第十二話 吸血鬼は友達と呼びあう
「紅、昨日停めていた車の場所、覚えておるか?」
実験室を出てエレベーターへ向かう途中、おもむろにククルは僕へ尋ねてきた。
「覚えてるけど、なんで?」
「少しだけ用事があっての、先に向かっていてほしいのじゃ」
「それぐらい付き合うけど」
僕にはこれといって用事はないし、もともとククルについていく予定だから先に向かう理由もない。
しかし、僕の答えは彼女にとって花丸回答ではなかったらしく、軽く眉をひそめて口を尖らせた。
「む……先に行ってエアコンをつけてほしかったのじゃが」
「……まさか、自分の車の運転席に他人を乗せる気?なら絶対に断るよ」
「別に運転するわけじゃなかろう。お堅いのう」
「……ククルは僕を信用しすぎ」
「おぬしだから信用しとるのじゃがな」
――なんて口説き文句を言うんだ、この吸血鬼は。
そうは思いつつも、今ばかりは口説き文句へのドキドキよりも、ククルの不用心さへのハラハラが勝ったようだ。
信用してくれているのは嬉しいことだけれど、だからといって貴重品を預けるどころか、一瞬でも運転席に座らせるだろうか。しかも、自分の目が届かないところで。
「用事って、どこに行くの?」
「上じゃ」
「上?……研究室?」
「まぁ、そんなところじゃ。どうしても妾に付き合うというなら、おぬしには下で待っとってほしいのじゃが」
「あぁ、うん。一緒に行かない方がいいのね」
「すまぬな。おぬしには会わせたくない人がおるのじゃ」
「そういうことなら。……じゃあ、いってらっしゃい」
「いってきまーす。あ、十分ぐらいぶらついてきてもよいぞー」
ククルは先にエレベーターで上の階へ行き、僕は入れ替わりで一階へ降りる。
ぶらついてきてもよいと言われたけれど、やりたいこともなければ、汗をかきたくもない。僕は一階に用意された自販機がある休憩スペースで、ククルを待つことにした。
それにしても、ククルの言動は危なっかしい。もし信用した相手全員に僕と同じようなことをするというのなら、考えを改めさせたほうがよい。
服装と言葉遣いに気を取られがちだけれど、前提としてククルはかわいらしい女性だ。そのうえ、距離も近い。既に絆された僕が言えたことではないけれど、彼女からの矢印を勘違いする人は少なからず出てくると思う。好意と勘違いして逆上なんて山のように聞く話だから、そういう意味でも心配になってしまう。世の人間すべてが僕のように上から下まで草食ではないのだから。
今のところ、ククルが僕を相手するときのように他人と関わっているところは見たことないけれど、彼女とはまだ三日の付き合いだ。これからいくらでも見る可能性はある。
「……自分の心配した方がいいと思うけどなぁ」
一人になって落ち着いたからか、急に今日の学生実験の様子が思い起こされた。
もはや立て直せないほどに崩れ去ってしまった“充実したキャンパスライフ作戦”。ククルとペアだったことは予想外だったし、それが失敗につながる要因の一つなのは間違いないだろう。
しかし、それよりも大きな問題が判明した。それは、僕が実験についていけないばかりに作戦を実行する余裕がないということだ。
今日だってククルの力を借りてなんとか追いついていたぐらいだし、自分の力だけで実験を進めたうえで人と交流をして仲良くなろうだなんて、到底僕にできるとは思えない。
いっそククルに協力してもらうのはどうだろうか。ククルは話し始めれば面白い人だと分かるから、彼女をきっかけに交流の輪を広げるとか。
いや、それはさすがに申し訳ないか。彼女はいろいろな経験をしたうえで、一人になる道を選んだのだ。ただ人付き合いが苦手な僕とは違う彼女を、僕の個人的な目的に巻き込むわけにはいかない。それに、もしそれをきっかけにククルが誰かと仲良くなって、僕との関わりが減ったら――
――待て。待て待て。それはまるで独占欲の強い面倒くさい男みたいじゃないか。僕はククルと交際しているわけでもなければ、僕は彼女のことを――なわけでもない。僕は彼女からの矢印を勘違いするような芋男ではないのだ。
「……勘違いするなよ、僕」
「何を『勘違いするな』じゃって?」
「うわぁ!!」
反応があるはずないと思っていた僕の独り言に相槌がうたれて、僕は椅子から転げ落ちそうになった。
――これ、前もやったな。
