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妾の心が導く儘に  作者: ぬまし
僕と妾はこうして出会った

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第十話  吸血鬼は約束する

「ふむ、もうこんな時間か」


 ククルが腕時計を見ながら呟く。僕もスマホをつけて時間を確認すると、画面には十四時三十分と表示されていた。どうやら、このお店に来てから三時間弱も経っていたらしい。

 こんなにもお店に居座る学生がいたら、普通なら怒るところだろう。僕のバイト先だって、お昼時にただただ居座る学生がいたら追い出しかねない。

 ククルの知り合いということで見逃してもらえているのかもしれないと思うと、店員の二人にはお会計のときに謝罪と感謝を伝えるべきだろう。


「そろそろ帰りますか。お店にも迷惑だろうし」

「そうじゃな。名残惜しいが、解散するかの」


 僕は財布を取り出して中身を確認する。あまりの軽さに一瞬不安がよぎったものの、折れ目のない偉人の顔が見えて安心した。


「あれ、百円玉が……」


 安心したのもつかの間、その財布はあまりにも軽すぎた。お金が足りればよいと考えるあまり、小銭を用意していなかったのだ。割り勘をするには数百円の端数を出さなければいけないなんて、一人で外食をするときには考えないことだから、すっかり失念していた。

 このお店はお会計を分けてもらえるだろうか。仮にできるとして、僕が店員なら絶対に面倒くさいと思うから、できればやりたくはない。となると、ククルに両替してもらうしかないわけだけれど――


「ククル、千円札くずせる?」

「すまぬ、無理じゃ」


 困ったことになった。ここはいったん全部僕が立て替えて、後日ククルに返してもらうことに――いや、できれば僕から彼女に会う口実は作りたくない。僕の気持ちと、例の作戦のためにも。


「ちょうどよい、ここは妾が奢ってやろう」

「……え?」

「この店では妾だけ特別に許されたお会計の方法があるのじゃ。それでおぬしの分も払ってやろう」

「いやいやいや、払えるから大丈夫だって!お会計分けてもらえばいいんだし、なんなら僕がククルの分も出すし!」

「これはお礼じゃ、お礼。おぬし、昨日はあまり乗り気ではなかったじゃろ?妾に付き合ってくれた感謝の気持ちじゃ、気にするでない」

「流石に気にするよ……」


 これが数十円、数百円の話なら乗ったかもしれないけれど、千円以上も負担してもらうとなると話は別だ。大学生になったとはいえ、千円が大金であることに変わりはないし、お金のやり取りは人間関係を悪化させかねない。身近にそういう人がいたわけでもなければ、僕にはやり取りする友達すらいないけれど、それだけは容易に想像できる。


「んじゃ、こうしよう。今日は妾が奢る。次はおぬしが奢る。どうじゃ?」

「金額ずれない?」

「次食べるときに小銭を用意しておけば調整できるじゃろ」


 またしても、当たり前のように次を考えるククル。だんだんそれを受け入れようとする自分もいて、僕は自分にため息をついた。

 とはいえ、このやり取りでこじれるとか、そのまま奢られっぱなしで険悪になるとかに比べたら、この提案に乗っかるのは悪くない――のかもしれない。

 決して僕がまた彼女と話す時間を楽しみにしているわけではない。人間関係を長い目で見て提案に乗った方が合理的だと判断したからであって、つまりはそういうことだ。


「……分かったよ。今日はお言葉に甘えるけど、絶対次は僕が奢るからね」

「やった!やってみたかったのじゃ、奢り奢られのやり取り~」

「なにそれ」


 困惑する僕の様子など気にも留めず、ククルは鼻歌を歌いながら立ち上がる。軽い足取りでお会計に向かう彼女のあとを、僕は早足で追いかけた。




「マスター、いつもので頼む。今日はこやつの分も一緒につけてほしいのじゃが、できるかの?」

「できますよ」

「それじゃ、よろしく頼む」

「ありがとうございました」


 レジの前まで来たククルは、マスターと不思議な問答を交わしたあと、早々に立ち去ろうとする。


「え、ちょっ、支払い……」

「言ったじゃろ、特別なお会計じゃ。ちゃんと金は払っておる。帰るぞ、こう~」


 ククルは手をヒラヒラと振りながら歩きだす。具体的な説明もなく、お金のやり取りを見たわけでもなく、店主と会話を交わしただけで「金を払った」と言われても、「はいそうなんですね」と納得できるわけがない。

