第二十一話 吸血鬼は勉強を教える
二週間弱ぶりにククルの車に乗せてもらい、助手席で揺られていく。あいかわらずロリィタを着る同期の吸血鬼の車に乗せてもらうというシチュエーションには慣れないけれど、前よりはこの空間が落ち着いた場所のように思える。
少しずつ増してきた秋の香りを楽しみながらスカスカの田舎道を進み、僕たちは久しぶりに喫茶ピアノフォルテにやってきた。
車を降りてさっそくお店に入ろうとすると、お店の中から聞き覚えの無い音が聞こえてきた。
「この音は……ラッパ?……本物?」
「うむ。ラッパ――トランペットの生音じゃな」
耳を澄ませると、前来たときに店内で流れていたような曲が、生音で聞こえくる。
「本営業は夜なんじゃ……」
「練習の音じゃから、本番ではないの」
「余計ダメなんじゃ……」
「これは“妾以外の常連たち”がたまにやっとることじゃ。マスターの許可も取っとったし、妾たちが気を遣う必要はあるまい」
ククルは躊躇いなく扉を開いて、カランカランと軽快な鈴の音を鳴らす。
マスターと家族ぐるみの付き合いがあるククルがそういうのだから、きっと大丈夫なのだろう。多少の戸惑いは「えい」と投げ捨てて、僕は彼女に続いた。
久しぶりにピアノフォルテに来たけれど、店内の雰囲気はほとんど変わらなかった。“風変わりな喫茶店”という印象も変わらない。唯一変わっている点を挙げるとすれば、前はピアノがあったステージに今は四人の女性が立っていて、曲を奏でていることだろう。
ククルが演奏してくれた時のように聴き入っているわけではないけれど、店内に流れる曲が生演奏になっただけで、染み入るような趣深さがある。勉強のお供には、少し贅沢すぎるかもしれない。
「ククルちゃんに、紅くん。いらっしゃいませ」
「あら、紅くんじゃない。いらっしゃい!」
僕が演奏に気を取られていると、マスターとナナさんは僕を歓迎してくれていた。一度しか会っていなければ数回しか言葉を交わしていない僕のことを覚えてくれていたことに、嬉しさとありがたさがこみ上がる。
「ど、どうも……」
――というのに、こんな言葉しか出てこない自分には呆れてしまう。
「今日はカウンター、使ってもいいかの?」
僕が心の中でため息をついている間に、ククルはマスターに許可を取っていた。
忘れてはいけない。今日の僕は勉強をしにきたのだ。
「じ、実は……勉強をさせて、もらいたくて。しばらく使わせてもらっても……よろしいですか……?」
「かまいませんよ。なんならテーブルを使ってもらってもよいですが」
「ありがと、マスター。じゃが、カウンターの方がありがたいのじゃ。教えやすいし、こっちの方があやつらの気も散らんじゃろ」
ククルはそういいながら、演奏をする彼女たちの方を横目で見る。
周りに気を使えるところはククルの良いところだ。できれば、僕が“教えられる側”であることを伏せる気遣いも欲しかったけれど。
「……彼女たちはお二人の大学の先輩であり、常連のお客様でして。彼女たちには、『お昼の間は音を出してもよい』と許可を出しているのです。近々学園祭のステージで演奏するみたいで、今はその練習だとか。騒々しくて申し訳ありません」
マスターは僕がステージでの演奏を気にしていることに気づいてか、彼女たちの説明をしてくれた。どうやら、夜の本営業に向けての練習ではなかったらしい。
「全然そんなことは!むしろ、生演奏きいて勉強は贅沢だなぁ、なんて……」
「お心遣い、感謝いたします」
マスターはぺこりと頭を下げると、僕たちにオレンジジュースを出してくれた。
「これはサービスです。勉強、頑張ってください」
僕たちはマスターにお礼を告げて、ルーズリーフを取り出した。
先にお昼にしようかとも考えたけれど、マスターからせんべつを受け取ってやる気が出てきたこのタイミングを逃すわけにはいかない。
お昼を後の楽しみに残しながら、僕はさっそく忌まわしき物理の問題に手を付けた。
***
「要領さえつかめばこんなものじゃ」
「これを“こんなもの”扱いとは……」
「テストはメモの持ち込みオーケーじゃ。公式と解き方と考え方さえメモっておけば、あとは計算するだけ。簡単じゃろ?」