「お待たせ、紅」
椅子に座りなおす僕の前に立っていたのは、実験のときとはうって変わって、フリルやリボンを華麗に身にまとう吸血鬼だった。
「どうじゃ?妾の服は」
肩までかかるケープに、胸元を飾る大きな紐リボンと、高めの位置で腰が絞られたワンピース。ひざ丈ほどのフレアスカートの上をミモレ丈ほどのプリーツがパレオのように覆い、幼くも大人びた雰囲気を醸し出す。
シンプルに見えながらも複雑な作りでボリューム感のあるその衣装を表現するならば、“異世界のお嬢様”と言ったところだろうか。
雰囲気をガラッと変えた彼女は、僕を覗き込むなりある言葉を要求する。
僕は、本心のままに、率直にその言葉を送った。
「……びっくりした。けど、……すごく、すごくかわいい。かわいいよ」
「あっはは!上出来じゃ!」
ククルは僕の腕をつかむと、無理やり立ち上がらせる。すぐにスタスタと歩き出して、僕は後を追いかけた。
「用事って、それのことだったの?」
「そうじゃ。秘密にしておいた方が、おぬしはいい反応をしてくれると思っての」
「そりゃ驚くよ。まさか着替えるなんて思ってもみなかったし」
外に出ると、ククルは日傘をさしながら上機嫌なステップを踏んでフリルを揺らす。やっぱり彼女にはこっちの方がよく似合うと心から思う。
「それにしても、どこで着替えたの?一年の僕たちじゃ研究室も居室も入れないんじゃ……」
「知り合いの先生がおっての、何着か研究室に置かせてもらっておるのじゃ」
「知り合い……?」
「言うなれば、マスターたちみたいなものじゃ。“会わせたくない人”というのも、そやつのことじゃな」
「……そこで着替えたの?大丈夫?」
「安心せい。相手は女。それも、妾のことを“文字通り”知り尽くしとる女じゃ。なんなら、今日はおらんかったしの」
ククルの言い方的に余計に安心できない。その先生とやらがマスターに近い関係というのなら安心したいとは思うけれど、僕に会わせたくないという時点で心配するには十分すぎる。
「妾のことを心配してくれるとは、かわいいやつめ」
「ククルは危なっかしいから……いろいろと」
「含みのある言い方じゃのう」
「あとその『かわいい』って言うの、やめて。僕はかわいくなんてないから。かわいいのはククルだよ」
「……妾はたまにおぬしが怖く思えるのじゃ」
「……?」
耳を赤らめながらボソッと呟くククル。上機嫌な歩き方から一転して、身を縮こまらせながら歩きだす彼女に、僕は思わずフフッと声が漏れた。
後ろ姿から分かるほどに全身で感情を表現する、その姿もまたかわいかったから。
***
僕たちは日陰のない駐車場までやってきて、ククルの車に乗り込んだ。
日が暮れたからか昼間ほどは暑くはないけれど、それでも多少は暑い。ククルはエンジンをかけるなり、すぐにエアコンをつけた。
「紅、なにか食べたいものはあるかの?」
「いや、とくに。ククルが誘ったんだから、ククルが決めていいよ」
「んじゃ、今日は中華じゃ」
「ククルってピアノフォルテ以外にも行くんだね」
「妾だってただの大学生じゃ。実家から通っておるとはいえ、その辺のお店で食べることもある。……ま、いつも一人じゃがな」
ただの大学生は吸血鬼を自称しないというツッコミはさておき、どうやらククルは僕よりも大学生活を謳歌していそうだ。
それよりも、やはりというべきか、ククルは実家から通っていたようだ。ピアノフォルテでナナさんたちから聞いた話から予想はしていたけれど、それが本当だったと分かった今、僕の中で一つだけ心配ごとが増えた。
――ククルの家族に僕の存在がバレていたらどうしよう。特に、彼女のお父さんに。
危ないからと娘の財布を管理するぐらい過保護なお父さんのことだ。ククルが毎日のように絡む相手ができたと知ったら、素性を知るために殴りこんできてもおかしくない。それも、異性というならなおさらだ。
これは逆に先手を打って、ククルが絡んでいる相手は人畜無害であると伝えた方がよいのではないだろうか。
「……そういえば、親には連絡した?」
「するわけないじゃろう。そんな歳でもあるまいに」
「ご飯要らないぐらいは伝えた方がいいんじゃないかな」
「む、細かいのう。……あんまり連絡したくないのじゃ。特に、父さまには」