 よく分からないやり取りにたじろぐ僕を見て、僕たちに料理を運んできてくれた女性の店員さんは「まったく、ククルちゃんは……」と言葉を漏らした。


「ククルちゃんの言うとおり、ちゃんとお金は頂いているから帰っても大丈夫よ」

「あ、あの……これは……」


 店員さんがよいと言っているのだからよいのだろうが、僕が支払うべきお金が絡んでいる分どういうことなのかが気になってしまって、僕は店員さんに声をかけた。


「ククルちゃんが気を許してるキミだから話しちゃうけど――」


 店員さんはそう前置きを残すと、ククルが言う“特別なお会計”について説明してくれた。


「ククルちゃんのお会計は、あの子の親に連絡して払ってもらってるのよ」

「……え?」

「あの子のパパは過保護でね。現金を持つと危ないから~とか言って、あの子にあまりお金を持たせないの。だから、大学でも使う貴重な現金をここで使わなくてもいいように、あの子の親に請求しているわけ」

「お、親御さん……のお金なら、なおさら……」

「私たちがもらうのはククルちゃんのお金よ。あの子のママに連絡して、勝手に娘の財布の紐を縛るあのバカパパからお金を取り上げてもらってるの。ほんと、過保護も行き過ぎると教育に悪いわね」

「あんまり人の親を悪く言うんじゃないよ、ナナ」


 僕に説明してくれた店員さんの強い言葉をたしなめるように、マスターは口をはさむ。


「あの方は決して悪い人ではないのだけど、たしかに行き過ぎているところもある。ククルちゃんのためにも縛りすぎるのはよくないと私たちも話をしているから、近いうちに考え直すでしょう」

「そうだといいけど。もうあんなククルちゃんはみたくないもの」


 お会計がどうなっているかを聞くだけのつもりが、ククルの家庭内事情まで踏み込んだ話になってしまった。

 今の話を聞くと、ククルの大学デビューもきっと彼女のお父さんの考えなのだろうと思う。ククルは良くも悪くも特徴的で目立つから、彼女に問題が起きないように対策を取りたいと考えるのは、親の気持ちを想像すると分からなくもない。――それにしたって、大学生の娘の財布の紐をガチガチに縛るのは、やりすぎだとは僕も思うけれど。

 ところで、やっぱりククルのご両親も吸血鬼なのだろうか。ククルは自分を吸血鬼と呼んでいるし、信用できるかどうかは別にして、その証拠も見せてくれた。順当に考えるなら、その証拠たる牙や羽はご両親にもあると思うのだけれど――うーん、気になる。


「キミ、名前は?」

「あ……い、伊藤紅、です」

「そう、紅くんね。私はナナっていうの。紅くんならいつでも歓迎するわ、またいつでも来てちょうだい」

「あり、ありがとうございます」

「そうだ、今度は紅くんからククルちゃんを誘ったらどうかしら。すっごく喜ぶと思うわよ?」

「あ、はい、そうします……あの、ごちそうさまでした。おいしかったです」

「またのお越しを~!」


 挙動不審な話し方になっていたことに一人反省会をしながら、僕は店の外へ足を向ける。ナナさんの声に見送られながら、日の光の下を歩いているククルのもとまで急いで向かった。




 店の外に出ると、高く上った太陽が夏のような鋭い日差しを降り注がせていた。ククルはその日差しを手で避けながら車に乗り込み、僕も彼女の隣に乗り込む。数時間外に放置していた車内は夏そのもので、ククルはすぐにエアコンをつけてから窓を全開にした。