「とりあえず、ククルの頭がいいことはわかった」
ククルは教え方も上手だった。板書をしたルーズリーフやメモとにらめっこをしても理解が難しかったことも、言葉と図を使って説明してくれたおかげで理解できた。おかげさまで練習問題は解き終わり、今日の目標は一時間もかからずすんなりと達成できてしまった。
自分の躓き具合から時間がかかると想定していただけに、これは嬉しい誤算だ。
「んじゃ、一区切りついたしお昼にするかの」
「賛成。ククルはなににする?」
「どうしようかの……せっかくじゃ、前におぬしが食べておったやつにしようかの。妾一押しのデミオムライスじゃ」
「それなら、僕も前ククルが食べてたペペロンチーノにしようかな。次来たら食べてみたいと思ってたし」
「飲み物はどうするかの?妾はアイスコーヒーじゃ」
「僕はブレンドで。おいしかったから」
「ということで、マスター。デミオムライスの大盛りとペペロンチーノとアイスコーヒーとブレンドを一つずつじゃ」
「しれっと大盛りにしてる」
マスターは軽く笑いながら「承知いたしました」とメモを控えて、ナナさんに渡す。ナナさんは「りょうか~い」と軽い返事をしながらカウンターの奥へ去っていった。
僕たちは休憩がてら、ステージでの演奏に耳を傾ける。勉強のときにはBGMのようになっていたけれど、あらためて聴いてみると、生演奏特有の迫力が体を震わせることに気づいた。ククルの演奏も迫力があったけれど、楽器が増えた分だけ迫力と厚みが増しているようにも感じる。体の奥から音楽を感じるこの感覚は、間違いなく曲を再生するだけでは得られない感覚だ。
生演奏はBGMにもなれるし、心を震わせることもできる。そう考えると、ククルに教えてもらったジャズクラブというものが存在するのも納得できるというものだ。
意識して聴き始めると一曲が終わるのはあっという間で、一通り練習を終えたのか、四人の先輩方はへにょへにょに萎れながら椅子にもたれかかった。
「気になるかや?」
「え?ま、まぁ。前にも話したけど、本物の楽器ってあんまり見たことないし、よく知らないから」
「なるほどの。まっ、正直妾も管楽器のことはよくわからぬ。妾はここに置いてある楽器以外は触ったことが無いからの」
「そうなんだ。ククルのことだから、なんでもできるものかと」
「妾をなんと思っておるのじゃ」
ククルは僕の言葉がお気に召さなかったのか、僕の腕を爪でつまむ。僕は声を殺しながら悲鳴をあげて、その様子を見た彼女は「あっはは!」と笑った。
「それにしても――」
ひとしきり笑い終えると、ククルは頬杖をついてポツリと呟いた。
「惜しい演奏じゃの。とても惜しい」
「え?」
僕からしたら、勉強のお供には贅沢すぎると思うぐらいには素晴らしい演奏だと感じていたのだけれど、どうやらククルには思うところがあるらしい。
言われてみれば、さっき萎れていった先輩方も、椅子に座りながら首を捻ったり、眉をひそめたり、納得のいかないような表情をしながら言葉を交わしている。
ド素人の僕には分からないことがあるのかもしれない。そう思うと、ククルが惜しいと感じる理由が気になってくる。
「はい、お待たせ~」
僕がククルにそれを聞く前に、料理を抱えたナナさんがやってきた。食欲をそそる香りが鼻腔をくすぐり、僕の脳内はあっという間に「お昼ごはん」へと上書きされる。
僕のもとにはペペロンチーノ。もちろん、前回のククルよりも量は控えめだ。
ククルのもとにはデミオムライス。前回の僕よりも、びっくりするほど大きいお皿に盛られている。
「紅くんは大盛りじゃなくてよかったの?」
「僕は、そんなに……大食いじゃなくて」
「妾が大食いみたいに言うではないか」
「え?」
「『え?』じゃないわ、阿呆!」
「あいかわらず仲がよさそうで安心したわ。ごゆっくり~」
すべての注文がそろったことを確認したナナさんは、すぐに立ち去った。
先輩方の演奏についての感想は――ご飯を食べてからでいいだろう。
幸い、ククルのおかげで僕の勉強という目標は早々に達成できている。バイトまでの空いた時間、ククルと話す話題の一つとして残しておこう。




