」
「申し遅れたの。賽岐大農学部一年のククル・フェルネスタじゃ」
「やっぱり後輩の留学生ちゃんだ!常連さんの姿、学部棟で見覚えがあったんだよね」
「そうじゃったのか。さっきは驚かせてすまんかったの。よろしくお願いするのじゃ」
「うん。よろしく、ククルちゃん」
ククルは留学生ではないはずだけれど、ややこしいことにならないようにするためか、否定しなかった。
そのまま冬崎先輩の差し出した手を握って、先輩の顔を見上げる。今度は二人ともちゃんと笑顔だ。
冬崎先輩の自己紹介を見届けて、他の先輩方もククルのもとへ集まってくる。
「わたしは春風桃花!よろしくね、ククルちゃん!」
ククルの手を両手で握ってニコニコと笑うのは、キーボードの春風先輩。
「こっちはことちゃん!うちのバンド作った人!」
「作ったのは瑠深だよ。……トランペットの秋峰心葉。よろしく……お願いします」
春風先輩に紹介されて、やたら丁寧にあいさつをするのは、ラッパ――トランペットの秋峰先輩。
「あたしは斎夏萩。ベースを担当してる。よろしくね」
楽器をおいてからゆっくりと歩いてきたのは、ベースの斎夏先輩。
「私たちは『花月』って名前のバンドで活動してて、十一月頭にやる学園祭――“賽岐祭”のステージで演奏することになってるの。今までもライブはやってたけど、開けた屋外の演奏は初めてで……たぶん、今のままじゃ盛り上がりに欠けるだろうって思ってる」
「だからなんとか屋外でも通用する音が出せないかいろいろ考えてて……トラを呼べば解決できるかもって話にはなったんだけど、わたしたちの伝手でお願い出来る人っていなくて」
「先輩方は研究室で忙しいし、ずっと私たちだけでやってきたバンドのトラを部活の後輩にお願いするのは……こう、申し訳ないというか」
冬崎先輩と春風先輩は現状をククルに説明する。
先輩方が話していた「トラ」というのはよく分からないけれど、話を聞くに、おそらくはバンドのサポートメンバーのようなものだろう。
「だから、ククルちゃんが付き合ってくれるなら、私たちとしても助かるんだ。私たちに足りないものがわかるから」
「なるほどの、理解したのじゃ」
ククルは手に顎を乗せながら、先輩たちの話を聞き届け、最後にだけ相槌を打った。
「腕に覚えがあるといった手前申し訳ないのじゃが、妾はドラム専門というわけではなくての。肩慣らしに一曲、付き合ってはくれぬか?」
「ククルちゃん、他になにかできるの?」
「桃花せんぱいと同じじゃ」
「うそ!連弾できるじゃん!」
「はいはい、それは後でね」
テンションが上がりキャーキャーと盛り上がる春風先輩を冬崎先輩がたしなめる。その横で斎夏先輩はククルに一冊の黒い本を持っていき、「これはできる?」とか、「これは好き?」と静かに尋ねている。
どうやらこのバンドは、いろいろなタイプの人が集まってできたバンドらしい。冬崎先輩はリーダーのような人で、春風先輩はムードメーカーで、斎夏先輩は落ち着いていて、秋峰先輩はあまり喋らない。
ククルに近いのは、春風先輩――いや、冬崎先輩だろうか。物怖じせずに堂々と話すところも似ているし、髪の色も近しいものがある。
僕と近いのは、秋峰先輩だろう。ククルに名乗って以降、先輩は一度も口を開かずに楽譜とにらめっこをしている。もし先輩が誰とでも饒舌に話せる先輩だとしたら、僕は勝手に裏切られた気分になるかもしれない。
「やる曲決まったよ。ククルちゃん、割と何でもできそう。うちらにはもったいないぐらいかも」
「買いかぶりすぎじゃ。実際に聴いてから、正直に評価してくれると嬉しいの」
「このとおり、メンタルも申し分ない。まさか常連さんが音楽に精通してたなんて……もっと早く知りたかった」
