戦場再び
いい匂い。
温かくて肌触りもよくて、気持ちがいい。
「起きたか」
聞き慣れない男の声に一瞬で寝ぼけ頭が覚醒した。心臓が跳ねる。
まだレギアスの腕の中だ。でも、ベッドに横になっているみたい。あ、あれから、いったい――
服は、着ている。ブーツは脱がされているけれど。
ブラウスの上から巻いてあった防刃コルセットは……無い。
でも体に違和感はないし、今日は我慢すると言ったのを守ってくれたようだ。
ほっとしたけれど、これからどうすれば……
「返事をしないと、やっぱりさっきの続きをするぞ」
背中に添えてあったレギアスの手がブラウスの中に侵入しかける。
「ま、待って! お、起きてます。起きています!」
うう、心臓に悪い。
今日だけで絶対寿命が20年くらい縮んだ。私の身分を知っても全く態度を変える気はないのね。
「レティシアの仲間がここを探し当てたようだ。もう30分もしたら着くぞ」
「えっ!?」
ど、どうしよう。どう説明すれば。
その前にコルセット、着られるかしら。
レギアスは私を腕に抱いたままひと呼吸して起き上がった。ベッド脇に跪くと私にブーツを履かせ、さらに立たせて黙々とコルセットを着けだす。
レギアスは左手にだけ指の出る黒い革手袋をしている。右利きのようなのに、何故だろう?
器用に動く長い指も美しくて、つい見入ってしまう。
上着と胸当ても元通りに着付けると、ベッド脇の鏡台の前に座らせて顔と髪の毛も簡単に整えてくれる。
王族とは思えない、見事な手際だ。私は鏡に映るさまをただ眺めていた。
「少し待ってろ」
私のセットが終わるとレギアスは脱いだ上着を羽織りながら部屋を出た。
キッチンで調理を始めたようだ。
芋の皮が消し飛び、賽の目になって鍋に落ちていく。
高度すぎてわけがわからない。
五分とかからず家にあった干し肉と芋と乾燥野菜を使ってポトフを作ってしまった。いい匂いはするけれど、大丈夫なのかしらこの料理……
調理中でも手袋を外さないなんて。魔術で殺菌洗浄をしているにしてもちょっと嫌だ。
柱時計を見ると正午をとっくに過ぎている。どうやら三時間以上眠ってしまったようだ。匂いに刺激されたのかお腹が空いているのを自覚した。
「パンは温めたけどまだ硬いから、スープに浸して食べてくれ」
こそこそと見ていたら食卓の椅子を引かれた。大人しく座って食べるしかない。
澄んだ琥珀色のスープをひとくち飲んでみた。干し肉の旨みと野菜の甘みが絶妙で、素朴ながら雑味がない。
温かくて優しい味が疲れた体に染み渡っていく。
「美味しい」
「そうか。良かった」
どんな魔法を使ったのだろう。短時間で作ったとは思えない。
急に食欲が湧いてきて、うきうきしながらパンを小さくちぎる。スープを吸わせるとジュワッとした食感が楽しい。
こういう食べ方もしたことがなかったから新鮮で、次々と口に入れた。
「ふくっ」
声に顔を上げると、向かいでレギアスが手を口に当て失笑していた。
急に恥ずかしくなって顔が熱くなる。
「いや、やっぱり、かわ……可愛いなと思って。気にせず食べてくれ」
私が手を止めているとレギアスはまだ笑いながら言ってきた。
こんなふうに笑うとこの人もやっぱり可愛い。
それにしても、この私が人からこんなに笑われるなんて。
そうだ、レイアには食べているところを笑われた。懐かしい。
「あ、来たな」
ひづめの音が近づいてきて、慌てて残りを食べる。
目の前のレギアスは残りのパンとポトフを大量に口の中に入れ、上品に咀嚼してあっという間に飲み込んでしまった。
どういう仕組みなのか全く解らない。恐ろしい……