「ナナねえと話しておったのか?」

「ナナ姉……?あ、店員さん。うん、ちゃんとお会計できてるから安心してって言われた」

「そうか……」


 ククルは僕から視線を外して、背もたれに身を預ける。熱風だったエアコンの風が冷たくなってから窓を閉めると、彼女にしては珍しく大きなため息をついた。


「……紅、今日はありがと」


 ククルは前を向いたまま、唐突にお礼の言葉を僕にかける。まさかため息の次にその言葉が来るとは想像していなかったから、僕は何を言われたのか一瞬だけ分からなかった。


「どうしたの、急に」

「いんや……おぬしのおかげで久しぶりに人と楽しい時間を過ごせたからの、その感謝じゃ」

「……それなら僕もお礼を言わないと」

「乗り気ではなかったおぬしが、今日を楽しいと思ってくれたということかの?嬉しいことを言ってくれるではないか」

「自分でもびっくりしてるよ。いろいろとね」



 例の作戦――“充実したキャンパスライフ作戦”は、同期と無難な接点を見つけて仲良くなり、趣味を共有できるまでの関係に昇華させるという、友達を作るための作戦だ。成功させるためには僕という人が悪目立ちをしてはいけなくて、ククルのような人と付き合うことは失敗への片道切符のようなものだ。

 それを分かっていながらククルと一緒に過ごしたこの二日間で、僕はいろいろなことに気づいてしまった。


 ククルとなら普通に話せること。

 ククルとなら趣味を共有できること。

 ククルと過ごす時間は楽しいと感じること。

 ククルは僕と過ごした時間を楽しいと感じてくれていること。

 そして、きっと僕はククルのことが――なこと。


 例の作戦とククルとの時間を天秤にかけたとき、昨日はかろうじてつりあっていたというのに、今では「教室や講堂で会わなければ大丈夫」だとか、「休みの日に会うなら問題ない」だとか、理由をつけてはククル側に傾けようと考え始めている。これには自分でも驚いているし、困惑もしている。

 しかし、決して作戦を諦めたわけではない。長い目で見たとき、大学生活を充実させるには友達をたくさん作ることは重要なはずで、だからこそ一時の感情でこの作戦を棒に振りたくはない。

 ――決めた。予定どおり、明日の学生実験から作戦は実行する。ククルとは必要以上に関わらない。それが一番僕のためになるだろうから。



「んじゃ、今日は解散でよいかの?」

「了解。ごめんだけど、大学まで送ってもらっていい?」

「おぬし、歩きなのじゃろ?このクソ暑いなかまた歩いて帰るのかの?」

「え、まぁ……家まで送ってもらうのも悪いし」

「大学まで送るのも家まで送るのも大して変わらぬ。妙な気遣いをするでないわ。ほれ、家はどこじゃ」


 ククルの圧に負けて、僕は家の場所を伝える。すっかり涼しくなった車は動き出して、僕はそれに揺られる。

 久しぶりにたくさん人と話したからだろうか、心地よい揺れと快適な空間も相まって、僕の瞼は自然と落ちていった。



 ***



「紅、着いたぞ。おーい」


 ツンツンと頬をつつかれる感触と、僕の名前を呼ぶ声が聞こえて目を開ける。


「かわいい顔で寝おってからに。案内役が寝てどうするのじゃ、まったく」

「ん、あれ……ごめん」

「構わん。ここであっとるかの?」

「……あってる。ありがとう、ククル」

「どういたしまして、じゃ。明日の一限、寝坊するでないぞ?」

「大丈夫。まだお昼だし」


 僕は車を降りて、あらためてククルにお礼を伝える。ククルが手を振って、僕が手を振り返すと、彼女はすぐに車を走らせた。

 何時間も会話をしたというのに、別れるときはあっさりしたものだ。友達と家の前で別れた経験なんてないから、これが普通なのか分からないけれど、なんというか――少し寂しい。


「――友達、か」


 僕にとって、ククルは友達――でよいのだろうか。僕は彼女とどう付き合いたいのだろう。そもそも、ククルは僕のことをどう思っているのだろう。


「まぁいいや」


 ククルの車が見えなくなるまで見送ってから、僕はアパートの階段を上がって自分の部屋の鍵を開ける。

 今日はもう疲れた。考えることも、明日の準備も、とりあえず後に回して――


「ただいま、我が家。おやすみ、世界」


 エアコンの力ですぐに快適になった部屋の中、僕の体は事切れたようにベッドへと倒れ込んだ。

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