斎夏先輩に促されて、わちゃわちゃとしていた先輩方は定位置に戻り、ククルもその中心の椅子に座る。ベースを構えながら、斎夏先輩だけなぜか本気で悔しそうに表情をゆがめているのが印象的だ。落ち着いた人だと思っていたけれど、存外感情豊かな人なのかもしれない。
ククルはドラムの横に掛けられたケースからバチを取り出して、トントントンと軽く音を鳴らす。続けて、椅子を調整したり、タカタカタカタカと素早く鳴らしてみたり、ドコドコドコジャーンと迫力のある音を鳴らしてみたり――その音を聞いて、先輩方も各々軽く音を鳴らして準備を始めた。
「もう大丈夫じゃ」
調整を終えたククルが先輩方に声をかける。それを聞いた瞬間、先輩方の音はピタッと鳴りやむ。
「よし。じゃあ、ククルちゃんのカウントで始めよう」
ククルはゆっくりと大きな深呼吸をする。前にピアノを演奏してもらったときと違って、とても緊張していることが伝わってきた。
今までのククルの話からして、彼女は人との演奏の経験はあまりないはず。少なくとも、彼女が人と距離を置くようになってからはまったくといっていいほどないはずだ。そんな彼女が、久しぶりに人と演奏をしようとしているのだ。緊張しないはずがない。
ククルが先輩方に声をかけた瞬間はどうなるかと思ったけれど、最終的に良い雰囲気になったのはありがたかった。しかし、ククルの心境を思うと、本当に心配なのはこの後だ。僕のエゴによって訪れた状況でもあって、僕まで緊張してしまう。
「んじゃ、ゆくぞ」
ククルが全員の顔を見渡して、先輩方も視線で答える。
そして、バチをカンカンと鳴らして一定のリズムを刻み――
「ワン、ツー、ワンツースリー――」
――ククルたちの演奏が始まった。
***
「紅くん」
ククルが心配で、ククルがかっこよくて、彼女から目を離せない僕の名前を、マスターが呼ぶ。
僕が振り向くと、なぜか注文していないコーヒーを僕の目の前にコトリと置いた。
「こ、これは……?」
「私たちにできなかったことをやってくださった、そのお礼です」
マスターはククルへ目を向けるなり、フフッと小さく声を漏らして静かに笑う。
「……失礼。ククルちゃんが人の輪の中であんなにも楽しそうに……感慨深いんです。本当に」
「そ、そうなんですか」
「自分から声をかけるところなんて、もう何年とみていません。私たちや家族以外と演奏をしたのは……おそらく初めてではないでしょうか」
思えば、シュンくんと日下部さんにしても、ククルは自分から話しかけてはいない。僕の記憶の中でククルが自分から話しかけたのは、僕に声をかけてきたときと、学食で席を取ったときぐらいだ。
もしかしたら、ククルから声をかけた人の中で交流が続いているのは、僕ぐらいなのかもしれない。
「あの子は紅くんと出会ってから変わりました。私たちにはあの子の凍った心を溶かすことはできませんでしたから、本当に感謝しています」
「僕は何も……ククルがなぜか僕を気に入ってくれてるだけで……」
「そういうところも紅くんのいいところなのでしょう」
マスターは笑顔を見せながら、僕に「どうぞ」とコーヒーを勧める。
身に覚えのない感謝を受け取ることを躊躇いはしたけれど、僕はククルの言葉を思い出して、コーヒーに手を伸ばした。
『おぬしは厚意を素直に受け取ることを覚えたほうがよいぞ』
マスターは僕に感謝を伝えてくれた。それを必要ないと突き放すのは、それはそれで失礼だろう。
「あ、ありがとうございます。……いただきます」
苦みの中にスッと広がる爽やかな香り。
ククルたちの演奏で体の芯を震わせながら味わうコーヒーは、格別だった。




