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⑦勇者SEI

 これは勇者SEIの昔話である。

 名前は持田誠一郎、厳格な父母の下で育ち子供の頃から空手道を習っていた。父は商社勤務のサラリーマンで母は開業医の個人病院で医療事務のパート職員だった。空手道は近所の道場に小学3年から週一回土曜日に通っており、小学6年の頃にはもう黒帯になることができた。その後は大学までずっと道場に通い続け、流派の大会などでは優秀な成績を修めていた。親の教育の賜物か正義感が人一倍強く勉強も人よりできたので、いつも学級委員長や生徒会の会長なども引き受けることが多かった。意外にも趣味はアニメの鑑賞だったが、硬派を演じるために自分以外の誰にもその趣味を明かしたことは無かった。

 大学をストレートに4年で卒業することができた。学校の先生を目指していたこともあって教員免許は取ることにしていたので、公立の中学校に教育実習などにも出かけた。生徒たちからはすぐに信頼されてその素養は本物だった。しかし、同時に誠一郎は学校の先生の実情を目にすることにもなった。教頭先生と校長先生による子供を抜きにした覇権争いや足の引っ張り合い。生徒の親からの理不尽なクレームにより本来授業準備をする時間がどんどん削られている現状、部活動顧問として時間を取られている現状など、本来の子供たちのために行う授業がおろそかになっていたり、クレームを言ってくる保護者たちの理不尽さや教師を軽んじている態度などに正直幻滅したのだった。時代は中学受験全盛期の頃で、特に首都圏では公立の中学に行かせる親たちは、子供の教育にあまり熱心ではないか、経済的余裕が無いかのどちらかだと世間では言われることが多かった。誠一郎も教育実習を通して教育現場の現実の姿を知ることとなったのである。子供たちを導いてあげたい、大人の脅威から守ってあげたいという気持ちは持ち続けていたので、その結果誠一郎が選んだのは中学受験を目指す塾の講師であった。塾の講師なら、授業に専念できそうだし、部活動も無いし、子供たちの将来を助けることができると思ったからであった。当時は映像授業なども世間にまだ出始めた頃で、大手の学習塾が無料の全国模試を実施したり、有名講師を売りに生徒募集をして競い合うなどで、塾講師も高年収が世間では話題になっていた。さらに誠一郎は学生時代からお金持ちの家の子の家庭教師をやっていたので、経済的には一般のサラリーマンよりもずいぶん稼ぐことができたので学校外の教育には良い印象があったのだった。


「持田先生、どうしてうちの子の成績が上がらないのですか?授業中は他所の子ばかり教えてひいきしているんじゃないですか?」

「どうしてうちの子がBクラスに落とされなきゃいけないのですか、成績が上がらないのは先生の教え方が悪いんじゃないですか?」

「おたくの塾は生徒募集、生徒募集って、友達紹介キャンペーンばかりやってて、友達を連れて行かないと勉強教えてくれないって言われてますけど、うちの子は引っ込み思案なので無理なんですけど、どうしてくれるんですか?」

「先生はお気に入りの子だけ集めて、授業時間外に補習やってるって聞きましたけど、どうしてうちの子はやってもらえないのですか?ひいきがひどいんじゃ。。。」

誠一郎は、日々電話対応に追われていた。授業開始直前まで毎日だった。授業準備は家でやるものらしく塾に出勤してからは、生徒募集の仕事がメインで、対象年齢の子供たちの名前がリストアップされた電話による勧誘や入塾したての生徒の親への電話による友達紹介アプローチのための電話、子供たちから入手した友達紹介者への入塾テストのご案内など当時は全てがいわゆるテレマーケティングであった。その合間には保護者からのクレームの電話対応に忙殺され、生徒の前にいる授業時間が憩いの時間に思えていた。

 そんなことは誰も誠一郎に教えてくれなかったので、塾の講師の仕事内容を就職前にもっと調査すべきだったと何度も後悔したし、公立中学へ行く保護者たちより、私立中学を目指す保護者の方が何倍も強烈である事実が身に染みた。仕事に慣れてきたと思っても毎年毎年受験はあるし、生徒も保護者も入れ替わり、モンスターは形を変えどんどん現れた。それでも仕事を続けることができたのは、生徒たちからは人気講師であったし、毎年志望校に合格した生徒たちから「ありがとう」と言ってもらえる瞬間があるからで、すり減らされた心をわずかに回復させてくれるのであった。

