推薦枠の掃除係
「……以上が、陰陽師協会の基本方針よ。研修生の君たちは、安全管理を最優先に行動すること。これは絶対のルール」
陰陽師協会、京都支部の講習室。
紅子の話は、主に霊障の危険性や、一般人を巻き込まないための行動指針についてのものだった。
しかし——
「……なぁ、思ったんやけど……」
九重獅子丸が、ぼそっと呟く。
「めっちゃ地味な話やな」
「……!」
紅子の眉間が、ピクリと動く。
「俺ら、妖とバチバチに戦うために来たんやろ!? 」
「………」
「それが、『一般人への配慮がどうのこうの』……やて? そんなもん、聞いとってもオモロないわ!!」
獅子丸は、腕を組んでふんぞり返る。
「もっとこう……『強大な妖を討伐する研修生の心得』とか、そんなんを期待しとったんや! なのに、安全第一って……チッ、拍子抜けや!」
紅子の眉間が、更にピクピクと動く。
その様子を察知した南條青虎は、隣で顔を青ざめさせた。
「……!!」
青虎の心の警鐘をよそに、横に座る西園寺しのぶが、ぼそりと一言。
「……本当、つまらないのは事実よね」
「ちょっと……しのぶちゃん!?」
青虎が慌ててしのぶの口を塞ごうとする——が、しのぶはするりとかわした。
「……戦場に出るなら、実戦の訓練が必要。安全管理の話を聞いてる時間があったら、術の鍛錬でもしたほうが効率がいい」
「それや! しのぶちゃん、ええこと言うた! 俺も、もっと実戦向きな話が聞きたいわ!」
「………」
紅子のこめかみに、ピキッと青筋が浮かぶ。
その隣では、蓮華院葵がまるで関係ないと言わんばかりに、無心でハンドグリップを握り込んでいた。
一方、大宮静香は、呆れたように小さく首を振る。
静香が小さくため息を吐く中——
突然、講習室の扉がゆっくりと開いた。
——ギィ……。
そこに現れたのは——
白い子犬を抱いた橘紗月。
そして、クマのぬいぐるみを抱えた奈々だった。
「……すいません。一緒に講習聞くように言われたんやけど……」
講習室の空気が、一瞬で凍りつく。
一同、ポカンとした顔で、二人を見つめる。
そんな中——
莉乃が、勢いよく立ち上がった。
「えっ、なに!? それ、もしかして石松の依代!?」
「……そう」
奈々が返事をした時には、莉乃はすでにクマのぬいぐるみに手を伸ばしていた。
「……すごい、奈々が作ったの?」
「……うん」
しかし、その隣で——
「……なんで橘がここにおんねん?」
「……え?」
紗月が振り向くと、獅子丸は嫌味たっぷりに笑った。
「なぁ、みんな知っとるか? 橘紗月って、陰陽師でもないのに、橘家の庇護のもとで学院に通っとるだけの『掃除係』なんやで?」
「………」
「研修生でもないのに、なんでお前がこの場におるんや??」
獅子丸の言葉に、しのぶが興味なさげに言う。
「……掃除しに来たんじゃない…?」
「だよな!」
「いや、待てよ…。もしかしたら、俺たちの晩飯を作りにきてくれたのかもしれんわ」
——アハハハ!!
