グループ名は「おとぎ前線」
この度は、数ある作品の中からこの物語をお手に取っていただき、誠にありがとうございます。どなたか1人でも、当作品の存在を知っていただけるだけで幸いです。
七月四日、午前九時三十分。佐賀県鹿島市の「前線カフェ」の店先では、朝の爽やかな空気の中で予期せぬ賑わいを見せていた。
赤い布が被せられた床几台の上には、練習を終えた祈里と沙希が座っている。その傍らには、いつものように亀さんが立ち、店内からは騒ぎを聞きつけたのか、稲穂と亜都が駆け寄ってきた。
「ぜ~んぶ話は聞いたわ! ただのアホだと思ってたけど、正・真・正・銘・の・混・ざ・り・っ・け・な・し・の・ア・ホ・な人物なのね!」
稲穂が、開口一番に言い放った。
「稲穂ちゃん、いつの間に……」
祈里が目を丸くして驚く。
「あれほど、その言葉は言っちゃダメだと言っているのに……」
亜都は深いため息をつき、呆れたように肩を落とした。
「亀さんが、あのア……」
稲穂は「ウ、ウウン」と言葉を濁してから言い直した。
「あの名前が聞こえてたから、ちょっと気になって、亜都ちゃんと奥のテーブルから出てきたの」
亀さんは困ったように眉を下げ、優しく諭すように言った。
「い、稲穂ちゃん……。流石に大人の人にその言葉はダメだよ。緒妻さんはお・子・さ・ん・が・三・人・いて、その中には稲穂ちゃんと同じくらいの子がいたはずなんだ。その子からしてみれば大切なお母さんなんだから……。自分のお母さんをアホ呼ばわりされたら、嫌・じゃ・な・い・かな?」
亜都も心配そうに「稲穂ちゃん……」と顔を覗き込む。
「嫌だ! 絶対嫌だ! お・母・さ・ん・を・馬・鹿・に・さ・れ・た・ら・、・許・せ・な・い・!」
稲穂は半泣きになりながら、激しく首を振った。
「ほら、稲穂ちゃんもそうだろう。緒妻さんのお子さんにとっても、今の稲穂ちゃんの言葉は許せないものになっちゃうんだよ」
亀さんの言葉に、稲穂は袖で目をこすりながら小さく頷いた。
「……もう、あの言葉は言わない。約束する」
「稲穂ちゃんは良い子だね。約束だよ」
「うん。分かった」
ようやく落ち着きを取り戻した一行に、亀さんは苦笑いを交えて続けた。
「緒妻さんは会社もお店も経営しているけど、本業は主婦だって公言しているからね。碧海店長も忙しいけれど、それでもお店を任されているのは、それが理由かな。俺もなかなか会えないレアな人だよ。それにしても……歌詞まで作るなんて、確かに稲穂ちゃんがあ・の・言・葉・を使いたくなるのも分かる気がするよ」
そこへ、店内の様子を窺っていた美琴と神那が姿を現した。
「おはよう、亀さん」
神那が声をかけると、美琴も丁寧にお辞儀をした。
「おはようございます。亀さんが来てくださって、ちょうど良かったです」
「ちょうど良かったって、何がだい?」
亀さんが不思議そうに聞き返すと、美琴は真剣な眼差しで告げた。
「今、祈里さんと沙希さんが練習している通り、私たち四人はこの『前線カフェ』を拠・点・に、この門前商店街のアイドルとして活動することになりました」
「それは祈里ちゃんからも聞いてるよ」
神那が美琴の言葉を引き継ぐ。
「それで亀さんに頼みたいのはね、私たちのデビュー日が八月一日の『祐徳夏祭り』の日に決まったんだけど、その時にお披露目とアイドル宣言をしたいのよ」
「な、な・る・ほ・ど・……」
美琴が少し身を乗り出して尋ねる。
「そこで、夏祭りでお披露目をするにはどなたに許可をいただければ良いか、亀さんにお聞きしたくて」
「ああ、式典は『稲荷神社』の管轄だから葵さんに聞けばいいけど、イベントは『商店街の会・長・さん』にお願いすればいいよ。このお店も商店街の会員だから、俺から頼んでもいいけど……。やっぱり店長の碧海店長の方が、みんながどんなことをするのか把握しているだろうし、一度彼女に相談してみたらどうかな?」
「そうなんですね。それじゃあ早速、店長に尋ねてきますわ」
美琴はそう言うと、お淑やか、かつ軽やかな足取りで厨房の奥へと向かった。
亀さんは去りゆく美琴の背中を見送った後、ふと思い出したように祈里に問いかけた。
「そういえば……アイドルグループを結成したんだよね? グループ名は何にしたんだい? まだ決まっていないのかな?」
「じゃ~~ん、実はもう決まったんだよ。グ・ル・ー・プ・名・!」
祈里が元気いっぱいに声を弾ませる。
「それは気になるね。なんていう名前だい?」
「グループの名前は……」祈里は溜めてから、自信満々に言い放った。
「じゃじゃ~ん、『お・と・ぎ・前・線・』です!」
「お、『おとぎ前線』。ああ……!」
亀さんは嬉しそうに声を上げた。
「たまにみんながその言葉を話しているのが聞こえていたけど、アイドルのグループ名だったんだね! これで一つ謎が解けたよ。てっきり何かの暗号かと思っていたんだ」
「……これで第・一・段・階・目・が・成・功・ね」
少し離れた場所で、神那が満足げに唇の端を上げた。
「最初はそんな名前を使うのはどうかと思ったけど、グループ名にしておけば、人間たちの前でも堂々とこの言葉が使える。もちろん、コーチの前でもね……」
そんな神那の背後に、稲穂がそっと忍び寄り、耳元で囁いた。
「神那や、お主も相当の悪よの~、フォフォフォ……」
悪代官を模した稲穂の笑い声が、朝の商店街に響き渡った。
この度は、私の作品を最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。読書のお一人でも、心に響いて頂けましたら幸いです。




