デビューに向けて
この度は、数ある作品の中からこの物語をお手に取っていただき、誠にありがとうございます。どなたか1人でも、当作品の存在を知っていただけるだけで幸いです。
七月三日、十五時三十分。佐賀県鹿島市の「前線カフェ」の座敷では、食後の穏やかな時間が流れていた。店長の碧海雫が運んできたカレーを平らげ、理名や祈里たち四人、そして稲穂と亜都は、ようやく一息ついたところだった。
「おごちそうさまでした」
稲穂と亜都が、満足げに軽くため息をつく。理名は座敷に座る六人の様子を一人ずつ確認するように見渡した。
「稲穂ちゃんも亜都ちゃんも食べ終わったわね。……あとのみんなは?」
「ちょ、ちょっと待ってください。まだ食べきれてなくて……」
沙希が、皿に残ったカレーを前にオドオドしながら声を上げた。
「沙希ちゃん、少食だね……」祈里が自信満々に胸を張る。
「私は『普通盛り』だったけど、一番最初に食べ終えたよ!」
神那が隣で呆れたように吐き捨てた。
「祈里の大食漢と、カレーを飲・み・物・のように食べる姿は、何度見ても呆れるわ」
「えっ、カレーは飲・み・物・じゃないの?」
祈里は不思議そうに目を丸くする。「たまに来るお客さんとかも、そう言ってるよ?」
「あれは例えで、カレーは飲・み・物・ではないから……」神那は深いため息をついた。
「飲み物みたいにスルスルとのどに入るから、そう言ってるだけ」
「祈里さん、ちゃんとよく噛んで食べないと……」
美琴が母親のような口調で注意すると、祈里は「は~~い」とあっけらかんと返事をした。
ようやく沙希の皿も空になり、彼女は小さく「おごちそうさまでした」と手を合わせた。
「これでやっと話の続きができるわね。でも、先にお片付けしましょうか」
理名が立ち上がろうとすると、稲穂が制した。
「私たち、まだ関係ないし。私と亜都ちゃんで店長のところまで空のお皿を持っていくよ」
「沙希様も、ちゃんと理名お姉ちゃんからお話を聞いてくださいね」
亜都が優しく促すと、沙希は「だ、大丈夫……」と焦ったように頷いた。
「二人とも、ありがとう」
理名の感謝に対し、稲穂は「良いって良いって」と手を振りながらも、釘を刺すことを忘れなかった。
「でも理名お姉ちゃん、私たちにも踊りを教えてくれる約束は守ってね」
「私・の・約束・が・本当・は・先・ですからね!」
亜都も負けじと主張する。理名は「分かったよ。お姉ちゃん嘘つかない」とハハハと笑って二人を見送った。
空の皿を抱えた二人が厨房へ去ると、理名は一気に真剣な表情に戻った。
「もう時間がないから、一か月後の八月一日の『祐徳夏祭り』で何をするか決めよう! 十二時の方は、まだできるか分からないけど……十九時からの『祐徳踊り大会』の方は参加者を募集してるみたいだから。この話し合いが終わったら早速エントリーよ!」
「踊り大会というくらいですので、踊りを披露するんですよね?」
美琴の問いに、理名が頷く。
「そうね。大体が『面浮流』や『祭り舞踊』のような伝承芸能みたいだけど……。私の通う大学のダンスグループや、地元の子供たちも踊るみたいよ」
「では、私たちは何を踊るんですか? 伝統舞踊ですか?」
美琴は少し考え込み、言葉を継いだ。「鹿島市の伝統舞踊でしたら、少しはみんなかじってますので……」
「美琴さん、何を言ってるの?」
理名は驚いたように声を上げた。「伝統舞踊? 今日、みんなでア・イ・ド・ル・になったんでしょう! だから、デ・ビ・ュ・ー・曲・を歌って踊るのよ!」
「で、デ・ビ・ュ・ー・曲・だって~、沙希ちゃん!」
祈里が嬉しそうに沙希の肩を揺らす。しかし沙希は戸惑いを隠せない。「でも、そのデビュー曲はどうするの……い、祈里ちゃん……」
「えっ、え~~~~~~と……」
祈里が言葉に詰まると、神那が鋭い視線を理名に向けた。
「コーチ、何かあるの? 歌謡曲でも歌わせる気?」
「そうね……今は何もない状態。しかも、お披露目のデビュー日は一か月後……」
理名はハハハと苦笑いをもらす。「アイドル初心者のデビュー曲を一から作って、振り付けまで覚えるのに一か月じゃ足りない。普・通・な・ら・歌謡曲のコピーダンスしかないとは思うけど……」
「ほら、やっぱりそうなる」
神那の鼻を鳴らすような態度を、理名はぴしゃりと制した。
「コーチの話はちゃんと聞きなさい。『普・通・な・ら・』と言ったでしょ!」
理名は、ふと視線を落とし、ボソリと独り言を漏らした。
「ダンス指導だけならともかく、急に連れて来られて、アイドルプロデューサーまでやらされるとは思わなかったけど……。でも、やるからにはね」
その瞳には、逆境を楽しむような強い光が宿っていた。
この度は、私の作品を最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。読書のお一人でも、心に響いて頂けましたら幸いです。




