第二話 吸血鬼は高らかに名乗る
時は少し遡り、十月一日水曜日の二限目――
夏休みが明けて初日ということもあり、僕たちの学科は講堂に集められた。
僕たちの学科――賽岐大学農学部応用生命科学科は、一年の後期から学生実験が始まる。一つの実験室で全員の学生実験を行うことはできないため、学科全体を二つのグループに分けて、二つの実験室に分かれて行うことになっている。
講堂に集められたのは、そのグループ分けの仕方や、学生実験の注意事項、専門科目の進行の仕方などの説明をするため。いわばオリエンテーションということだ。
この講堂は前期にあった専門科目の講義で毎週使用していた。
同じメンツで何度も同じ部屋を使用していれば、なんとなく自分たちの席が固定されてくるもので、そのあたりに座るのが暗黙の了解となっている。陽キャなメンズは窓側後方、真面目なメンズは廊下側前方、イケイケな女子たちは廊下側後方、といった具合だ。
そして僕はというと、どのグループにも属することができなかったから、空きがちな窓側中央に座ることにしている。
この席は窓側といいながら、本来窓があるべき場所には大きな出っ張った柱がある。この席に座るためには通路側から入らなければならず、出る時も面倒で億劫だ。だからこそ不人気で、僕のような人間の居場所を確保してくれていた。
僕はそのいつもの席に座るためにさっさと足を進める。
“充実したキャンパスライフ作戦”は学生実験が始まってからで問題ない。今更別の席に座って誰かに話しかけようものなら、絶対に「なにこいつ……」と引かれてしまう。それこそ“充実したキャンパスライフ作戦”の失敗だ。
既に埋まりつつある陽グループの席を横目に通路に入り、いつもの席に座ろうとしたとき、そこで初めて想定外の事実に気がついた。
――いつもの席に、知らない人が座っている。
それもただ知らない人というわけではない。
クラロリを身にまとい、明らかに周りから浮いた雰囲気を放つ、小柄で可愛らしい女性が、一人で、座っていたのだ。
――どうしよう。今から違う席を探す?いや、もう無理だ。ほとんどの席は埋まっているし、空いている席はどれも友達を座らせるためにわざとらしく空けているものばかり。でもどこかには座らなければいけないし――
「何をボケっと突っ立っておる。後ろがつっかえておるぞ」
思考を巡らす僕に、僕が座ろうとしていた席から声をかけられた。
ハッとして後ろを振り返ると、眉をひそめた女性の姿が目に飛び込む。
僕は咄嗟に「すいません!」と謝って、目の前の席に着いた。
(――座ってしまった!!)
この出にくい席に、クラロリの彼女の隣の席に、座ってしまった。
チラッと彼女の様子を横目で見ると、彼女は特に表情を変えるでもなく、頬杖をついて器用に指でペンを回している。露骨に嫌がられているわけではなさそうで、ひとまず僕は胸をなでおろした。
それにしても、彼女はとてもかわいい服を着ている。暗めな色合いとケープや袖のフリルがゴスロリに近い雰囲気を出しながら、控えめなパニエで緩く広がる膝下丈のスカートと編み込んだブーツで、落ち着いた雰囲気にまとめ上げている。あまりにも気合の入った格好だから、ここが大学の講堂であることを忘れてしまいそうだ。
「……さっきから何をジロジロと見ておる」
「あ、……すいません。おとなり失礼します」
「好きにせい」
僕の視線に気づいた彼女は、頬杖を突いたまま眉をひそめて僕を睨む。
そりゃ知らない人、しかも異性からジロジロと見られたら気分のよいものではないだろう。それどころか恐怖すら覚えるかもしれない。
(ん?「見て“おる”」?「好きに“せい”」?)
これだけかわいい服装で、このような話し方をする人がいたら、噂なり話題なりになりそうなものだ。いくら僕が人との関わりが少なかったとはいえ、同じ学科で同じ講義を受けていれば、さすがに僕の耳にも届くだろう。しかし、僕はそんな話を一度も聞いたことがない。
そもそもこの席に座るということは、僕と同じぐらいのはぐれ者なのでは――
「おぬし、今失礼なこと考えておらぬか?」
「い、いや……」
横目で僕を見ながら、彼女は僕の思考を見透かしたように呟く。
否定の言葉を口にしたものの、その先にうまい言葉は続かなかった。口下手なことが呪わしい。
「あ、あの……」
「なんじゃ?」
数秒の沈黙が耐えきれなくて、僕の口は思考がまとまるよりも先に動きだしてしまった。
気の利いたことなんて言えない。話題の用意もしていない。“充実したキャンパスライフ作戦”を実行する心の用意もできていない。
僕が咄嗟に出きる話なんて自己紹介と天気の話ぐらいだ。
――ええい、ままよ!
