⑨魔法使いTOMO
これは魔法使いTOMOの昔の話である。
ここは、異世界カフェ秋葉原店。大阪のオタロードにある異世界カフェの姉妹店である。と言っても内装はほぼ同じ造りで、店舗の中に居ればどちらの店に居るのか分からなくなる位同じに思える。かなり腕の立つ内装業者が施工したのだろう。
「いらっしゃいませ」「毎度ご来店ありがとうございます、本日も1名様でよろしいでしょうかー」
「ララララー、ララララー♪」フルートの音色のようなソプラノよりもっと高温の音色の心に響く心地よい音楽のように綺麗な歌声が聞こえてきた。長身で美形、背中には無色透明な羽が今にも羽ばたきそうな、お伽の国から抜け出てきたようなエルフの格好が似あう女の子たちが入口でお客様のお出迎えをしている。それぞれかわいいハート形の名札には「MIRI」「MAYUU」「ACHA」「KORIN」「ANNA」といかにもアイドルのような源氏名が思わる名前が書かれていた。こちらのお店は特にコスプレのリアルさが売りの繁盛店である。
店内には、エルフたちのほかにも、魔女の格好をした今にも魔法を唱えそうな女の子、耳がピンと立って元気いっぱい獣人族の女の子たちが店内を明るく盛り上げている。いわゆるコンセプト喫茶のようであるが、店内装飾、スタッフなどが半端なくリアル感に満ちており本当の異世界に迷い混んだ錯覚に陥る。
大型モニターにはスライムたちが可愛いく跳ねまわったり、魔族や竜族が大きな炎を操った迫力のある戦いが写し出されている。これらの多くは映像製作者に使用料が支払われて流されているアニメ的な物だったが、イベント的に決まった時間に映像イベントとして流される実写版の異世界映像があり、こちらはどこの映画会社が作ったものなのかは分からなかったが、この世の物とはとても思えない臨場感とリアル感に満ち溢れていたので、この異世界の映像を楽しみながらお酒を飲んだり、食事をしたり、お茶をしながら、現実逃避の時間を楽しむお客様たちでかなり繁盛している様だった。
相崎知美は、今日は月一回開催されるコスプレイベントのため、ここに来ていた。
「TOMO今日も決まってるわね」こちらも常連っぽい猫耳の獣人のコスプレをした客が知美に挨拶してきた。「ありがとう」と笑顔で知美は返事をした。確かに知美は元々スレンダー美人だったので、魔法使いのコスプレが良く似合っていた。ここのスタッフのコスプレの精度の高さは有名でゲーマーやアニメ好きの間では知らない者が居ないほどだったが、知美はそこのスタッフかと思えるほど美しいコスプレイヤーだった。まじめにコスプレの方で活動をしていればTOPコスプレイヤーを目指せただろう。しかし、知美はそれ以上にゲームが好きだったので今は大きなショッピングモール内にあるゲームセンターで働いていた。そこで働くきっかけとなったのは、コンシューマーからアーケードに移植されて一世を風靡したゲーム「ドラゴン&エルフ」通称D&Eのコスプレイベントで魔法使いのコスプレで参加しているところを店長にスカウトされて入社することになったのだった。D&Eは異世界で実際に見てきた世界を製作者がゲームにしたというキャッチフレーズで売り出され、ゲーム内のシステムや多岐にわたる戦闘やゲーム内の住人の会話までがとてもリアルでハマり込むゲームファンは多く、知美もその一人であった。知美はその美貌だけでなく、エクセルなど計算処理能力にも長けていたので、店長推薦枠で多少の色は付いていたようではあったが、実施された筆記試験や面接も簡単にクリアし入社できた。
入社してからは、主に店長補佐のような仕事から、集金集計業務とフロアでの接客業務やイベントの司会などを任されていた。入社したばかりの知美を店長が優遇しているように思っていた周りのスタッフからはかなりのやっかみを受けていたので、陰で知美の悪口を言う女性スタッフの敵は大勢いたが男性スタッフたちは味方をしてくれていたので、大きな問題も無く入社3年目を迎えることができた。確かに店長は知美を気に入っていたので意識的になのか、無意識なのか、知美と店長だけがゲーセンの奥の事務所に籠りっきりになる時間があったので、女性スタッフたちからはあらぬ噂を立てられる原因にもなっていた。実際のところは、集金してきたお金を集計して金庫に入れたり、エクセルが得意だった知美は、自分で簡単にデータ分析用のフォームを作れたので、メダルのペイアウト率管理やプライズの原価率、果てはプライズの在庫管理から固定資産管理までのデータ分析から管理業務全般を任されていたのだった。
