見知らぬ少年と鶴亀商店
この度は、数ある作品の中からこの物語をお手に取っていただき、誠にありがとうございます。どなたか1人でも、当作品の存在を知っていただけるだけで幸いです。
七月六日、午前十一時を過ぎた頃。佐賀県鹿島市の「前線カフェ」テラス前は、週末特有の活気に包まれていた。
赤い布が被せられた床几台の上では、祈里と沙希が肩を並べて座り、隣の「鶴亀商店」から聞こえてくる元気な声に耳を傾けていた。そこでは店主の亀さんが、道行く人々へ熱心に声をかけている。
「いらっしゃいませ~。『生姜焼きせんべい』に『味噌せんべい』が人気ですよ。一度食べてみてください、試食もありますよ!」
亀さんの懸命な姿を見て、沙希が申し訳なさそうに眉を下げた。
「か、亀さん、今日も一生懸命ですね……」
「今日は土曜日だからね。週末が一番お客さんが来る日だもん。でも亀さん、年中休まずにずっとお店の前に立って客寄せしてるよね」
祈里が感心したように言うと、沙希は背筋を伸ばし、自分自身に言い聞かせるように呟いた。
「私・た・ち・も・歌・と・踊・り・の・練・習・、頑張らないといけませんね」
「理名さんが毎日来てくれるわけじゃないからね……。今日は土曜日だけど学校なんだって」
祈里は少し間を置いてから、思い出したように付け加えた。
「『た・ん・い・』が足りないからって、碧海店長に言ってたよ」
「『た・ん・い・』って何ですか?」
沙希の純粋な問いに、祈里は「う~~~ん、わかんない」と唸って首をひねった。直後、祈里の視線が一点に止まる。
「あっ、亀さんの客引きが成功したみたいだね」
見れば、和装に身を包んだ一人の少年が、鶴亀商店の前で足を止めていた。
「何だか、甘い匂いがする~」
少年の言葉に、亀さんは商売人らしい笑顔を輝かせた。
「どうです、お客さん。ウチは創業大正元年から続く『手焼きせんべい』が自慢なんですよ」
「甘い方のせんべいですか?」
「お客さん、よく聞いてくれた! ウチは甘くて噛み応えのある昔ながらの堅焼き『たまごせんべい』をベースにしてるんだ。手作業ですり下ろした生の生姜をつけた『生姜焼きせんべい』に、こだわりブレンドの『味噌せんべい』。全部一枚一枚、心を込めて手焼きしてるから美味しいよ」
少年は興味深そうに尋ねた。
「どれも甘いんですか?」
「ベースの『たまごせんべい』自体が甘いからね。でも『生姜焼き』は少しピリリと辛めかな。あとは……」
亀さんは店内の奥からガサゴソと何かを取り出してきた。
「じゃじゃ~~ん! 亀さん直筆のイラストせんべいもあるよ! ……あ、亀さんっていうのは俺の名前なんだけどね」
少年の「試食をいただけませんか?」という言葉に、亀さんは弾んだ声で答えた。
「おっと、もちろん! このタッパーに割れたのが入ってるから食べてみて。右からたまご、生姜、味噌の順だよ」
和装の少年は、タッパーの中から割れたせんべいを一つ摘み上げた。
「これが、たまごせんべいっと……」
ポリポリと小気味よい音を立てて咀嚼する。
「ど、どうだい? 美味しいだろう?」亀さんが恐る恐る尋ねると、少年は「うん、美味いね」と満足げに頷いた。
「じゃあ、生姜焼きも味噌焼きも食べていい?」
「もちろんだよ。食べてみて!」
少年はそれぞれの試食を手に取った。まずは生姜焼きせんべいからだ。
「辛くないかな……?」と心配する亀さんを余所に、少年は再びモグモグと口を動かす。
「生姜のピリリとした辛さに、たまごせんべいの甘さが絶妙にマッチしてるね。なかなかやるね、亀さん」
「おおおっ、お客さん、若いのにこの味が分かるなんて通だね!」
亀さんが手放しで褒めると、少年は最後に残った味噌せんべいを見つめた。
「それでは次は味噌せんべい。実は僕が一番気になっていたんだよね、この独特な味噌の風味が。……いただきまーす」
その様子を固唾を呑んで見守る亀さん。
「……こ、これは~~! 僕の中で一番これが好きかもしれない」
少年はパッと表情を明るくした。
「味噌せんべい一袋ください。はい、お金」
「毎度! この亀さん特製イラストせんべいもオマケにつけるよ!」
「わあああ、ありがとう亀さん!」
飛び上がって喜ぶ少年に、亀さんは目尻を下げた。
「こんなに喜んでくれるとは、せんべい屋冥利に尽きるよ。……ところで、お客さんは今日は観光で来たのかい?」
問いかけられた少年は、それまでの無邪気な様子から一転、穏やかな微笑みを浮かべて答えた。
「ううん、違うよ。亀さん」
「お客さん、何だい?」
少年は真っ直ぐに亀さんを見つめ、目的地を口にした。
「この近くに『前線カフェ』ってお店があるって聞いたけど、場所を教えてくれる?」
この度は、私の作品を最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。読書のお一人でも、心に響いて頂けましたら幸いです。