ククルは呆れたようにため息をつく。どうやら、ククル自身も彼女のお父さんには思うところがあるらしい。大学生にもなっていろいろと縛られていることを思えば、それもそうだろう。
「お母さんに連絡するとか」
「どうせすぐ父さまにも伝わるでな……まぁ、たしかに母さまを経由した方が幾分かマシじゃ」
「伝え方もほら、『友達と食べに行く』とかにしとけば心配させないと思うし」
僕は真の意図を隠しながらククルに提案する。
ふとした瞬間にククルの口から漏れでる男の名前よりも、ククルからはっきりと友達と明言してくれた方が、彼女のお父さんの心配を煽らない――と思う。
そんな意図を知るはずもないククルは、僕のアイディアを聞くなりニヤリと口角をあげた。
「ほう、友達。“友達”のう。おぬしは妾を“友達”だと思っておったのか。そうかそうか」
三日目ともなれば、なんとなくククルの性格も分かってくるものだ。
彼女は僕をからかえる内容を見つけると、調子に乗って僕を煽ってくる。そして、満足のいく反応が見られると、嬉しそうに微笑んだり、「あっはは!」と笑ったりするのだ。
「今のは言葉の綾。そう言った方が親御さんは安心できると思っただけ」
わざわざククルのいたずらにのってあげる理由もない。昨日までみたくペースを持っていかれないように、僕は毅然と言葉を返す。
しかし、その言葉だけでは勢いは止まらなかったようで、彼女はわざとらしく眉を下げた。
「そうか、紅は妾のことを友達と思っておらぬのか。かなしいのう……」
「じゃあククルは僕のことをどう思ってるの?」
「さっきも言ったが、信用しとる人じゃ。でなければ車にも乗せぬし、わざわざおぬしのために着替えてきたりせぬ」
「……僕のため?」
「言ったじゃろ?おぬしの好きなファッションを楽しませてやると。その代わり、感想をちゃんと言葉で伝えてもらうともな」
「……本気だったんだ」
「無論じゃ。さっきのおぬしの言葉は嬉しかったぞ。ありがと、紅」
――おかしい。今回は逆に僕が彼女をからかうつもりで言葉を返していたはずなのに。
まさかシンプルな感謝を正面から受け取ることになるとは思いもしなかったから、つい僕は顔を背けてしまった。
「照れておるのか?かわいいのう!」
「う……っもう!」
「結局、おぬしは妾のことをどう思っておるのじゃ?」
「……友達」
「うむ。上出来じゃ!」
僕から友達という言葉を引き出した彼女は、満足そうに「あっはは!」と笑った。
僕とククルは友達。僕の気持ちや例の作戦のことを考えるといろいろと思うところはあるけれど、今はこれでよいだろう。
「じゃあほら、かわいいククルさん。お母さんに電話して」
「う、うむ……しょうがないのう」
ククルはスマホを取り出して耳元にあてる。そういえば、ククルの耳は少しだけ大きい。これも吸血鬼の特徴なのだろうか。
僕がそんなことを考えている間に軽快な着信音は消えて、スマホの奥から微かに女性の声が聞こえてきた。
「あ、母さま?今日の晩御飯じゃが、外で食べてくるから要らぬ。――えっ?あ、その、……と、ともだち……と」
電話で話すククルの声がしりすぼみに小さくなっていく。さっきまで僕に友達と言わせるために煽ってきた人と同一人物とは思えなくて、僕はククルの顔を覗き込む。
いつもは白いはずの頬がかなり赤いように見え――たところで、ククルの掌が僕の頬をグイッと押して、強引に顔を背けさせられた。
「もう!うるさいのう!それだけじゃ!父さまには言うでないぞ!」
スマホからはまだ女性の声が聞こえるというのに、通話を無理やり終了させる。
ククルにしては珍しく「はぁ~」と長い溜息をついたあと、彼女は睨むように僕を見た。
「これで満足かの」
「うん、おつかれさま。仲、良さそうだね」
「おかげさまで、家に帰るのが億劫じゃ……どう責任取ってくれるのじゃ?」
「今から奢ってあげるよ」
「貸し借りゼロになるだけじゃろ」
ククルは僕の雑な回答にツッコミを入れながら、ハンドルを握って車を発進させる。
ククルのお母さんが何を言っていたのかは分からないけれど、ククルの反応を見るに質問攻めにあっていた可能性がある。もしかしたら、警戒すべきはお父さんよりもお母さんだったのかもしれない。
――まぁ、今更どうしようもない。僕にできるのは、ククルが家に帰ったあと、余計なことを言わないように祈るだけだ。