「僕は伊藤紅です。あなたは……?」
「なんじゃ、ナンパか?」
「いや、違いますけど……」
一風変わった話し方をする彼女は、頬杖をやめて体を僕に向ける。
あらためて見てもかわいい服と、初めて見る小さくて整った――かわいい顔。
彼女は赤い瞳をルビーのように輝かせながら、自信満々な表情と手振りで高らかに声をあげた。
「妾はククル・フェルネスタ。吸血鬼じゃ!」
「……なんて?」
僕は思わず聞き返してしまった。
――“妾”?“吸血鬼”?“ククル・フェなんとか”?
本気で言っているのだとしたら、役者の才能があると言わざるを得ない。
いや、もしかしたら聞き間違いかもしれない。なにか言い間違いをして、奇跡的にそう聞こえただけかもしれない。
「じゃから、ククル・フェルネスタ。吸血鬼じゃ」
――聞き間違いではなかった。彼女は確実におかしな話し方で、カタカナの名前を名乗り、吸血鬼と宣言したのだ。
彼女がハーフとか帰国子女とかなら、名前がそういうこともあるかもしれない。しかし、さすがに“吸血鬼”はありえないだろう。
こんがらがった頭を何とか整理していると、周りが少しざわついていることに気がついた。周りの様子を確認すると、近くの席の人たちが僕たちのことをチラチラとみているようだった。
誰だって公共の場で自信満々に吸血鬼と名乗るクラロリの女性がいたら気になるだろう。僕だって気になる。
ただ、その注目は僕にも集まっている。それを人ごとで眺めることはできない。
(さようなら、僕の大学生活……)
半ば諦めの境地に差し掛かかりつつある僕に、自称吸血鬼の彼女は言葉をかぶせる。
「伝わらんかったかの。妾はククル――」
「伝わったので大丈夫です」
少なくとも、僕の“充実したキャンパスライフ作戦”は、始まる前から失敗に限りなく近づいたことだけは感じていた。
***
自分から話しかけた手前、名乗っただけで話を終わらせることもできず、僕は無理やり話を繋ぐ。
「えぇと、ククル?……さんって、吸血鬼なんだ」
自分で口にしておきながら意味が分からない。人生で初めて人に“吸血鬼”であることを確認した。
人は想定外の出来事が続くといろいろと吹っ切れるのだろうか。理解に苦しむ会話ではあるけれど、口下手ながらに話題を振ることができたのは救いだった。
「そうじゃ」
「そ、そうなんだ。あ、あはは」
「わざとらしい。失礼な奴じゃの」
“失礼”と言葉にする割には、ククルさんはそこまで嫌そうな表情を浮かべてはいなかった。もし彼女が誰にでもこの名乗りをしているのだとしたら、名乗った数だけ同じ反応をされてきたのかもしれない。
しかし、やっぱり僕はこの大学でそんな名乗りをする人がいるという話も、名乗られたという話も聞いたことがない。今ここで名乗っただけでここまで注目を浴びるのだから、前期で同じことが起きたのなら噂になっていてもおかしくはないのに。
彼女の服装といい、彼女の話し方といい、彼女の自己紹介といい、同じ学科でありながら一つも話を聞いたことがないのは不自然だ。一年生で編入することはないし、前期にも彼女はいたはずなのだけれど――
「ククル……さんって、夏休み前まで――」
「≪ガガッ≫――みなさん、おはようございます」
口にしようとした質問は、頭上のスピーカーから流れた渋い男性の声によって遮られた。
「おぬしの質問は後で聞いてやる」
ククルさんは体を前に向け、僕を流し見ながら一言そう告げる。
細く切れた視線が僕に突き刺さったとき、僕の心臓がドクンと脈打つのを感じた。
(……えっ?)
僕が僕自身の体の反応を理解するよりも先に、二限目のチャイムが鳴り響いた。
ご覧いただきありがとうございます。
自分でククルのイラストを描いておりますので、ククルのビジュアルが気になる方は↓からぜひご覧ください。
https://www.pixiv.net/artworks/138797506