 塾長とは定例の会議で毎週会っていたが、いつも会議の議題は「生徒募集」が第一で、授業内容や生徒一人一人の現状などは全く触れられることも無かった。そんなことで、誠一郎は塾長とはなるべく話をしないよう避けて通るようにもなっていた。誠一郎はいつも「生徒第一」の思想だったので、入社したてのころは積極的に発言をしたり会議にも参加の姿勢を崩さなかったが、5年目に入った今日ではもう会議中の発言をほとんどする気力さえもなくなっていた。


 その日は訪れた。ほとんどの生徒たちが第二までの志望校で合格していたので、最近は毎日生徒と親が連れ立って塾に合格の報告とお礼に足を運んでいたので、今学期もそろそろ終わりで安心して春季講座までの有給休暇に入る直前のことだった。その日は春季講座の募集の電話架けを講師陣は行っていたので、多くは一階ロビー横の事務所の各自の席で仕事をしていた。誠一郎も例外では無かった。一本の電話が鳴り、別の職員が電話対応をしていたが、受け答えが神妙で、血の気が引いている表情が周囲の者には分かったので、周囲の全員がその電話対応をしていた職員に注目していた。しばらく受け答えしていた職員が電話を塾長に繋ぐ旨を話していたので、自分には関係が無い事かと皆はひと安心した様子に見えた。電話を塾長に転送し終えた職員が一言「大変なことになった。」とつぶやき、隣の職員に小声で話しているのが聞こえた。「生徒が亡くなった。」とのことだった。誠一郎はそれを聞いて心が痛んだ。

 しばらく後に塾長が誠一郎を塾長室に呼び入れた。 

「持田先生、先ほど○○君のお父様から電話がありました。お母様は錯乱状態で電話の近くでうめき声を

上げているように聞こえました。○○君の通夜が今晩あるという連絡でした。まだ詳しい状況を聞けるご様子では無かったのですが、○○君は持田先生の生徒さんでしたね。志望校の全てに合格しなかったとのことです。先生は何か心当たりはありますか。」塾長はこういったことは何度も経験している様子で落ち着いてみえた。年の功といったところだろうか。

「えっ○○君、ですか、○○君は、、、成績は常に良くて、模試の結果もどこの志望校も、BかCランクだったので合格は間違いない筈でした。はあ、、、少し気になっていたのは、内気な性格であまり友達が居ないのかなと思うこともありましたけど。」誠一郎は塾長と違って自分の生徒が亡くなったことを知ってパニックになるのを必死で押し殺していた。誠一郎は○○君が受験する日に何度かキットカットにメッセージを書いて持たせた記憶があったので、その光景が頭の中でぐるぐると回っていた。

「そうですか、受験は水物って言われてますから、何年かに一度位は受験した学校が全滅って子がいる

のはどうしようも無い事ですが、保護者会ではちゃんとそういったこともあるので、子供たちをフォローしてやって欲しいという内容は伝えてますよね。」塾長は当然のことであるかのように誠一郎に詰め寄った。

「えっと、全滅の話はしてこなかったと思いますが。。。」誠一郎は塾長が責任を自分に押し付ける気なんだなと悟った。

「持田先生、保護者会マニュアルをちゃんと読んでますか。やるべきことはしっかりとやってもらわないと訴訟問題に発展しますよ、これは。」塾長は鬼の首を取ったかのように語気を荒げて誠一郎に迫った。

「は、はい、申し訳ございませんでした。」誠一郎は塾長がもう自分の会社を守ることを考え、○○君のことを少しも考えていない、その塾長の言葉を聞いて、反論する気力さえ沸かなかった。

「今日のお通夜には同席して下さい。5時半にはここを出ますから、それまでに一度家に戻って準備してきてください。では後ほど。」塾長は自分の言いたいことを告げると誠一郎を部屋から追い出すしぐさをした。そこからはどうやって家に帰ったかはほとんど記憶に無かった。唯一頭の中にあったのは、○○君を守れなかったという自分を責め続けていた。


