第十九話 吸血鬼はお礼をする
いろいろなゲームをククルと遊んだあと、僕たちは箱アイスを開けながら休憩することにした。白熱した戦いで火照った体を冷ますには、アイスという存在はありがたい。
どの味のアイスにするか選んでいると、僕の視界の端にふとククルの荷物が映りんだ。
「そういえば、その大荷物はなに?」
ただゲームを遊びに来ただけとは思えないほどの大きなカバン。一泊の旅行に行くのかと思うほどに大きなカバンから出てきたのは、今のところ保冷バッグだけだ。
「あぁ、そうじゃったそうじゃった。それはの、おぬしへのお礼じゃ」
僕は頭上にハテナを浮かべながら、アイスに指をさす。
「これは差し入れ」
何が違うのか分からないけれど、つまるところ、ククルはお礼をもう一つ用意してくれているということらしい。
それがその大きなカバンということみたいだけれど――このサイズの物がお礼というのは、なんとも受け取りづらい。
「別にいいのに。アイスまで買ってきてもらっちゃったし」
「まぁそう言うでない、これは妾がやりたかったことでもあるのじゃ。我儘に付き合ってくれんかの」
ククルは手に取っていた小分けのアイスをポイっと口に放り込むと、立ち上がってカバンのもとまで歩み寄る。
カバンを開いて中から取り出したのは――
「どうじゃ?かわいいじゃろ」
フリルとレースで胸元を彩った白のブラウス、編み上げでハイウエストに絞りながら、レースとベージュの編み込みで大人らしさを演出するネイビーのフレアドレス。ククルが持ってきたのは、僕の大好きな服だった。
それらを重ね合わせながら、彼女は僕に期待の眼差しを向ける。
「……かわいい」
「じゃろ?これを見せたかったのじゃ」
満足したようにウンウンと頷くと、ククルはそれらをカバンの上に広げようとする。
「待って!」
僕は彼女の手を止めさせて、室内用の物干しラックに掛けさせた。
僕はお礼を受け取る立場だ。持ってきていただいたものに、余計なしわや埃をつけさせてはいけない。
「まったく、細かいのう。これは今日来るついでに研究室から回収してきたクリーニング予定のものじゃ。そこまで気を使わんでよい」
「だからといって汚していいわけじゃないでしょ」
「この部屋の床は汚いのかの?」
「……いや、綺麗なはずだけど」
「じゃから気にせんでよかったのに」
ククルは座りなおして、また一つアイスをパクリと頬張る。
頭がキーンとしたのか手で顔を扇いでから、フゥと息を吐いた。
「約束、じゃからな」
「え?」
「妾はお気に入りの服を見せる、おぬしは感想を言葉にする。どちらも楽しめてウィンウィンじゃ。覚えておるか?」
「それは……覚えてるけど」
耳を真っ赤に染めながらククルは僕を見る。綺麗な赤い瞳の奥は揺れていて、緊張しているのがすぐに分かった。
「……見たいじゃろ?」
「……もう見せてもらってるけど」
「ちがう。妾が……」
「いや、大丈――」
僕の制止に聞く耳を持たず、彼女は言葉をかぶせながら無理やり言い切る。
「妾が着とるところ……見たいじゃろ?」
***
――どうしてこうなった。
たしかに僕はククルのお気に入りの服を見せてもらう約束も、僕がククルに正直な感想を言葉にする約束もした。
でもまさか、僕の家で、しかも扉一枚向こうで彼女が着替え始めるなんて、想像できるわけがないだろう!
「紅?おるか?」
「……いるよ」
「今のは間はなんじゃ」
「間もできるって、この状況……」
背中を預ける扉の向こうからする声に、思わず悪態をつく。
扉の中央にはすりガラスがあるから、僕はそちらを向いて話すことはできない。男というのは、中途半端に見せられたときほど妄想が膨らんでしまう生き物なのだ。
僕はククルをそんな目で見たくはないし、見てはいけない。だから僕は必死に心を殺して、冷静にふるまう。
僕とククルは友達なのだから。
「なんか話題はないのかの?」
「僕が振るの?ククルが呼んだのに」
「ちょっと忙しくての。ほれ、考えんか」
視覚情報を無くしたばかりに、音が際立って聞こえてくる。
スルスルという布が擦れる音。トントンという軽い足音。カチャカチャというハンガーをいじる音――
――ペチン!
