新生・森の石松
放課後、一年生から三年生までの研修生たちは、教師の引率のもとで学院に残っている。
「いいなぁ……」
「そりゃ研修生やしな」
研修生たちが学院を後にするのを見送りながら、他の生徒たちは羨望の眼差しを向けていた。
そんな中、紗月は一人、学院を後にする。
(……紅子さんが、うちも協会入り言うてたけど、協会に行った方がええやろか……?)
(えー、行かなくていいんじゃない……それより帰って 『千剣の影』 の練習しよ)
(……ええやろ……影の人もう三人も来てくれたやん、十分や)
(何言ってるの……『千剣の影』だよ。千人分の経験や技術を継承する術式なのに……全然足りないよ)
学院の外に出ると、ふと空を見上げる。
——紗月は、ここ一月の修行の日々を思い起こす。
霊障事件の後、紗月は賢治や紅子に「神降ろしは禁止」と念を押されていた。当然といえば当然だった。神降ろしは制御を誤れば霊障そのものになりかねないのだから。
清雅に最初に習ったのは基本的な結界術。
「ちょっと!? こんなん無理やって!!」
「うるさい できる。ほら、もう一回!」
清雅のスパルタ指導のもと、汗だくになりながら、何度も術を繰り返す。
ようやく結界術の基礎を覚えた頃、次に教えられたのが清雅独自の術—— 『千剣の影』 だった。
「これは俺だけの術……千人分の剣技、戦場の記憶、戦いの技術を継承する術だ」
「……千人分!? ホンマかいな……怪しい術式ちゃうの……?」
「……紗月には男のロマンがわからないかな……」
「わかる訳ないやん。うち、男ちゃうし」
初めてその術を使ったとき——
——影が一体浮かび上がっただけで、体がついていかず、全身が悲鳴を上げ、翌日、筋肉痛で動けなくなった。
——それから二週間。
「……まだ、完璧には程遠いけど……」
紗月は、低い再現度ながらも、千剣の影を使えるようになりつつあった。
霊障事件の頃と比べれば——少しは「強くなった」と思う。
(……まだまだ、足りひんけどな……)
そんなことを思いながら、家に帰ると、玄関先で宗近が待っていた。
「……紗月、帰ったか」
「は、はい」
「今から奈々と一緒に陰陽師協会へ行きなさい」
「……へ?」
「聞いているだろう。協会で、正式に陰陽師としての活動をしてきなさい」
「……うちが、陰陽師……?」
自分が橘家の中で陰陽師として認められることなんて、一度も考えたことがなかった。
「あ、あの、手伝いはせんで大丈夫ですか?」
「もういい」
「え……?」
「それよりも、お前は“人の役に立つ陰陽師”になりなさい。雅彦も彩花もいない今、橘家の血筋として紗月には期待している」
宗近の言葉に、紗月は目を見開いた。
(……今まで、誰からも期待なんかされへんかったのに)
下働きをして本家に恩を返すだけの日々、陰陽師としての指導も橘家では受けてこなかった。
それが今、宗近は間違いなく「陰陽師になれ」と言った。
「……ホンマですか……?」
「お前には、それだけの素質がある」
「……うちに…あるやろか…。」
「それと橘北家を——」
宗近は、何かを言いかけた。
しかし、言葉を飲み込み、僅かに目を伏せる。
「……なんでもない。とにかく、行ってきなさい」
「……わ、わかりました」
紗月の返事を聞いても、宗近の表情はどこか冴えなかった。
彼の脳裏にあるのは、理由のわからぬ父の遺言。
——「橘北家は滅びる。そして再興させてはならん」
——「紗月には、陰陽術を教えてはならん」
(……父上……どうやら、遺言は守れそうにありません……)
奈々の部屋に向かうと、彼女はすでに準備を終えていた。
「……紗月お姉ちゃん」
部屋の中、静かに佇む奈々。彼女の腕には、ふわふわのぬいぐるみが抱えられていた。
「奈々ちゃん、もう準備できてたん?」
「………」
奈々は無言で頷く。その手元を見て、紗月は目を丸くした。
「……それ、新しい石松の依代?」
「……そう」
「なんか……前よりパワーアップしてへん?」
「………」
また無言で頷く奈々。
確かに前のものより一回り……いや、二回りほど大きくなっている。毛並みはふわふわの極み。まるで高級ぬいぐるみのように輝いている。
しかし——
「……なんか、ちょっとまるなってへん?」
じっくり観察すると、以前よりも横にずんぐりとしており、もこもことしたフォルムが際立っていた。
「……失敗した」
奈々がぼそりと呟く。
「……奈々ちゃん?」
「……綿、入れすぎた」
「入れすぎたんかい!!」
「前より丈夫にするために……いっぱい入れた」
「いっぱい入れすぎや!! なんか全体的にまんまるやん!? もう石松ちゃうやろ、石丸やん!!」
奈々はじっと沈黙し、そのまま小さく頷く。
「……まあ、召喚してみよか」
奈々はぬいぐるみをそっと持ち上げると——
「……石丸、召喚」
ふわり、とぬいぐるみが宙に浮く。
「——天つ霊、地つ力、五行の理に従いて、我が声に応えよ」
柔らかな光が広がり、ぬいぐるみの姿が変化していく。編笠と黒いマントが現れ、短い腕がピクリと動く。
——ズズッ!