獅子丸が高笑いする中、莉乃が憤慨しながら睨みつけた。
「……何こいつ!? 紗月お姉ちゃんのこと、何にも知らないくせに…!! 霊障事件だって、紗月お姉ちゃんがいなかっ——」
「——莉乃ちゃん」
莉乃が振り向くと、紅子が鋭い視線を向けていた。
「っ……!」
莉乃は言葉を飲み込み、悔しそうに拳を握りしめた。
「何を言いたいのかわからんけど……橘の血筋が揃ってなぐさめ合いでもしたいんかい?」
「………ッ!」
歯を食いしばる莉乃だったが、紅子の視線を感じて、それ以上反論できずにいた。
「はい、はい、元気なのは結構」
紅子がため息を吐きながら、獅子丸と莉乃の間にすっと入った。
「ただし——履き違えないように」
紅子の冷たい視線に、獅子丸の表情が硬直する。
「そんなに実戦がしたいなら、どこかの霊障に放り込んで、身をもって学ばせるのもアリかしらね?」
「……っ!!」
その隣で、しのぶも紅子の圧に無言で視線を逸らしていた。
「いいこと? 霊障は、ただの『戦い』じゃない。命を預かる仕事なのよ」
「………」
「それでも、『つまらない』って思うなら——帰りなさい」
「……す、すいませんでした。ちゃんと聞きます……せ、せやけど、支部長」
ただ、その表情にはまだ納得がいかない色が浮かんでいる。
「なんで陰陽師でもない、橘紗月がこの場におるんですか? もう一人の子も、どう見ても中学生ですよね?」
研修生たちが、改めて紗月と奈々に目を向ける。
確かに、奈々の小柄な体格と幼さは、どう見ても学院生には見えない。
「彼女たち二人は、将来が有望ということで、推薦枠として参加してもらうの。わかったかしら?」
「……は?」
「う、嘘やろ……橘が……将来有望やと……?」
獅子丸はぽかんとした表情で、紗月を見つめる。
「いやいやいや! 何かの間違いやろ!?」
その隣で、西園寺しのぶが静かに奈々を見つめながら呟く。
「……推薦枠ってのは、実力もなしに選ばれるものじゃないわよね?」
「………」
「でも、どう見ても普通の中学生にしか見えないわ」
しかし、奈々は微動だにせず、クマのぬいぐるみを抱えたまま、静かに立っていた。
(……推薦枠、ね……?)
しのぶは心の中で疑念を抱きながらも、紅子の言う「推薦枠」が単なるコネによるものなのか、それとも実力に裏打ちされたものなのかを見極めようとしていた。
その時——
「……納得できん!!」
突然、獅子丸が机を叩いて立ち上がった。
「実際に霊障に遭遇したら、お互いの信頼が大事になるんや!! そんな、実力も知らんような奴と一緒にやりたくないわ!!」
怒りを露わにした獅子丸が、真っ直ぐに紗月を睨みつける。
「お前、ほんまに実力あるんか? 陰陽術使えるんか?」
「………」
「証明してもらおか」
獅子丸は口元を歪めながら、指を紗月に向ける。
「模擬戦や!! 俺と勝負しろ!!」
「………!」
一瞬、場の空気が凍りつく。
深くため息を吐き、頭を抱える紅子だったが——
——バンッ!!!
いきなり、講習室の扉が大きな音を立てて開かれた。
「さっつーん!!!」
「……え?」
唐突な叫び声に、講習室の全員が振り向く。
「え、ちょ、いつ来たの!? なんで声かけてくれないの!? ねぇ、どーいうこと!? もしかして避けられてる!? え、マジ萎えるんだけど!!!」
勢いよく部屋に入ってきたのは——
賀茂千紘だった。
「……ち、千紘さん!?」
その瞬間——
「特級陰陽師の賀茂千紘!?」
「うわぁ……テレビで見たまんまや!!」
「京都を救った特級陰陽師……!!」
研修生たちの間から、驚きと歓声が上がった。
賀茂千紘——
一月前の霊障事件で、一人で鬼の発生地点に乗り込み、京都を救ったとされる特級陰陽師。
一般人の間では、今や英雄扱いされている存在だった。
講習室の空気が、一瞬で変わる。
憧れ、尊敬、羨望——
そんな研修生たちをよそに、千紘はというと——
研修生たちには見向きもせず、一目散に紗月のもとへ駆け寄った。
「ねぇ、さっつん!!」
「……はぁ……なんですか?」
(……めんどいのが来た……)
「でさ! でさ!! どうなの!? 新しい術、覚えた!? 覚えたでしょ!?」
「……へ?」
「昨日の誕生日パーティーのとき、覚えてないって言ってたじゃん? でもさ、それから時間経ったし、何かしら出来るようになったっしょ!? ねぇねぇ、なったよね!?」
「……いや、昨日の話やで……千紘さん、時間の感覚バグってへん?」
「じゃあ、じゃあ!! 影は何人呼べるようになった!? ねぇ、さっつん!!」
「………!!?」
——やばい。
紗月の表情が、一瞬で強張った。
(あかん、やばいやばいやばい……!!)