「うわ!何の音じゃ!?」
「ごめん、手が滑った」
「そんなわけないじゃろ……」
この際、会話ができれば話題はなんでもいい。考えるよりも先に口を動かさなければ、僕は僕を抑えられなくなってしまう。
「えー、あー……く、ククルは、そのー……」
「煮え切らん話し方じゃの」
「ごめん、ちょっと……その、聞きづらいことでもいい?」
「なんでも聞くがよい。よっぽどのことじゃなければ答えてやろう」
「えーと……ククルは本当に……友達、いないの?」
「本当に聞きづらいことじゃな」
「ごめん……」
ひねり出した話題は、到底今日の雰囲気にはそぐわない内容だった。会話の経験値の無さがにじみ出て悲しい限りだけど、こうでもしないと耐えられそうにないのだから仕方がない。
怒られても仕方がないと目をつぶっていると、なぜか扉の向こうから「あっはは!」という笑い声が聞こえた。
「どうしてそう思ったのじゃ?」
「どうしてって……そりゃ初見のインパクトはすごいけど、かわいいし、頭いいし、器用だし」
「さらっととんでもないこと言いだしたの……」
誰だって、ククルという人物を知れば知るほど、彼女は魅力的な人だと気づくはずだ。それこそ、吸血鬼だとか、おかしな口調だとかを気にしないぐらいには。
だからこそ、今まで彼女を受け入れる人がいなかったことが信じられない。
「集団の中で“周りと違う”というのは、それだけで忌み嫌われるものじゃ。話しかけても避けられて、何もしていなくても避けられる。大学生になって初めて周りに合わせてみて、妾はそう確信したの」
「それは……僕もわかるかも。ごめん、嫌なこと聞いた」
「嫌なことついでじゃ、妾もおぬしに聞きたいのじゃが……おぬし、もともと普通に話せる人じゃろ?どうしてそうなったのじゃ?」
「小さいときに、……まぁ、いろいろあってね。人と話すのが怖くなったっていうか……そしたら、だんだん浮き始めて……今では立派なぼっちって感じ」
ククルと僕とでは、“周りと違う”自分になった理由も違うだろうし、考え方も生き方も違う。
それでも気持ちというのは不思議なもので、少しでも似たような経験をしていれば、それだけで親近感がわいてくる。
「なんでわかったの?」
「初見のインパクトはあったが、かわいいし、優しいし、真面目だからじゃ」
「絶対嘘」
「妾を信用していないと?」
「……部分的に?」
「ほんと、おぬしは失礼な奴じゃ」
扉を挟んで、二人で軽く笑う。慰めにも、励ましにも聞こえる、小さな笑いを送りあう。
誰にも話したことのない過去を初めて口にして、多少なり嫌な気持ちになるかと思ったけれど――むしろ、すっきりとしている。気持ちを吐き出すと楽になるというのは、どうやら本当らしい。
こんな話題でも付き合ってくれたククルには感謝しかない。ククルがいなければ、こんな経験はできなかった。
やっぱり、彼女はよい人――いや、よい吸血鬼だ。
「まぁ、なんじゃ。おぬしも妾も変なやつではあるが、よいやつでもあるということじゃな」
「せめて、僕にもククルみたいに特技の一つでもあれば、もっと自信が持てるんだけどなぁ」
「綺麗にまとめたのに、まーた余計なことを……」
ククルの呆れ混じりのため息に、「あはは」という小さな笑いで答える。
――コンコン。
僕が次の話題を考え始めるよりも先に、背中を預ける扉から音が響く。
「紅、よいぞ」
彼女の言葉を聞いて、目に入れないようにしていた扉へ向きなおる。
すりガラスには白とネイビーのぼやけたシルエットが映っている。勝手に僕の喉からゴクリと音が鳴った。
僕のために用意してくれた服と、それをこの場で見せてお礼をしたいという彼女の気持ち。それを思うだけで、彼女を家に迎えたときよりも緊張してしまう。
「はやく」
「ご、ごめん」
震える手をドアノブにかける。
意を決して、僕は扉を開けた。
「――どうじゃ?」
実家を飛び出した僕には、もう見ることができないと思っていた光景。
カーテンの隙間から差し込む光に照らされたクラロリを身にまとう少女が、僕を待っていた。
彼女は僕と目を合わせると、クルリと一回転して、フレアのスカートを揺らす。
いつもと違って髪を下ろした彼女は、肩にかかった髪を手でなびかせながら、僕へ微笑んだ。
「感想」
「……かわいい。すごく、すごくかわいい」
「ありがと」
「こちらこそありがとう、ククル。……今、すごく、すごく嬉しいかも」
「やっぱりおぬしはよいやつじゃ」