小さな体が着地すると、力強く両手を広げた。
「——お控えなすって!」
「……!」
「手前ぇ、森の石松! 渡世の義理に生きる侠客ぬいぐるみ、ここに見参でございやす!!」
「……おぉぉぉぉ!」
「へへっ、奈々姉さんがこしらえてくだせぇた最高の依代でさぁ!! いやぁ……前回は不甲斐ねぇ有様で散っちまいやしたが……!」
バシィッ!と自分の胸を叩こうとする——が、腕が短すぎて届かない。
「……ん?」
試しにもう一度、ポフポフと腕を動かすが、やはりふかふかの腹に阻まれ、胸に届かない。
「……??」
「……石松、お腹の綿、多すぎて腕動かんのちゃう?」
「へっ!?」
「前よりも丸なっとるし、もしかして……」
試しに紗月が石松を軽く持ち上げようとすると——
「わっ、重っ!!」
「……えっ、なんか動きが鈍いような……!?」
石松はポフポフと腕を動かすが、やはり動きがモチモチしている。
「……まるくなった……」
奈々が静かに呟く。
「せやろ!?」
「……モチモチ」
「せやな!! モチモチやな!!!」
「……耐久力、上がった」
「確かに!? けど、モッチモチッてどんな状況やねん!!」
「これは……これは……」
石松はプルプルと震えながら、自らの体を確かめる。
「……すげぇ!! こりゃあ最高の肌触りでさぁ!! なんてなめらかなんでさぁ!!!」
「喜んどるやん!!」
「姉さん、こいつぁ最高の強化でございやす!! これなら、どんな衝撃でもダメージは最小限!!」
「いや確かに柔らかいけども!? 」
「へへっ、これぞ新たな渡世の生き様! ぬいぐるみの誇りにかけて、渡世のクッション道で姉さん方を守りやす!!」
「守り方が新しすぎる!!!」
「さぁ!! さっそく新しい仁義を切らせてもらいやす!!!」
「ええって、もう!! さっき切ったやん!!」
石松の声が勢いよく響く。
「手前ぇ、森の石松!! この身が朽ちようとも、奈々姉さんと紗月の姉さんを守る覚悟でございやす!! 」
「ふわふわ、モチモチ、まるで高級クッションのごとき抱擁力!!」
「その柔らかさ、まさしく渡世の任侠!! どんな衝撃もぷにっと受け止め、悪しき者どもすら包み込む……!」
「さぁ、手前ぇの温もりにて、安らかに導いてやろうじゃねぇか……!」
石松は両手を広げ、どこか悟りきったような表情で宣言する。
「……誰が抱きしめて解決しろ言うたんや!!!」
「へへっ、渡世の任侠ってぇのは、時に情で敵をも包み込むもんでさぁ!!」
「いや、もう話が訳わからん!!」
「………」
奈々は静かに頷きながら、満足そうに石松を抱き上げる。その様子に、紗月はため息をついた。
「……まぁ、石松が元気そうでよかったわ」
ほんの一月前、鬼の群れに囲まれながら、身を挺して道を切り開いた石松の姿を思い出す。
あの時のぼろぼろの姿を考えれば、こうして再び元気に騒いでいるのは、何より嬉しいことだった。
(奈々ちゃんも……ほんまに嬉しそうやな)
紗月はふっと息を整え、部屋の外へと視線を向ける。
「……よし、キリ。行くで」
「ワン!」
小さな鳴き声とともに、勢いよく部屋に飛び込んできた白い子犬——麒麟の剣、キリ。
「陰陽師協会に行くで。一緒においで」
「ワン!」
「姉さん方、道中気をつけなすって」
「お前も来るんやろがい!!」
「………」
奈々は無言のまま、再び頷くと、石松を抱え直した。
「……ほな、行こか」