「影」——
千剣の影。
紗月が清雅から教わった、過去の強者たちの影を召喚し、その力を借りる術。
だが、この術で影を一人呼び出せた時——
「え!? マジ!? じゃあさっそく戦おっか!!」
「……いや、なんでそうなるん……?」
「ねぇ、やろ!! 絶対楽しいって!!!」
その時の千紘のテンションは異常だった。
そして、当然のように紗月は——
千紘と戦わされた。
その結果——
「た、助けて……もう無理や……」
「えぇ~~!? まだまだいけるっしょ!! ほら、ほら」
以来、千紘は「またやりたい」としつこく言ってくるようになった。
そこで紗月は苦し紛れに——
『影が増えたら、またお願いします』
——そう言って千紘を遠ざけることに成功した。
だが、今——
「さっつん! 影、何人呼べるようになった!? ねぇねぇ、教えてよ!!!」
(ど、どうしよ……)
あの時、確かに「増えたら戦う」と言った。
——けど、すでに、三人まで増えてしまっている。
(絶対言えへん……!!)
もし言ったら最後——
「え、マジ!? 三人!? じゃあ戦お!!! ねぇ、いつ!? どこで!? ねぇねぇ!!」
——そうなる未来が、容易に想像できる。
(ぜっっったい無理や!!!)
「……し、知らん……」
「えぇぇ~~~!? 絶対ウソ!! さっつん、嘘ついてるっしょ!!」
「……知らん言うとるやろ!!」
そのやり取りを見ていた研修生たちは、目を丸くしながら、ぽかんと紗月と千紘を見つめていた。
「……ちょっと待て」
蓮華院葵が、ぽつりと呟く。
「千紘さん……さっきから、橘のことしか興味しめしてないか?」
「なんで……?」
「……!」
研修生たちは、驚きと困惑の入り混じった表情で、紗月と千紘のやり取りを見つめていた。
獅子丸は、そんな光景を見て、言葉を失った。
「……いやいやいや、嘘やろ……?」
さっきまで「陰陽師でもない掃除係」とバカにしていた紗月が——
(な、なんなんや、これ……!?)
しのぶは無表情のまま、じっと紗月を見つめていた。
(本当に、ただの掃除係なのかしら……?)
あまりにも自然に特級陰陽師の千紘と会話をしている。しかも、あの千紘は研修生たちには目もくれず、ひたすら紗月に絡んでいるのだ。
しのぶだけではない。他の研修生たちも驚きを隠せず、騒然としていた。
「ねぇねぇ、さっつん!! 何人?」
「……もう勘弁して……」
千紘はしつこく紗月の術の成長具合を聞いてくる。紗月は千紘の勢いに押され、げんなりしながら視線を横に向けた。
(講習、完全に中断してるやん……)
困ったように紅子に助けを求める視線を送る。
——紅子は笑いながら、こくりと頷いた。
(あ、わかってくれた……!)
紗月はホッと安堵した。しかし、その次の瞬間——
「ちょうどいいわ」
紅子は研修生たちを見渡しながら、ニッコリと笑った。
「実際に霊障に遭遇したら、お互いの信頼が大事になるんや!! 」
「そんな、実力も知らんような奴と一緒にやりたくないわ!!」
紅子は、さっき獅子丸が言った言葉を繰り返すように、少し声を強める。
「って、君、言ったわよね?」
「え……」
獅子丸の顔が引きつる。
「ほら、研修生の皆さんも納得いってないみたいだし」
紅子は静香やしのぶ、青虎、葵らの表情を確認する。誰もが「推薦枠」の存在に半信半疑の様子だった。
「紗月ちゃん。今から千紘と模擬戦やってみせてちょうだい。それで皆、納得すると思うわ」
「……紅子さん、ち、ちょっと待ってや……!!」
「まぁ、そうなるわな」
「わかりやすい」
「まぁ、確かに実力を見れば、何かが分かるかもな」
紅子の言葉を聞いた研修生たちは、それぞれに納得するように頷き始めた。
「……いやいやいや!! なんでそうなるんですか!? 」
「ちょうどいいじゃない。紗月ちゃんの実力を見せてあげれば、みんな納得できるでしょ?」
その隣でしのぶも、無表情ながら腕を組み、興味深そうに紗月を見つめていた。
「……推薦枠の実力、確かに気になるわね」
(な、なんやこの流れ……!)
逃げ場のない展開に、紗月は心の中で絶望した。
——しかし、そんな状況を誰よりも喜んでいる奴がいた。
「よーし!! さっつん、やろー!!」
千紘がノリノリで拳を握り、満面の笑みを浮かべる。
(やばい、あかん、完全に詰んだ……)
げんなりする紗月の脳内に、やる気満々の清雅の声が響いた。
(よーし、紗月!! 千紘をボコボコにするぞー!!)
(するかーーー!!!)