それらの業務内容を遂行するため、店長と二人で居ることが多かったので、店長の昔話を多く聞かされたり、会社の経営方針を他のスタッフより遥かに多く頭に入れていた。プリントシール機が流行りだしたのは、プリント倶楽部というゲーム機で今もプリクラと言われているのはこのせいであること。ストリートスナップというゲーム機はキャッシュ缶と言われる集金用の硬貨収納箱の容量が小さすぎて、一日一回の現金回収では間に合わず、キャッシュ缶に硬貨が上まで詰まってしまって取り出せなくなってしまうので、途中で回収しなければいけない程の人気があったこと。その後のプリントシール機はキャッシュ缶が大きくなったことと、基板もむき出しのゲーム基板ではなくケース型になり、プリンターはパソコンでも使用されているような高性能プリンターが積まれるようになって故障が減ったが原価率が高くなって儲けが少なくなったこと。対戦格闘ゲームを隣同士から対戦型に向き合ってするようになって、売り上げが滅茶苦茶上がったが、客同士の喧嘩が絶えなくて対応に苦労したこと。豆知識としては対戦ハーネスを付ければ二台の筐体を対戦用に操作できたが、そのままでは風営法に引っかかるので向かいのゲーム筐体にダミーの基板を噛まして対応していたこと、当時は自分たちで対戦ハーネスを作成していたこと、それを最初に考え出したのは自分の友人だったことも何度も聞かされた。また昔はルーレットが回って当たりが出ると景品がもらえるその他プライズマシンというジャンルに警察の捜査が入り、家庭用ゲーム機などは景品として使用禁止になったこと。元々はアソート売りという景品の販売ベンダーが一箱の価格を均すと500円未満になるように考えて作った法律の目をかいくぐる商品だったが、アソートする前の商品単価も500円未満にするように当時の法解釈に指導が入ったとのことであった。業界と法律解釈のいたちごっこ的なものだったのだろう。
知美はデータ分析を担当していたので、他の社員のプライズ責任者、メダル責任者ともよく打ち合わせで一緒になることが多かった。知美が他の先輩スタッフたちに疎まれ僻まれる原因の一つにもなった。
プライズ責任者の上地さんは、スラリとしたおとなしめのイケメンだったが、無口で競馬好きだったので、あまり女子とは会話を好まなかったが、女子には人気があった。よく競馬の馬をマスコットにしたぬいぐるみやマスコットキーチェーンを仕入れていた。
「上地さん、原価率見て下さい。有馬記念キーチェーンマスコットの原価率20%超えてますよ。うちはトータル15パーセントでやれって、店長会議で毎回注意を受けるんですから、ちゃんとバネ調整してくださいよ。」知美と上地は知美の作成した個別ゲーム機の原価率管理表を見ながら仕事の話をしていたのだったが、周りの女子たちからは、仲良くおしゃべりしているように見えるらしいのだった。
「分かりました。トータル15パーセントは死守するので、これはこのままで良いですよね。」
まあ競馬好きに、これ以上言っても無駄であることを察した知美は同意するしかなかった。
メダル責任者は久保さんで元はパチプロで生計を立てていたが、パチンコパチスロ業界でも5号機問題でいろいろあったらしく、生活が苦しくなったため知美の半年前に中途入社してきた経歴の持ち主で、やたらと世間に反骨精神が強かったこともあったのかアウトローを気取っていたので、別の女子たちからは人気があった。
「久保さん、いい加減モーニング設定見直した方が良いと思いますよ。プッシャー機でフィールドペイアウト率をこっそり下げて、ペイアウト率75パーセントに絞って、パチンコパチスロ甘々で集客するなんてマニアックすぎるんじゃないですか。ファミリーや子供たちは少ないメダルで少しづつ遊べるプッシャー機しかやらないんですから。モーニング設定なんかしてても平日は常連さんにカニ歩きされてるだけでここはホールとは違うと思いますけどねぇ。」知美は久保に詰め寄っていたが、久保は自身のこだわりを邪魔されたくないらしく、抵抗していた。
「うるせーよ、お前が管理管理ってうるさいから、パチンコ、パチスロの設定表もちゃんと毎日提出してやってるだろ、モーニングまで口出すなよ。」確かに久保はそれまでいい加減にしてやっていなかったデータ管理をしっかりと協力してくれるようになってはいたが、データのコントロールに癖が強かったので客層にマッチしているかは微妙な感じであった。
「分かりました。これからもご協力お願いします、けどトータルペイアウト率は85パーセント死守してくださいよ。店長会議で店長また怒られるんですから。あと、こないだパチンコの釘セット買ってましたけど、よく店長OKしましたよね。」知美は後輩ではあったが、データ分析の観点から物を言っていたので概ね各ジャンル責任者とは対等とも言える立ち振る舞いでも問題は起きなかった。