「あなた、持田先生、よね。っていうか、先生って呼びたくないわ、」その女性はお通夜の最前列にいたが、誠一郎を見るなり大声で近づいて来た。誠一郎は○○君のお母さんであることはすぐに分かった。誠一郎はできる限り表情を出さずにお悔やみの言葉を伝えた。つもりだったが、

「あなた、自分のせいで○○が死んだっていうのに他人ごとみたいな顔してますよね。あなたが殺したんですよ。責任取りなさいよ。○○を、私が志望校に受からせますって何度も保護者会でも言ってましたよね。。。」かなりの大声で喚き散らしていたので、通夜に参列していた全員が誠一郎を見ていた。

「お母様、大変申し訳ございません。が、殺したっていうことは、言い過ぎかと。。。周りの皆さんも見ておりますので。。。」あの塾長が、誠一郎をかばう姿勢で○○君のお母様に話かけてくれていた。

「なんだ、じじい、おまえ塾長だな。。持田の上司ならお前も責任取れよ、絶対訴えてやるからな。覚悟しろよ。」さすがにこの状況を見ていた周りの大人たちが、○○君のお母さんを宥めつつ奥に連れて行った。

「塾長先生、持田先生、今日は○○のためにご足労頂きまして、ありがとうございました。妻がああいう状況ですので、今日のところはお引き取り頂けますか。」○○君のお父さんは落ち着いておられる様だった。

 塾長と誠一郎は最寄りの駅まで一緒だったが、一言も話はせずに散会したらしい。

誠一郎は「人殺し、人殺し、人殺し。」と言われたことを思い出し、本当に自分が○○君を殺したという罪悪感で頭がいっぱいになっていた。何かもう全てがどうでもよくなっていた。どの電車で何分どこにいたのか、おそらく山手線をぐるぐる回っていたのか分からなかったが、気が付くと無意識にどこかの駅で降りたようで、誠一郎の秘密の趣味であるアニメの聖地秋葉原を歩いていた。

 意識がはっきりしない中、目の前には、大きなドラゴンや翼竜たちが描かれた異世界の看板が目についた。夜も遅かったのでライトアップも手伝ってとても眩しかった。何かに吸い寄せられているかのように引き込まれていた。誠一郎はとにかく現実から一番遠くに逃げたい気持ちでいっぱいだったので、そこは今の自分にピッタリの場所であったため、何の抵抗もなく異世界カフェと書かれた店舗に吸い込まれていった。

「いらっしゃいませ」「毎度ご来店ありがとうございます、本日は1名様でよろしいでしょうかー」

「ララララー、ララララー♪」フルートの音色のようなソプラノよりもっと高温の音色の心に響く心地よい音楽のように綺麗な歌声が聞こえてきた。長身で美形、背中には無色透明な羽が今にも羽ばたきそうな、お伽の国から抜け出てきたようなエルフの格好が似あう女の子たちが入口でお客様のお出迎えをしている。それぞれかわいいハート形の名札には「MIRI」「MAYUU」「ACHA」「KORIN」「ANNA」といかにもアイドルのような源氏名が思わる名前が書かれていた。こちらのお店は特にコスプレのリアルさが売りの繁盛店である。

 店内には、エルフたちのほかにも、魔女の格好をした今にも魔法を唱えそうな女の子、耳がピンと立って元気いっぱい獣人族の女の子たちが店内を明るく盛り上げている。いわゆるコンセプト喫茶のようであるが、店内装飾、スタッフなどが半端なくリアル感に満ちており本当の異世界に迷い混んだ錯覚に陥る。

大型モニターにはスライムたちが可愛いく跳ねまわったり、魔族や竜族が大きな炎を操った迫力のある戦いが写し出されている。この異世界の映像を楽しみながらお酒を飲んだり、食事をしたり、お茶をしながら、現実逃避の時間を楽しむお客様たちでかなり繁盛している様だった。コスプレスタッフたちの給仕サービスが元気いっぱいに行われていた。誠一郎が異世界の中に足を踏み入れた瞬間のお話であった。

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