碧海と塩善
この度は、数ある作品の中からこの物語をお手に取っていただき、誠にありがとうございます。どなたか1人でも、当作品の存在を知っていただけるだけで幸いです。
七月六日、午前十一時四十分。佐賀県鹿島市の「前線カフェ」店内では、おとぎ前線の面々と見知らぬ和装の少年との間で、奇妙な空気が流れていた。
そのただならぬ雰囲気に気づき、厨房から碧海雫が静かに姿を現した。彼女は首を小さく傾げ、たおやかな所作で皆の輪へと近づいていく。
「皆、どうしたの?」
少年の視線が、店の主である碧海へと向けられた。
「ここのお店の店・長・さんですか?」
「ええ、確かにそうですが……。まあ、少々失礼いたしますね」
碧海は困惑の色を隠せない美琴の隣にそっと寄り添い、耳元で囁くように尋ねた。
「美琴さん、あの少年はお客様かしら?」
「あ、あの、店長……」美琴は言葉を選びあぐね、困り果てた表情で碧海を見つめる。
「『お客様』というか……なにか『違・う・』というか……」
「美琴さん、大丈夫かしら?」
碧海が心配そうに顔を覗き込むが、美琴は「ええっと……」と言葉を濁すばかりだった。
そこへ、少年が落ち着いた様子で割って入った。
「あの、店・長・さん。僕はこういう者です」
少年は襟の袂から何やら探し出し、一枚の名刺を碧海へと差し出した。
「あ、どうも」
碧海は驚きつつも名刺を受け取り、そこに記された文字に目を落とす。
「ええっと……人形屋『塩善本舗』……人形司? し、お、ぜ、ん……塩善さん?」
「そうです。唐津市で『節句人形』を作らせていただいている一方で、人形を作る『人形司』をしています」
「あら、人形司なんですね……」碧海は少年の顔を改めて見つめ、驚きを禁じ得なかった。「随分とお・若・く・て・……」
「幼少の、物心つく頃から祖母より人形司としての心構えを叩き込まれております。まだまだ半人前ですが、先代より『三十三代目塩善』の名を拝・名・しました」
少年の堂々とした物言いに、碧海は目を丸くした。
「まあ……。それにしても『三十三代目』だなんて、創・業・は・い・つ・の・時・代・ですか?」
「え〜っと……平・安・時・代・……ですか? そんなことを先・代・の・祖・母・より聞いています」
「平安時代……!」
碧海は思わず声を上げた。
「江戸時代創業のお話までは聞いたことがありましたが、まさか平安時代から続く人形屋さんがいらっしゃるなんて……」
「創業と言っても、この塩善の生業を始めたのがそれくらいの時代だった、ということだそうですけれどね」
「まあ……それは素晴らしいことですね」
碧海が感心したように頷いていると、傍らで神那が苛立ちを爆発させた。
「て、店・長・!」
「あら! ごめんなさいね、神那ちゃん」
碧海は慌てて神那を宥めると、再び塩善に向き直った。
「失礼いたしました、塩善さん。それで……当・店・に・は・何・か・御・用・かしら?」
「ああ、そうでした。ええっと、まず店・長・さん、このお店の名前は何と言いますか?」
「『前線カフェ』と申しますけど……」
塩善は一度、悔しげに自分を睨む神那を見て小さく笑みを浮かべると、再び碧海を真っ直ぐに見据えた。
「くうううう……店・長・ぉ……」
恨めしげな神那の声に、碧海は少し怯えたように肩を揺らした。
「か、神那ちゃん……?」
「僕は、前線カフェさんへお・届・け・物・があって今日はお伺いしました」
少年の言葉に、碧海は不思議そうに小首を傾げた。
「お・届・け・物・? ということは、塩善さんはお・客・様・で・は・な・い・ということかしら?」
「いや……」塩善は少し間を置いて店内を見渡した。「このお・店・は・カ・レ・ー・屋・と・甘・味・処・ですよね?」
「ええ、まあそうです。カレーも甘味もございます。ソフトドリンクにクッキー、それに『冷凍シュークリーム』や『眠らせぷりん』、『眠らせ餅』といった冷たいお菓子も、うちの人気商品です」
「それじゃあ、お・客・様・でもあります」
「お・届・け・物・を・届・け・に・来・た・け・れ・ど・、お・客・様・で・も・あ・る・、ということですのね?」
碧海が確認すると、塩善は「はい」と頷いた後、真剣な面持ちで独り言を始めた。
「あ〜〜、でも、先に甘いものを楽しむべきか、用事を済ませた後に楽しむべきか……それが問題だぁ」
少年の迷う姿を見て、碧海は優しい微笑みを浮かべた。
「お届け物があるようでしたら、先にそちらをお預かりしましょうか? 受け取りだけなら、すぐに終わりますよね」
「店・長・……」
美琴が、今にも消え入りそうな力弱い声で言った。
「それが……ただの……お・届・け・物・で・は・な・い・んです……」
「えっ?」
碧海が聞き返すと同時に、神那が鋭い声を張り上げた。
「『編・み・ぐ・る・み・』よ! そのお届け物って……」
「神那ちゃん……わたくし、何か聞き間違えたかしら? 今、『編みぐるみ』って聞こえたけど……」
碧海の困惑を、神那の怒声が切り裂く。
「聞き間違えじゃないわ、店・長・! 編・み・ぐ・る・み・よ。それも、店長もよぉ〜くご存じの方の……あ・み・ぐ・る・み!」
その言葉が持つ意味を理解した瞬間、碧海の顔から血の気が引いた。
「ちょ、ちょっと……それって本当ですか……?」
碧海は思わず声を震わせ、絶叫に近い悲鳴を上げた。
「うわああああああああっ!」
店主としての余裕はどこへやら、彼女は頭を抱えてその場にしゃがみ込んでしまった。
この度は、私の作品を最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。読書のお一人でも、心に響いて頂けましたら幸いです。




