天女を連れて…
この度は、数ある作品の中からこの物語をお手に取っていただき、誠にありがとうございます。どなたか1人でも、当作品の存在を知っていただけるだけで幸いです。
七月六日、午後十時頃。佐賀県鹿島市の「前線カフェ」の営業は静かに幕を下ろした。
店内には、帰宅の準備を整えた店主の碧海雫と、彼女を支える四名の「おとぎ前線」――美琴、祈里、沙希、神那。そして眷属の稲穂と亜都が顔を揃えていた。
碧海は店内の様子を見渡し、一息ついた。
「本当に今日はみんな、お疲れさん。お客様はあの少年一人と、その後数人くらいで暇ではあったけど……濃厚な一日だったね」
その言葉に、美琴がどこか決心したような面持ちで歩み寄る。
「て、店長。あの……」
「美琴さん、どうしました?」
碧海の問いかけに、美琴は言葉を選びながら厨房の方へと視線を向けた。
「あの、『天女の編みぐるみ』はどうされますか? 今は厨房の棚の上に置かれてあるんですよね?」
「うーん……」
碧海は少し考え込むように唸った。
「社長からは『可愛いからお店に飾って』とは言われたけど……あの編みぐるみ、やっぱり『あちらの方』のものなんですよね?」
「は、はい……間違いないかと思います」
美琴の確信に満ちた返答を聞き、碧海は困ったように眉を下げた。
「今のところは突然、本・物・の・赤・ち・ゃ・ん・になってはいませんけど……私には、そこまでの面倒は、ちょっと無理かな」
「差し出がましいお話とお願なのですが……」
美琴が申し訳なさそうに切り出すと、碧海は驚いたように彼女を見つめた。
「美琴さんが、そんなにあらたまって何ですか?」
「今晩、その『天女の赤ちゃんの編みぐるみ』をお預かりしてもいいでしょうか? 少し、『奥の院の郷』まで持って行って、ご相談したい方がいらっしゃいまして……」
その提案に、碧海は肩の荷が下りたようにハハハと苦笑した。
「いえいえ、問題ないよ。私ではどうしようもできないですから。社長命令とはいえ、リ・ア・ル・な・赤・ち・ゃ・ん・ま・で・私・は・見・れ・ま・せ・ん・。社長も正直、どこまで事情を知っているのか謎だしね……」
「店長、ありがとうございます。今晩、何かその編みぐるみの『謎』が少しでも解ければと……」
安堵する美琴に、碧海は逆に頭を下げた。
「いや、こちらからお願いしたいくらいだから。……美琴さん、宜しく頼みます。とりあえず、最悪、元の姿になった場合も考えないといけませんしね!」
「ありがとうございます、店長」
「じゃあ、私はもう帰ります。編みぐるみの件はお任せしますね!」
碧海はそう言い残すと、裏口の扉へと向かい、店の外へと出た。ガチャガチャと鍵をかける音が響き、彼女の気配が遠ざかる。
店主が帰宅した途端、それまで静かにしていた面々が弾かれたように美琴の周りに集まってきた。
「店長……美琴さんにお任せするって言ってましたね」
神那の言葉に、美琴は大きく息を吐き出した。
「黙って持って行って、もしものことがあればと思ってたんだけど……。店長も同じことを考えていたみたい」
「美琴さん、それでは店長も帰られましたし、私たちも『おとぎ前線』を通って、奥の院の郷へ向かいましょう。命婦大神様の元へ!」
祈里が力強く促すと、稲穂も「善は急げって言うしね!」と続けた。
沙希だけは、不安を隠せない様子で震えている。
「なにか少しでも分かれば……」
「沙希様に何かあれば、まず、私が!」
亜都の頼もしい宣言に、沙希は申し訳なさそうに微笑んだ。
「あ、亜都ちゃん、いつもごめんね。私は大丈夫だから……」
美琴が周囲を見渡し、全員に確認を取る。
「皆さん、奥の院の郷へ帰る準備は出来ましたか?」
「はい、はーい♪ 準・備・完・了・です!」
祈里が明るく手を挙げると、神那が大事そうに抱えた物を差し出した。
「『天女の編みぐるみ』も、ちゃんと厨房の棚から持ってきました」
「神那さん、ありがとう。それでは行きましょう。命婦大神様の元へ……」
ガチャリと、異界へと繋がる「おとぎ前線」の扉が開く音が聞こえた。
列に並びながら、祈里がぼやきを漏らす。
「アイドル活動も頑張らなくちゃいけないのに……なんだか大変なことになってきたね」
「そうね……。とりあえず、八・月・一・日・の・夏・祭・り・までは、何も起きないでほしいわ!」
神那の言葉に、稲穂が少し悪戯っぽく、前を行く亜都へ話しかけた。
「本当に赤ちゃんのままで元の姿に戻るなら、私たちの方が『お姉さん』っていうことになるよね、亜都ちゃん」
だが、亜都は困ったような口調で首を振った。
「稲穂ちゃん、そうだけど……。美琴さんの話だと、この編みぐるみは『有明海の天女』なんでしょう?」
「何か困ることがあるの?」
「有明海然り、海の天女といえば『戦乙女』ですよ。戦・う・乙・女・と書いて戦乙女。遠・い・異・国・では『ヴァルキリー』とか『ワルキューレ』って呼ばれている、怖・い・お・姉・様・たちのことです。……それが本当なら、私は怖いです」
「そうなの……?」
驚く稲穂の顔から余裕が消えた。
「それは……私も少し怖くなってきた……」
「稲穂さん、亜都さん、立ち話は一旦やめて」
最後尾から美琴が制止の声をかける。
「まずは先に『おとぎ前線』を通って、奥の院の郷へ。みんなも、二人のあとに続いてください。私は最後にお店に異常がないか確認してから入ります」
静まり返った深夜のカフェから、一人、また一人と姿が消えていく。残されたのは、わずかに漂うカレーの香りと、静寂だけであった。
この度は、私の作品を最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。読書のお一人でも、心に響いて頂けましたら幸いです。




