皇国の危機
「あ、でもマティアス殿下には問題なく祝福が授けられたのよ。マティアス殿下はわたくしに悪意を持っていないはずよ」
そうだ、疑う必要はない。
何度も言葉を交わした彼を、どうにか信じたかった。
「レティ、悪意がなく悪事を働く人間だっているんだよ。悪いことをしている自覚がないんだ」
「そ、そんなことを言ったら誰も信用できないじゃない……」
確かに、祝福の受けられない人間をどれだけ排除しても時々凶悪な犯罪は起こってしまう。
確信犯や良心を持たぬ者は、祝福の効果では炙り出せない。
「そういうお前だって得をする人間なんじゃないのか? レティシアを帝国に売り渡して皇位を簒奪しようなんて考えてるんじゃないだろうな……」
「ふ……ハハッ! 君はこの国の状況を何もわかっていないんだな。この国はいま存亡の危機にあると言っていい。三年前に皇主が崩御したばかりでまた暗殺されるなんて」
レギアスは息を呑み、部屋中に重々しい空気が広がる。
「今はこの国に強い神聖力を持つ皇族はレティ一人だ。レティがもしもいなくなったら……この国は帝国に吸収されてしまうだろうね。僕はもしかしたらお飾りの皇位をもらえるかもしれないが、そんなのごめんだよ。この国は、レティの絶大な神聖力とカリスマがあるからまだ帝国の工作と戦える希望があるんだ。僕の力では到底無理だよ」
「三年前にも、皇主が崩御したのか!?」
「そうなのです。おじい様も同盟国を訪問された時に事故で。突然、建物が崩れて……。皇帝が私を欲しがって断った少しあと。痕跡の不自然さから事故に見せかけた暗殺だと目されています」
「皇帝アスタレイウス……」
結界に力を封じられながらもギリギリと歯噛みするレギアス。怒りの強さが伝わってくる。
アスタレイウス……20年前に即位し、かつて世界樹があったといわれる首都タイレラを取り戻した。マクーケシュ帝国を再び覇権に導いた皇帝。
「サラディールはレスタの大神官、女神を誰よりも愛し、敬う者です。私を危険に晒すことなどないと、レギアス様も感じ取っているでしょう?」
「……俺が欲しいのはレティシアだけだ。ソーマとは縁を切っても構わない。なんなら今日にでも滅ぼしてくる」
苦しげなのは変わらぬまま最後の言葉はやけに軽い。なのにまるで冗談には聞こえず、一同が戦慄した。
宰相が慌てて口を開く。
「帝国に狙われているこの状況で、ソーマとも敵対するような事態は避けねばなりません。縁を切るなど、とんでもないことです」
大臣たちもそれぞれ同意の文言を口にして狭い室内は騒然となった。
「静まりなさい」
落ち着いて低く声を張る。ピタリと声が止み、みな背筋を正してこちらに注目した。
「レギアス殿下は前両陛下がお認めになった、わたくしの正式な婚約者よ。わたくしにとって殿下との結婚は両親の遺言も同じ。ソーマ王国とも同盟はさらに強化していくわ」
一人一人を見回しながら威厳をもって言葉を紡ぐよう努める。
「……利があるということならば、皇位を継いだわたくしにも疑いをかけられてしかるべきね」
「そんな、陛下に疑いなどと……。陛下には実質的に利など何も無いと、みな存じております」
宰相につづき大臣たちも神妙な顔で頷いている。
「とにかく、容疑者扱いはやめてちょうだい。機密を共有すべきではないという意見はもっともだから、皇主の婚約者を疑った無礼は不問にするわ。大神官、以後は慎みなさい」
「御心のままに」
サラは両手を胸に重ねて祈りの姿勢をとり、恭順を示した。
「宰相、ソーマへの対応、どうしたらいいかしら」
「姫様、いえ、聖上陛下。サラディール猊下のおっしゃる通り、可能性は考慮すべきかと。ソーマが国ぐるみで陰謀を巡らせているとは考えにくいものの、マティアス殿下への対応は慎重にまいりましょう」
「そうね、今夜のディナーでの話し合い、どうなるかしら」
「我々はもう少し話し合って急ぎ対策を練ろうと存じます。レギアス殿下との機密の共有についても。よろしいですか?」
「宰相、わかったわ」
「では、我々は場所を移しますので、お二人は落ち着いてから部屋に戻ってお休みください。明後日からの葬儀に備えてくださいますよう」
宰相がそう言うと、怯えていた大臣から我先にと会議室を出ていった。
二人きりになった空間で、頭を抱えながら顔を覆う。
レギアスを止められるのは私しかいない。
遠ざけては動きが読めなくなる。これからもそばに置こう。
味方ならこれまで通り頼もしい戦力だ。敵ならば……討てばいい。それだけのことだ。
私はいま、どんな顔をしているのだろう。
隠していた顔をレギアスに向けるまで、少し、時間がかかった。
そういえば、今なら左手の手袋も無抵抗で脱がすことができる。でも、今後の信頼関係のためにやめておこう。
「結界を解いても、自分を抑えられるかしら?」
「もう、大丈夫だ」
結界を解くと、レギアスはゆっくりと身を起こして不思議そうに自分の体を眺めた。
「俺を止められるって、本当だったんだな」
「殺すことだってできるわ。……私にそんなこと、させないでね?」
「させない。約束する」
レギアスはこちらに手を伸ばして、触れる直前で動きを止めた。
「レティシア、大丈夫か?」
まだ、行き場をなくした激しい怒りが体中を駆け巡っている。
レギアスはただ私を好きなだけかもしれない。でも、いま触れられたら、きっと心が死んでしまう。
「少し、そっとしておいて。……とりあえず部屋に帰って、お茶でも飲みましょう」
「……分かった」
レギアスは眉をわずかに震わせ、拳を握り締めながら立ち上がった。




