もう疑いたくない
皇宮の自室に戻るとレギアスはハンナに散々叱りつけられた。
ハンナの怒鳴り声に大食漢のドラゴン。朝から気が滅入る隙もない。
「陛下、本日はバーシン王国のディナン司教が弔問に来ておりまして……お会いになりますか?」
私を着付けながら、ハンナがスケジュール確認をする。
「侵略しようと軍を向けておいて、よくもノコノコと。しかも一神教の司教とは舐めてくれる。嫌だけど会うわ」
「かしこまりました」
「カストナって帝国を中心にこっちの大陸で有力な一神教だろ? やっぱり敵対してるのか?」
座って眺めていたレギアスが口を挟む。
「敵対どころか、擦り寄って来ていますわ。セレスティアを天使扱いして。図々しい」
「あー、カズム以外の神は天使か。なるほど」
「教義の強化のために勝手に使ってくれて、存在は認めているから祝福は受け取れるのです。腹立たしいことに」
「自分たちの神の力の証明なわけか」
「セレスティアは唯一神の後継ですからね。自分たちの懐に持ち込みたいのでしょう」
信仰している、愛していると言いながら、支配しようとする。カストナも皇帝も、この男も……同じ。
支度を終えて応接室に行くと、浅黒い肌のバーシン人が不遜な笑みで待っていた。頭から布を巻き付けた砂漠の独特なスタイルが、今日は黒っぽく統一されていて嫌な迫力がある。
黒は人を威圧する色だ。
こちらは神聖力で威圧しないよう、まず祝福を施す。
「ディナン司教、両親の葬儀にお運びくださって、感謝しますわ」
「これはこれは、レティシア陛下。この度のことはお悔やみを申し上げます」
お互いに歩み寄り、握手のために右手を差し出した。
近づきたくもないけれど仕方がない。手袋をしているからなんとか我慢。
司教が握るように手を取ったかと思うと、そのまま口元に引き寄せる。
キスするなら跪きなさいよ!
無礼に唖然としていたら、普通ならフリだけで済ますところを実際に口付けようとする。
相手のニヤケ顔に鳥肌が立って凍りつく。
後ろに立つレギアスとシャリーアから僅かに殺気が放たれた。
司教がビクリと動きを止め、冷や汗を流す。
良かった……
ほっとして、ついそのままレギアスに背中を預けた。
「いや失礼、あまりの美しさについ。婚約者殿とは噂通り仲がよろしいようで」
後ずさりながらも切り返してくるとは。
何度も侵略しようとする国の人間は厚かましさだけは一流だ。
「お気をつけくださいね。わたくしの婚約者は嫉妬に狂うと何をするか分からないので」
「そうそう、殿下のおかげで教会に凍傷と脚の負傷者が山と運び込まれましてなあ、大わらわですよ」
「まあまあ大変ね。でも命があって良かったこと。王自ら跪いて乞えば治しに行って差し上げるとお伝えになって」
引きつり笑いの応酬をしながら、なんとか嫌な客の対応を終えた。今後もこんなのが続々と来たらどうしよう。
「レティシア、大丈夫か?」
ほかの賓客との会談も終え自室での休憩時間になった。
カウチに深く身を預けると、レギアスが隣に座り顔を覗き込んでくる。
「少し、つらいです……」
「皇主なのになんであんなにベタベタ触らせるんだ。御簾の向こうに隠れててもいいくらいだろ」
「エンシェン大陸はそういう国が多いみたいですね。興国の始祖が自分から誰でもハグしに行くような女神ですよ? 威厳を保つよう臣下たちが努力してくれていますが、今さら取り澄ますわけにもいかないのです」
お高く止まるのは我が国のスタイルじゃないのだ。
気に入っていたけれど、いまはつらい。
「俺が嫌がるからできなくなったって発表しろよ」
「それもいいかもしれませんね。でも、レギアス様が毎回止めてくださるのでしょう? できれば殺気は出さずにお願いしますね」
「お? じゃあ、任せろ」
任せろと言いつつ、レギアスは自信なさげに息を呑んだ。
猫かぶり王子の手腕を見せてもらおうではないか。
「でも、会うだけでも嫌だろ? しんどくなったら臣下に任せて休もうな?」
「ええ、でももう平気になってきました。レギアス様のおかげです」
「陛下、ルナメリア卿夫妻が陛下にご挨拶したいと隣室に訪ねてきております」
扉近くでやり取りをしていたハンナが報告に来た。
ルナメリア卿夫妻。サラディールの両親、私の父の弟と、母の妹。
部屋に上げる気にはなれず、サラの部屋に足を運ぶ。
叔父と叔母、ついでにサラが膝をついて出迎えた。
そっくりではないけれど、当然のように面影がある。
お父様よりも無表情で堅物な叔父様と、お母様よりも繊細で大人しい叔母様。
両親が亡くなって以来、私的な場で会うのは初めてだ。
「陛下、体調を壊したと聞き及びました。本日の賓客対応はわたくしどもに全てお任せくださいますようお願いいたしたく」
叔母の鈴のように響く声は、母が喋っているかのよう。
「叔父様、叔母様」
二人を呼んで、目頭が熱くなって、息が切れる。
口がわなわなと震え、涙が滲んできた。
手を口に当てて隠す。なんとか息を整えないと。
「陛下……」
「ごめんなさい。お父様とお母様に、似ているものだから」
「陛下、わたくしどもは陛下を本当の娘のように愛しく思っております。義兄と姉の代わりはつとまりませんが、どうか、二番目の親のような存在として、頼ってはいただけませんか」
「あ、ありがとうございます。どうか、頼らせてください。それと、親代わりなら、膝をつくのも、陛下もやめてください。前のようにレティシアと、呼んでください」
「レティシア様」
叔父と叔母は立ち上がり、私のすぐそばに歩み寄った。
叔母様がハンカチで私の涙を拭き取ってくれる。
「レティ、落ち着いたら一緒に食事でもしてくれるかい?」
「サラ、もちろんよ。ありがとう」
「今日はゆっくり休んで」
本来ならいまからでも一緒にと言うところなのだろう。まだ私にはその言葉を出せず、言葉に甘えて自室に戻った。
「レティシア、大丈夫?」
カウチに座って侍女にお茶をいれてもらったけれど、まだ涙が止まらない。
レギアスが涙を拭いてくれて、残った黒革手袋の左手を両手で握りしめる。
この人にはどうして、触れられても嫌じゃないのだろう。どうして、私は落ち着くためにこの肌に頼るのだろう。
「レギアス、私、もう誰も疑いたくない」
悲鳴みたいな声が出て、レギアスの手を握りしめたまま、胸に顔をうずめた。
「レティシア。……もういい。もう何も考えるな」
レギアスは子供をあやすように、私の背中をさする。その手が温かくて、ますます涙があふれた。
どうして、私はここでなら弱音を吐いて、泣きじゃくれるのか……