レギアスは食器の洗浄と乾燥をすぐに終えた。身なりの確認をして二人で玄関から外に出る。
ちょうど近衛たちが家の前に馬を止めたところだった。
「姫様、ご無事でしたか!」
将軍のタイラーと十名ほどの近衛騎士が一斉に私に向かい跪く。
「タイラー、この方に助けていただいたの」
私は隣に立つレギアスに目をやった。
「ええ見ておりました。鮮やかなお手並み、ソーマ王国竜騎士団長のレギアス殿下とお見受けいたします。我が国の皇太女を救っていただき、感謝に絶えません」
「ああ、レギアスだ。よく知っていたな」
「ええ、勇名がこちらにも轟いておりますゆえ。レギアス殿下には我が国の未来を救っていただいたも同然です。我ら一同心より御礼を申し上げます」
タイラーが言うと、近衛たちが膝をついたまま一斉にレギアスに向き礼をした。
「のちほど皇主から正式に感謝の言葉があるでしょう。よろしければ我らとともに皇宮にお越しください」
「わかった。同行しよう」
「そろそろ決着もつくと思いますが、ひとまず戦場に戻ります。……ところで、なぜこちらに?」
タイラーが訝しんでいる。当たり前か。
「えっとあの……少し二人で話したいことがあって」
「ああ、俺たち結婚することにしたんだ。敵は蹴散らしてやるから、ゆっくり帰ってくるといい」
な、何を勝手に。どんどん取り返しがつかなくなっていく……
呆気にとられている近衛たちを置き去りに、気づいたらレギアスに抱えられてドラゴンに乗っていた。あっという間に空高く飛び立つ。
先ほどからなんだか気づかないうちにこの人に触れられている。達人の動きというものなのかしら。
飛び立ってすぐに戦場が見えた。
私が拐われて士気が落ちたと思うけれど、祝福の効果もあって優勢のようだ。
後ろで魔力を練り上げている気配がして、振り向くと
「見ていろ」
レギアスがそう言って楽しそうに笑った。
彼が敵兵に向け手をかざすと、地面から白い冷気がたなびき敵が凍りついた。
急に時の流れが変わり、剣を打ち合わせていた自軍の兵がざわめく。
「まさか、敵だけを正確に狙って凍らせたのですか?」
「ああ。凍らせるのは得意なんだ」
混戦の中そんなことができるなんて……有り得るの?
目の前の光景が信じられず目をパチパチさせていると
「皆殺しにするなら兵を引かせてくれ。焼き尽くすから」
恐ろしいことを言いだした……
ボウッと音とともに空気が熱く揺らぐ。
試し打ちとばかりに黒竜が蒼炎を吐いている。
「いえ、その必要はありません」
レギアスに振り向き慌てて言いつのる。
ブレスを止めた黒竜はなんだかガッカリしているみたい。
「では大将首を取ってきてやるから待っていろ」
「で、できれば無傷で捕らえてください!」
「そうか? わかった」
ドラゴンが本陣の前にゆっくりと降りる。
レギアスは駆けつけた近衛と侍女に私を預けると、すぐにまた敵の本陣に飛んでいった。
みな私に向け無事を喜ぶ言葉を唱え、侍女たちは涙ぐんでいる。
家族同然の臣下に囲まれてようやく息がつけた。
「ひ、姫様。ご無事でなによりでございます! その、凍ってる者どもは、どういたしますか? このままではいずれ溶けてしまいますが……」
将軍の副官が慌てて私の指示を聞きに走り寄ってきた。
「ああ、溶けるほうの凍結なのね。そうね、勝手に撤退するように……前の三列分だけ、片脚の腱を切っておきなさい」
「はっ!」
そう言って連絡に走る副官は、怯えた目で私を見ていた。
なぜそんな風に見られなきゃならないのかしら。
我が国の門戸はいつでも開かれている。祝福の恩恵を乞えば怪我だって治るのに、奪いにくるから悪いのだ。