「ばっきゃロー、ちゃんと店長に許可取って買ったんだよ。トータルペイアウト率を守るなら多少パチンコは出るようにしても構わないってな。」知美は店長許可と言われればさすがに何も言えなくなったが、
この人たちは本当に法律的なことを知ってて大丈夫なのかと少し首を捻ったのだった。
が、しかし、ここでも女子たちは僻みやっかみで、また久保さんと相崎が仲良く話してる。久保さんにも手を出してと陰口を叩いていた。
知美は休日は基本的にオンラインゲーム「ドラゴン&エルフ」通称D&Eの中で魔法使いとして過ごしていた。もうこのゲームも長くやっているので、魔法使いのレベルも92で全ての属性の魔法が使えるようになっていた。ゲーム内ではまさに無敵の大魔導士TOMOと呼ばれていた。
そんな無敵に思われた知美だったが、実世界では決して無敵ではなく、苦手にしている物があった。
知美はデータ分析や集計作業以外の時間はフロアで接客をやっていた。ジャンル担当には属していなかったので、フロア内をぐるぐる回ってお客様対応をしていた。しかしこちらのゲームセンターは大きなショッピングモール内にあったので、夜の時間も23時のレストランが閉まるまでは営業しており、夜は酔客が多く出没した。特にプライズが取れないというクレームが夜は多いため、知美は夜のプライズコーナーにはあまり近寄りたく無かった。
「おい、景品取れないじゃんか、詐欺じゃねえのか。」
「もっと取れるところに場所移せよ。」
「ふざけんじゃねえよ、もう3000円も使ったのにピクリともしねえじゃん。」
「なめてんのか、店長呼んで来いよ。」
「ねーちゃん、美人だからって気取ってんじゃねーよ、ゲーセンの店員のくせに。」など
夜間の酔客相手にしていると、知美は仕事を辞めようかと思うことも何度もあるのだった。
その日は訪れた。いつものようにゲームセンターに出勤すると、店長から呼ばれたので、事務所に行ってみると、本社からエリアマネージャーと名乗る人と部長と名乗る人が来ていた。知美は特に心当たりは無かったが、面談を行うとのことだった。その内容は全く話にならないばかげた内容で、店舗の女子スタッフが店長を通り超えて本社の人事に密告したという内容だった。
・店長と相崎知美は二人だけで事務所に籠ってアダルトなことをしていた。
・店長、上地、久保の責任者三名が相崎知美を贔屓して業務に支障が出ている。
・風営法に抵触することを野放しにしてその片棒を担いでいる
主にそういった内容の密告だったが、店長も上司が言うことを否定してくれてはいたが、会社の上司たちは問題が起こった以上は何らかの処分が必要であると告げてきた。知美はもちろん全て否定した。
面談が終わってフロアに出ると、女子スタッフがこそこそ知美のことを話しているのが分かった。
「面倒くさーい。もう辞めてやるー。」と思いながら、フロアに出ていると、まるで仕込みであるかのようにいわゆる三人の不良客に絡まれた。確かに知美もムスッとした態度になっていたのだろう。
「この景品取れないって言ってんじゃん。何とかしろよ。」
「なにムスッとした顔してんの、ここの接客態度どうなってんのかなー。」
「お詫びにこの景品一つくれるべきなんじゃないのかなー。お客様は神様なんだよ。そんなことも知らねーの。」
「お前、土下座しろよな。」と言って男の一人が知美の腕をつかんだ。
「バシッ。」知美は無意識で男のほっぺたをひっぱたいた。頭に血が上っていて血管が切れそうだったのでそこから先はどうなったか分からなかったが、仕事は早退させられたようで、ショッピングモールを後にしていた。
知美はもう全てがどうでも良くなっていたし、とにかくどこか遠くへ逃げてしまいたい気持ちだった。同僚の女子たち、会社の偉いさんたち、不良客たち、全ての顔が浮かんでは頭の中で大魔法を唱えて吹き飛ばしてやったので、少しは怒りを抑えることは出来ているようではあったが、とても平常心からはかけ離れていた。気が付けば電車を乗り継いで、いつもの異世界カフェへ逃げ込むために向かっていた。時間はよく覚えて無かったがお店に到着できた。今日はイベントの日では無かったのでいつものカウンター席にお客様として案内された。
目の前に広がる異世界のモニターはいつも通りで店内の様子もいつもどおりで、それらの光景を見ることで少しは安心はしたが、この世に対する怒りや失望感はひどかったため、生きる気力は滅茶苦茶に削られていた。
カウンター越しのマスターに声をかけられ手渡されたのはいつものタブレットだったが、そこには初めて見る文字<裏メニュー>という文言がブリンクしているのが目に入った。