いつもよりも“お人形さん”のようなかわいらしさを持つ彼女は、満足そうにもう一回転してから椅子へ座る。
「髪、けっこう長かったんだね」
「長い方がヘアアレンジは楽しめるからの」
「それ、インナーカラーだったんだ。メッシュだと思ってた」
「妾はインナーカラーの方が好きなのじゃ」
髪を下ろすだけで女性はこんなにも印象が変わるものなのかと驚いた。
これだけ長い髪を保つのも大変だろうし、この服に似合う自分でいるのも大変だろう。ククルが努力をしているのは知っていたけれど、いざその努力から生まれるかわいさをあらためて目の当たりにすると、尊敬の念しかない。
「あ、あんまり、じっと見つめんでほしい……のじゃ」
「あっ、ごっ、ごめん!」
いつもの元気さはどこへやら、ククルはもじもじとしながら顔を背ける。
僕としては、初めてあったときのようにジロジロ見ていたつもりも、ククルと約束したあの時のようにマジマジと見ていたつもりもない。
ただただ、ククルから目が離せなかった。視線を奪われてしまった。それに気づかないほどに。
「そ、そうじゃ!さっきおぬし特技が欲しいと言っとったじゃろ!妾にアイディアがあるのじゃ!」
今になって恥ずかしさがこみ上げてきたのか、顔を真っ赤にしながらククルは急に指を立てて話題を切り替えようとする。
今の状況は「お礼は妾自身じゃ」と言っているようなものなのだから、そうなるのも無理はない。こうなることは予想できただろうとは思うけれど。
とはいえ、ククルにもそのあたりに羞恥心があることが知れて、少しだけホッとした。
「アイディアって?」
「例えば、妾の服を作るとか」
「裁縫は家庭科でしかやったことないかな」
「目の肥えたおぬしなら、デザインを考えられるのではないか?」
「それだけで作れたらデザイナーは要らないよ。そもそも、絵描けないし」
「むっ。となると、そうじゃな……」
ククルは眉間にしわを寄せて、手を顎に当てながら考え出す。
今までも彼女が思考を巡らす姿は見てきたけれど、いつもと髪型や恰好が違うだけで印象がかなり違って見える。今の彼女を言うなれば――そう、まるで探偵のようだ。
「そういえばおぬし、喫茶店でバイトをしておったな。コーヒーはどうじゃ?目指すはバリスタ!おぬしがコーヒーの勉強を始めたと知ったら、マスターもナナ姉も喜ぶぞ?」
「……コーヒー、か」
正直、興味はある。
僕がバイト先を喫茶店にしたのは、コーヒーや喫茶店の雰囲気が好きだからだ。だからこそピアノフォルテの風変わりな点には驚いたものだけれど、おかげさまで見識を広げることができた。
今のところコーヒーは飲む専門で淹れたことはないけれど、いつか自分で淹れてみたいとは思っている。豆の種類や割合、挽き方、淹れ方で味は変わるというし、それを知っているから、僕は初見の喫茶店ではブレンドを飲むようにしている。自分が淹れる立場になったとき、どんな味になるのか、理想の味は作れるのか、興味は尽きない。
「紅が淹れるコーヒー、楽しみじゃなぁ……どんな味になるんじゃろ。苦いのかな?」
「やらせる気満々じゃん」
「そんなこといって、まんざらでもないじゃろ?顔に出ておるぞ」
そういえば、僕が今の僕のようになってから、新しいことにチャレンジするなんてことはまったくしてこなかった。久しぶりのチャレンジともいえる“充実したキャンパスライフ作戦”だって、結局できていない。
チャレンジしたとしても、うまくいく保証はない。費やした時間が無駄になることは怖い。
「吸血鬼にコーヒーはつきものじゃ。妾がおぬしに服を披露するように、おぬしも妾にコーヒーを披露するのはどうじゃ?」
でも、ククルがきっかけを作ってくれて、ククルが応援してくれるというのなら――
「まぁ、悪くはないかもね」
――僕は頑張れると思う。
***
長すぎる閑話休題を終えた僕たちは、あらためてゲームを再開した。ゲームのお供に用意したのは、僕が淹れたインスタントコーヒーだ。
コーヒーの話をしたから用意したものなのだけれど、ククルはその話に影響してくれたのが嬉しいのか、ニヤニヤしながらマグカップを手に取った。
口をつける頃には令嬢のようなお淑やかさを取り戻し、静かに味わい、ことりとマグカップを机に戻す。
フゥと一息ついた彼女は、無表情でポツリと呟いた。
「……市販の味じゃ」
「そりゃそうだ」
その後の対戦ゲームではあいかわらず負けて一方だったけれど、今日は間違いなく、僕の人生で一番楽しい一日だった。




