様変わりした社。紅、困惑する…
この度は、数ある作品の中からこの物語をお手に取っていただき、誠にありがとうございます。どなたか1人でも、当作品の存在を知っていただけるだけで幸いです。
稲荷神社の一角、午後四時半過ぎの岩崎社の前には、驚くほどの熱気が立ち込めていた。巨大なハートの形をした看板には「岩崎社」の文字。その社の前には、良縁を願う若い女性たちの長い行列ができていた。
慶は目を丸くし、しばらくその光景を眺めた後、にやけた笑い声を漏らす。
「これは凄いなあ……」
手をかざし、看板に書かれた文字を読み上げた。
「なになに……えーっと、『恋愛成就』、『良縁成就』縁結びの社、岩崎社はこちら……だって!」
横に控える葵が、静かに説明を加える。
「今日は、長い修行の旅から帰られたご主人である一柱様が、本来いらっしゃる場所へと戻られたおめでたい日。良縁を願う女性たちが、その御力を無意識に感じ、こちらへ導かれたのでしょう」
慶は社の授与品に目を向け、紅に声をかけた。
「紅、これは可愛いよ。ハートの形をした『縁結び守り』と『縁結び絵馬』だってさ!」
「このハートの形をした『縁結び守り』と『縁結び絵馬』は、この稲荷神社内でも、恋する女性たちが必ず買われていく『恋愛必勝アイテム』だと評判でございます!」葵は、誇らしげに胸を張った。
白は「必勝アイテムか……。何かすごい呼び方だね」と、どこか他人事のように呟いた。
慶は隣の紅の様子がおかしいことに気づき、顔を覗き込む。
「紅?おい紅、紅さーん、ど、どうした?おまえらしくない。ぼーっとしてるぞ。せっかく、二十年ぶりのふるさとだというのに……なんだ、紅のこの反応は……」
慶はしばらく考え、自信満々に声を上げた。
「わかったぞ! ふるさとを想う気持ちが今、紅の中で”ドバーーーーーン”と湧き出て、言葉もでないんだな!」
紅は震える声で何かを言おうとするが、言葉が詰まり、何度も同じ言葉を繰り返す。
「わ、私は……わ、私は……私は……」
葵が心配そうな声色で、紅の名を呼んだ。「べ、紅様……」
慶は紅の反応を誤解したまま、さらに自信を深めた。
「分かる、ウチにはよーく分かるよ! 故郷への想い……その深い望郷の気持ちがね!」
その瞬間、紅は周囲の女性たちも驚くほどの大きな声で絶叫した。
「私は歌の神だあああああああああああ!」
彼女はまるで自身の存在を否定するかのように挙動不審に首を振る。
「違う、絶対に違う。嘘だ! 嘘だ! これは夢だ! 夢だあああああああ!」
慶は紅の取り乱しぶりに呆気に取られ、白に同意を求めた。
「神に、夢はないだろう? なあ、白?」
しかし、白の意識は全く別の場所にあった。社から目を離さず、顔を綻ばせている。
「ハートがいっぱい。可愛い……。『ハート形縁結び守り』……このお守り、とっても可愛い。えーっと、『よき縁がありますように。想いが届きますように。二人の気持ちが結ばれますように』……。こっちは『ハート形恋絵馬』……『想いを寄せるあの人と結ばれたいあの人とお名前と気持ちを書き込んで岩崎社の御前にかけてください』……見てると気持ちがフワフワするね」
慶は、紅だけでなく白にも呆れて、今度は葵に話しかけた。
「は、白……おまえさんもウチの話、全く聞いてないな。それじゃあ、なあ、葵?」
葵はきょとんとした顔で、恭しく答える。「は、はい。何か私にお役に立てることがありましたら……」
「いやいや、この状況をどう説明したらいい?」慶は頭を抱えた。
「この状況を、ご説明と申しますと? ご説明でございますか?」葵は困惑している。
一方、紅は相変わらず、挙動不審に震えながら「夢、夢、夢、夢……」と虚ろに繰り返していた。
白は紅や慶たちのやり取りには目もくれず、社の装飾に夢中だ。
「ここもハートの形になってる。細かい造形……すごく凝ってるね」
巨大なハート形の絵馬や看板だけでなく、建物の小さな装飾に至るまでハートが施されたその社に、白は完全に魅了されていた。
慶は両手を広げて、紅と白の二人を交互に示した。
「この二柱の今の姿を見てくれ。一柱は自分が何者かを忘れて、全部夢だと思い込もうとしてるし……。そもそも、ウチらはこれでも神様だから、叶える方の夢はどうにかするが、寝る方の夢はみない。寝ないからね。人間の言葉に例えると、『三百六十五日、二十四時間営業』ってやつだよ」
そして、もう一方の白を見て、ため息をついた。
「もう一柱はハートで飾られたこの場所が非常に気に入ったらしい……」
葵は戸惑いながらも、紅に対して丁寧な言葉遣いで続けた。
「そ、それはもう、岩崎社の大神様、い、いえ、紅様は『縁結びの神様』として、この日本国内とわず、海外から来られた女性たちが、『恋愛成就』と『良縁成就』を叶えるためにご参拝に来られますので……」
一呼吸置き、葵は付け加える。
「紅様がお帰りになられたためか、本日は少々ご参拝者は多いですが……ほぼ毎日、多くの女性が来られます」
「そ、そうなのか……」慶は、その人気ぶりに驚きつつ、紅に視線を戻した。
「いや、紅は……まあ、葵の言うこちらの岩崎大神は、『歌』で人間を幸せにする目的で、二十年の期間限定で修行の旅に出かけたんだよ。その『歌の女神』が、全く自分と思っていたのと違う存在に書き換えられていたら、どう思う?」
この度は、私の作品を最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。




