第25話:敗者の帰還、連邦の断罪
ムサ村からの帰路、ムアンバの全身を覆っていたのは、制服の重みでも、装甲車の振動でもなかった。それは、言葉にできない虚無感だった。悠人の前の対峙は、彼の人生の全てを否定した。彼は、この連邦の国防大臣として、世界最強の武力を信じてきた。その武力が、一人の青年の静かな技術によって、爆発という形さえ与えられずに無力化されたのだ。
”全てが終わった。取り返しのつかないことをした”
彼の心臓は、この言葉だけを静かに反芻していた。ごく少数の護衛を伴い、彼は軍本部へと帰還した。彼はもう口を開こうとしなかった。表情は失われ、瞳の奥に宿っていたはずの猛々しい光は消え、ただ虚ろな、定まらない視線だけが残っていた。
軍本部の中枢ブロックに到着すると、衛兵と副官が整列して彼を出迎えた。しかし、大臣の姿を見た瞬間、彼らの整然とした列に激しい動揺と混乱が広がった。
「大、大臣? 何があったのですか? 前線からの報告は…」
副官が尋ねるが、ムアンバはまるで聞こえていないかのように、沈黙したまま彼らの横を通り過ぎる。その異様な無表情と、まるで幽霊のような足取りに、部下たちは何が起こったのかを察知できず、ざわめきと共に激しく狼狽し始めた。
事態の収拾を図る間もなく、彼は最高評議会が待つ危機管理室へと招集された。部屋には大統領をはじめ、軍、情報、外交のトップたちが、青ざめた表情で座っていた。
「ムアンバ大臣! 直ちに報告せよ! ムサ村で何が起こったのか、特殊部隊はどうなった!」大統領が、苛立ちと不安の混じった声で促した。
ムアンバは、自らの地位とキャリア、そして武力への信念を、自らの言葉で葬るためにそこに立っていた。彼は感情を排した声で、悠人の要求に従い、ありのままの真実を報告し始めた。
「ムサ村への攻撃は、完全に失敗いたしました。投入された全ての通常兵器、そしてEMP特殊砲弾『スコーピオン』は、敵の防御技術により、その効力を完全に無力化されました」
部屋に重い沈黙が落ちた。
「我が精鋭特殊部隊は、一切の抵抗の機会を与えられず、現在、敵により拘束されています。解放の条件として、敵は私の全責任と解任、そして公式の外交特使の派遣を要求しています」
ムアンバの報告が終わった後、大統領は震える声で呻いた。「スコーピオンは、極秘裏に開発された、わが連邦の最後の抑止力だったはずだ。それが、爆発すらしないまま消滅したと?」
大統領は、激しい絶望感と無力感に襲われていた。「我々は… 我々は、一体何を信じればいいのだ?」
その時、沈黙を破ったのは、部屋の隅に控えていたチセンガ情報長官だった。
「大統領閣下。ムアンバ大臣の報告が真実である限り、もはや武力による解決は不可能です」チセンガは冷静に言った。「真波氏側の要求を呑むかどうか、そして我々が国際社会でいかに動くか、決断が必要です」
危機を乗り切るための手がかりを失った大統領は、縋るようにチセンガに視線を向けた。「チセンガ。君は最初から外交を主張していた。君の判断を求めたい。これから、連邦としてどう動くべきか、そして、真波氏からの要求をどう処理すべきか」
ムアンバ大臣は、チセンガが実権を握る様子を、最早、反応を示す気力もなく、ただ虚ろな目で眺めているしかなかった。
チセンガ長官は、冷静に悠人の要求を進言した。
「閣下。真波氏の提示した条件、すなわちムアンバ大臣の責任の明確化と解任は、国際社会に対する連邦の態度を示す上で不可欠です。彼の要求を受け入れることが、連邦が生存し、和平交渉に臨む唯一の道であると進言いたします」
大統領は、長い沈黙の後、重々しく頷いた。「……分かった。ムアンバ大臣」
「貴官を、全役職から即時解任する。そして、EMP兵器の独断使用の責任を問い、直ちに憲兵隊に拘束するよう命令する」
命令が下された瞬間、部屋の外から憲兵隊が静かに入室した。ムアンバ大臣は、抵抗も反論もせず、ただ静かにその場に立っていた。彼は自らの運命を、ありのまま静かに受け入れた。彼の目には、信念の崩壊による深い虚無感だけが残っていた。
憲兵隊に拘束されたムアンバ大臣は、大統領府の廊下を連行された。廊下ですれ違う士官や事務官たちは、彼を見ても誰一人として敬礼しない。彼の周囲にいる部下や同僚たちは、大臣の末路と連邦軍の今後を理解できず、激しく狼狽している。ムアンバは、自身が組織全体から切り離されたことを実感した。
連行の途中、廊下の角を曲がったところで、チセンガ情報長官が静かに立っていた。チセンガはムアンバ大臣と憲兵隊の姿を見ると、歩みを止め、大臣を静かに見つめた。
「ムアンバ大臣。あなたの信念は理解している。あなたは連邦の安定のため、武力という常識に基づいて最善を尽くした。だが、世界は変わり始めた」
彼は静かに続けた。
「これからの連邦は、武力ではない。外交で、必ず国の安定を築く。安らかに、その時を待たれてほしい」
チセンガ長官は、ムアンバが連行され、彼の視界から消えたのを確認すると、同行していた外交官たちに冷静に指示を出し始めた。
「準備に取り掛かれ。真波氏との再交渉は、一刻を争う」
チセンガは、低い声で、今後の連邦の戦略を明確に語った。「我々が交渉で達成すべき目標は三つだ。一つ、特殊部隊員の即時解放。二つ、技術の非軍事利用の絶対的保証。そして三つ、連邦の技術協力による経済再建。この条件で和平を結び、連邦を新たな時代の秩序の中に組み込む」
拘束され、遠ざかるムアンバ大臣の耳に、チセンガ長官のその声が断片的に届いていた。武力に頼った自分の時代は完全に終わり、外交主導の新時代が始まったことを、彼は最後の瞬間まで思い知らされた。




